魔女の休暇(第13話)


北海 ルドルフ空軍基地 201X/12/20 司令室


「休暇、ですか……」
魔女は司令に渡された休暇届けをじっと見つめる。
「そうだ、もう北極海は完全に凍結したし、隣の基地にオイレが配備されたからうちの基地はアラート待機から外された。しばらくは君たちにも楽をさせてやれるだろう」
司令は自分のデスクの上に置かれた模型に目を落とす。濃灰に塗られた主翼が蛍光灯の光を鈍く反射している。
 FI-05オイレは王国軍の誇る新鋭戦闘機だ。航続距離と高速巡航に優れ、迎撃・防空戦闘機としての性能は共和国のジュラーヴリクを凌駕するとされている。
 魔女は壁に貼られたポスターを見ながらファーンバラ基地で見たオイレを思い出す。ミミズクの冠羽のように貼り出した可変ストレーキと角を切り落とされた台形の翼が特徴的だった。
「26日から年明けの5日までだ。良い冬休みを」
既に日程の決められた休暇届けを受け取った魔女は司令室を後にし、オフィスへと足を向けた。


魔女がオフィスに足を踏み入れると薄いコーヒーと煙草の匂いが彼女を包んだ。
「隊長、いらっしゃいますか?」
「いるぞー」
 鷲がキーボードから手を離して手招きする。魔女は鷲のデスクへ向かい、その上に休暇届を静かに置く。
「よろしくお願いします」
 鷲は基地司令のサインと日程に軽く目を通すとペン立てから万年筆を取り出し、メモ用紙に試し書きをしてインクがしっかりと出ることを確認すると休暇届にさっとサインを書き入れた。
「ほらよ、あと必要なのはお前のサインだけだ」
 鷲は休暇届けの飛行隊長欄にサインして魔女に渡す。あとは魔女がサインをするだけで休暇が手に入る。
「隊長はどうされるんですか?」
「とりあえず今年中に部隊の移転関係の書類をまとめなきゃならんからな。お前が羨ましいよ」
 鷲はデスクに散らばった書類の束を恨めしそうに睨む。アウロラによって北部方面軍に多数の被害が発生し、部隊を再編成するため魔女達の224飛行隊も本籍地をルドルフ基地に移すことになった。20世紀に比べれば書類の量は減ったが、その分の労力はキーボード入力となって鷲にのしかかる。
「全部折り紙にでもして格納庫にでも飾りますか?」
「はは、そいつは面白いがクビを賭けてまでやりたくはないな」
 すっかり冷たくなったコーヒーを飲むと鷲は大きく伸びをする。凝り固まった筋肉が引き伸ばされて軋み、刺すような痛みに顔をしかめる。
「じゃあ、肩でも揉みましょうか?」
「気が利くねぇ」
 魔女は鷲の方に両手をのせ、ゆっくりと力をかけて鷲の肩を揉む。時折ツボに力をかけて細い指を押し付ける。硬いゴムのように固まっていた筋肉が徐々にほぐれてゆく。
「本当はお前の乳でも揉ませてくれりゃやる気もでるんだがな……っ!」
「ご一緒に気道のマッサージもいかがです?」
「遠慮しておくよ」
 魔女の指が鷲の首に絡みつき、軽く力がかけられる。鷲はそれを払いのけるとゆっくりと立ち上がって肩を軽く回す。
「だいぶ楽になった、ありがとう。良い休暇を」
「そちらこそ」
 鷲に一礼すると魔女はオフィスを後にすした




北海 ルドルフ飛行場 201X/12/26 14:21



「RIA309、離陸を許可します」
 滑走路端で離陸許可を待っていた双発旅客機のエンジン音が大きくなり、機体が加速を始める。
 民間機の中ではSTOL性能に優れているといってもエンジンの推力が機体重量を上回るFS-04の加速には程遠い。魔女が窓の外に顔を向けると、滑走路の端でボンネットに雪だるまをのせた自走対空砲がくるくると捜索用レーダーを回しているのが見えた。景色の流れる速度が速まり、柔らかな座席越しの振動が小さくなる。ゆっくりと、だが確実に空気を掴んだ翼が200余名の乗客をのせた機体を空へと引き上げる。魔女はゆっくりと息を吐いて背をシートに預けると目を閉じた。
 上昇してくる旅客機を紫色の猛禽が見守る。武装は短射程ミサイルのみの身軽な出で立ちだ。機首には真新しい四つの撃墜マークが並んでいる。
「ルドルフタワーよりRIA309、途中までアドラーエスコートする」
「了解ルドルフタワー、パイロットによろしく伝えてくれ」
 平和な空の象徴と言える旅客機と戦いの空の象徴たる戦闘攻撃機が共に翼を並べて冬の空へ駆け上がってゆく。甲高いエンジン音と低いエンジン音が重なりあい、不思議な旋律となって南南西へと飛び去ってゆく。


シートベルト着用のサインが消えるチャイム音で魔女は目を覚ました。他人の操縦で飛ぶ空は久しぶりだった。窓を覗くとちぎれ雲が右翼に引き裂かれて二つに分かれ、その先に紫色の機体が並進しているのが見えた。今ルドルフ基地には鷲以外にFS-04を飛ばすことのできるパイロットはいない。
――そうだ。
ちょっとした悪戯を思いついた魔女は鞄から鏡を取り出して窓に近づけると角度を微調整して反射光が鷲の機体に向かうようにする。


 鷲は自動操縦に切り替えると操縦桿に手を添えたまま並進する旅客機の様子を確認する。320型機の太い機首が太陽光をうけて黄色く輝いている。
「ん?」
 その胴体中央付近の窓が光った。もう一度目を凝らして窓を見つめると今度は断続的に発光する。
「Delta,Lima,Echo,Romeo……」
 鷲はその発光パターンがモールス信号であることに気づいた。
DLER。最初に何を見落としたのかは分かる。Aだ。こんなことをする乗客は思いつく限りでは一人しかいない。鷲は発光信号の続きを確認する。
「Mike,Echo,Romeo,Romeo,Yankee,Charie,Hotel,Romeo,India,Sierra,Tango,Mike,Alpha,Sierra
――メリークリスマス、か。ずいぶんと洒落たいたずらを仕掛けてくれたものだ
 鷲はオートパイロットを解除して燃料残量と機の現在位置を確認する。残量7割弱。多少の無茶をするだけの余裕はあるようだ。翼を振って悪戯を仕掛けてきた魔女に合図する。何度か光が瞬いて了解の意思を伝えてくる。
「RIA309、こちらアドラー。乗客に右を見るよう伝えてくれ」
 そう伝えると鷲は燃料系統を選択し、投棄モードに切り替える
 鷲の機体の両翼端から白い煙が上がり、凍結した燃料のしぶきが太陽の光を浴びて銀色に輝く。
 機長の言葉で右側に集まった乗客たちから歓声が上がる。高空の冷たい空気だからこそ可能な技だ。
 機内の喧騒は魔女には聞こえない。その瞳には紺色の空をキャンパスに美しいバレルロールを描く青紫と灰色の塗装に身を包んだ猛禽の姿だけが映っている。
 銀色の雲が途切れ、最後にもう一度翼を上下に振った鷲が離脱してゆく。魔女は穏やかな笑顔でそれを見送った。
「Merry Christmas, Adler



王国 フランクフルト国際空港 201X/12/26 18:47 ターミナル2


「ヴェルトフルーク1318便は間もなく搭乗手続きを開始いたします」
「インペリアルエア456便は天候不順により到着が遅れております」
 魔女は吐き出されるようにターミナルに出ると、荷物を置いてベンチにへたり込む。
――本国って、こんなに人がいたんだ。
 ミネラルウォーターでため息を押しこんで天井を見上げると、複葉機をかたどったオブジェが呑気にプロペラを回して旋回戦をしていた。
「あれ? ハヅキ中尉じゃない?」
 名前を呼ばれた魔女ははっと顔をそちらに向ける。
「あなたは……」
「久しぶり!」
 狂鳥が荷物を隣に並んでいた青年士官に押し付けて魔女に駆け寄ると手を握った。あたたかい手の艶は以前よりも良くなっているように感じられた。
「そちらの方は?」
「あぁ、こっちは私の下僕のランク」
 ランクと呼ばれた青年士官は狂鳥に押し付けられた荷物を下ろす。
「下僕?」
「いやいや、そういう関係ではなくてですね……」
 怪訝そうな目を向ける魔女に慌てて自己紹介する。
「中東派遣軍504飛行隊2番機パイロットのラルフ・ランカスター少尉です。ハヅキ中尉、ですよね」
「ええ」
「この前の飛び方は本当にすごかったですよ。ヘンシェル大尉も絶賛されてました」
「隊長と会ったことが?」
「はい、スタンド席が隣だったもので」
 魔女はデモフライトでの超低空飛行を思い出す。一歩間違えれば自分だけでなく観客を巻き込む可能性もあっただけにイベント終了後に担当の中佐にこっぴどく注意されたのは言うまでもない。
「まぁまぁ、立ち話も何だしなにか食べに行かない? フライトまで時間はあるんでしょう?」
 狂鳥が二人の間に割り込む。
「まぁ、9時半の便だから……」
「決まり! ランク、おいしそうなお店探して。大至急ね」
 魔女が答えを言う前に狂鳥は魔女の荷物を持ち上げる。
「はいはい」
 もう凶鳥に振り回されることに慣れっこなのか、ランカスター少尉はポケットから端末を取り出して。空港内の案内図をダウンロードする。しばらく画面をスクロールしているうちに落ち着いた内装のレストランを見つけた。
「となりのコンコースに美味しそうなレストランがあるね。"カメーリエ"だって」
「きれいな名前ね。そこにしよ」
 

店内は混んでいたが、ちょうど入れ違いで数組の客が引き払ったのですぐに座ることができた。
「飲み物はどうする?」
 すでにオーダーを決めたのかメニューに軽く目を通したランカスター少尉が向かいの席に座る二人にメニューを渡す。
「わたしは白ワインで」
「私は……赤で」
 少し悩んだ魔女はワインの欄を見て注文を決めた。
「じゃあとりあえずそれでいいね。すいません、ワインの赤と白を2つ、それとスコッチをロックで」
 ランカスター少尉が近くにいたウェイターに注文を頼む。
「空港で三角関係がバレて糾弾されるダメ男と二股に気づいた女たち、みたいな?」
「ふふ、なにそれ」
 狂鳥の軽口に魔女が頬を緩める。
「せめてダメ男はやめてくれないかな……」
 ランカスター少尉は力なく笑いながら抗議する。扱いが酷いのは今に始まったことではないらしい。
「なに? ランクの癖に口答え? いい度胸ね。休暇が終わったらあんたのケツに37ミリ撃ちこむから」
「ふふっ」
 狂鳥とランカスター少尉のやりとりを眺めていた魔女が笑う。
「何がおかしいの?」
「だってあなたたち本当に恋人同士みたい」
 魔女の指摘に狂鳥とランカスター少尉は互いに顔を見合わせ、狂鳥は俯きランカスター少尉は困ったように頭をかかえる。
「だ、誰がこんなのと!」
「こんなの扱いですか……」
 狂鳥がきっぱりと否定し、ランカスター少尉の肩が小さく縮む。
「言い過ぎじゃない?」
 すかさず魔女がフォローを入れる。
「いいの! こいつは私の二番機兼雑用係なんだから」
「あ、下僕から昇格した」
 ランカスター少尉がささやかな地位の向上に嬉しそうに顔を上げる。と、ウェイターがグラスを載せた盆を持ってきていた。
「失礼します、赤ワインと白ワイン、スコッチのロックになります」
 三人はめいめいの頼んだグラスを受け取る。
「二人の女性エースに」
「乾杯」
 ガラスのぶつかる硬い音と共に紫と白金、そして琥珀色の水面が揺れる。
「そういえば二人もこれから休暇?」
「マルタに親戚の別荘があるのでゆっくり羽根を伸ばそうかと」
 ランカスター少尉が先に口を開く
「こいつがどうしてもって言うから仕方なく付き合ってやってるの!」
 仕方なく、の部分を強調しつつも狂鳥の言葉には温かみがあった。
「あなたはどうするの?」
「私は皇国の実家にね」
 魔女は短く答えるとグラスを傾ける。
「皇国かぁ。また行きたいなぁ」
「皇国ってそんなにいいところなの?」
 ランカスター少尉がしみじみとした表情で頷くと狂鳥が悔しそうに唸った。
「あれ、ミリィは行ったことないんだっけ? 食べ物も美味しいのに」
「はいはい、どうせ私は生まれてこのかた砂漠しか行ったことがありませんよーだっ!」
「あぎゃっ!?」
 狂鳥の一撃がランカスター少尉の右脛に突き刺さり、哀れな青年士官の悲鳴が店内に響き周囲の客の白い視線が突き刺さる。痛みと恥ずかしさでランカスター少尉の背中がさらに縮む。
「物価は高いけれどね」
魔女が苦笑した。



皇国 関東地方 201X/12/27 11:16 葉月家


「二年ぶり、か」
 静かに呟いた魔女は門を開いた。錆びついた蝶番が軋みをあげ、音に気づいた老犬が耳をぴくつかせると気怠そうに立ち上がった。
「あら、しばらく見ないうちに貫禄がついたんじゃない?」
 弛んできた頭をごしごしと撫でてやると嬉しそうにしっぽを振り、ふんふんと鼻を鳴らして魔女の鞄に鼻を押し付ける。
「やっぱり分かる? はい、あげる」
 手を付けずにとっておいた機内食のロールパンを鼻先に見せると老犬は迷うことなくそれを咥え、嬉しそうに尻尾を振りながら犬小屋へ戻って行く。
 魔女は鞄の一番手前のポケットを探り、久しく使っていない鍵を取り出してドアの鍵穴に差し込む。
――右と左、どっちで開くんだっけ?
 左右にカギを回すと、右にひねったところで金具の動く音がした。
「ただいま」
 魔女はドアを開いて玄関に入り、靴を脱ぐ。魔女が前に来たときと何も変わっていない。フローリング張りの床からは少し艶がなくなっていた。
「あら、あなた……」
「何で連絡しなかったの! 電話くれれば迎えに行ったのに!」
「ごめん、母さん」
 母に強く抱きしめられ、魔女は荷物を床に落とす。
「父さんは?」
「今日で仕事納めだから夕方には帰ってくるよ」
「そう」
「寒かったでしょう、こたつに入ってて。お茶を持ってくるから」
 魔女は荷物を部屋の隅に纏め、コートと上着をハンガーにかけるとこたつの中に足を突っ込む。と、こたつの中から恨めしそうな唸り声がする。
「あ、ごめん当たっちゃった?」
 魔女はこたつの中に両手を突っ込んで声の主を探す。柔らかな毛に包まれた塊に左手が触れ、両手でそれを引きずり出す。抱え上げられた三毛猫は魔女を睨む。
「相変わらずブサイクね」
 太ももの上に猫を乗せて喉を撫でてやる。最初は嫌がっていたが徐々に抵抗は弱まり喉をゴロゴロと鳴らす。
 魔女が猫と戯れているとふすまが開き、母親が急須と湯呑をお盆に乗せて入ってきた。
「はい、お茶」
「ありがとう」
「毛がつくわよ」
「いいの、どうせクリーニングに出すから」
 猫の毛だらけになった魔女の服を見た母親が呆れた顔をする。
「それで、軍はどうなの? ニュースでは新兵器がどうとかって言ってたけど。父さんも心配してたのよ?」
「あぁ、11月の……」
 魔女は炎の壁と火に包まれて墜ちてゆく味方機を思い出す。最後に何故か担架に乗せられた鷲の顔が浮かんだ。
「お願いだから、ほんとうに危ないと思ったら帰ってくるのよ?」
「無理だって。その代わり勲章もらってきたの」
「まぁ、勲章。お爺ちゃんに見せてあげないと」
「あ、いけない。まだお爺ちゃんに挨拶してなかった」
 思い出したように立ち上がった魔女は仏壇の前に座ると線香に火を灯して鉢を鳴らす。深い金属音が部屋の中に響き、魔女は静かに目を閉じて手を合わせる。
――お爺ちゃん、私は帰ってきました。
 そう心のなかで念じた魔女は鞄の中から化粧箱を取り出して蓋をあけて仏壇に供える。北極星をふちどる純金の帯が輝いた。
「立派な勲章ね」
「うん」
 魔女は静かに頷く。輸送船や護衛艦乗員の血でできた北極星は蛍光灯の光の下ではひどく色褪せて見えた。


皇国 関東地方 201Y/1/1 06:32 河川敷


「はぁっ、はぁ……っくぅ……」
 夜明け前の薄暗い土手の上を登り切ったところで魔女は足を止めた。膝に手をついて呼吸を落ち着かせると首にかけたタオルで薄く汗の浮かんだ額を拭うと河川敷へ降りる階段に腰を下ろした。
「間に合った……」
 東の空が一瞬明るく輝くと赤く染まる。焼けるように赤い太陽が顔を覗かせて薄く高空に横たわる雲を自分と同じ色に変える、瑠璃色の空が水色から橙色へのグラデーションを描く。
 周囲には魔女と同じく初日の出を見に来た人々の姿があった。皆友人や恋人、家族と共に感慨深そうに明るくなってゆく空を見つめている。
――空、か。
 魔女は上を見上げる。高空に一本、白い筋が伸びているのが見えた。愛機に乗って空からこの日の出を見られたならどんな光景が見られるだろうか。きっと素晴らしい景色が見られるだろう。地上がどんなに薄汚れていても、空から見れば全てが美しく見える。
――私の居場所って、どこなんだろう。
 静かに膝を抱いて頬を載せる。冷たい風が魔女の頬を撫でて髪を乱していった。
「さぁ、初詣に行くぞ」
 どこかの家族の父親の言葉に魔女は忘れかけていた習慣を思い出す。階段から立ち上がるとジャージのズボンに付いたホコリを払い、軽く膝と足首を回して冷え始めた体を温める。



 乾いた音と共に500円硬貨が賽銭箱の中に落ちてゆき、魔女は太い縄を振る。鈴がガラガラと騒がしい音をたてる。魔女は静かに手を合わせて礼をすると目を閉じて念じる
――今年は穏やかな一年でありますように、皆と笑って過ごせますように。
 改めて一礼した魔女は石段を降りて境内の売店へ足を向けた。
 売店には合格祈願のダルマや破魔矢が並び、紅白の巫女装束に身を包んだ女学生が参拝客に甘酒を振舞っている。
「すいません、おみくじとお守りを二つ」
「はい、いらっしゃい。お守りの種類は何がいいかね?」
「厄除祈願と、あとこれを一つ」
「千と百円だね、おみくじはそこの箱から持って行ってくれ」
 魔女は中年の会計係に千円札と百円硬貨を渡し、それと引換に紙袋に入れられたお守りを受け取る。右手を売店のカウンターに置かれた箱に入れ、少し探って一つを取り出す。
「まいどどうも」
 魔女はポケットにお守りの入った紙袋を入れ、おみくじを開く。
「中吉か」
 願い事、恋愛、争いごとは時間はかかるがうまくいくと書かれている。魔女は満足気な笑みを浮かべると丁寧に折りたたんだおみくじを売店脇の木の枝に括りつけて神社を後にした。





皇国 羽田国際空港 201Y/1/04 10:16 出国管理所


「パスポートを拝見します」
「はい、どうぞ」
魔女は菊の紋章の入ったパスポートを入管職員に手渡す。職員は魔女の顔写真と搭乗券を確認すると出国スタンプを押す。
「行ってらっしゃい、よい旅を」
「どうも」
パスポートを受け取った魔女は上着のポケットにそれを仕舞う。あと九ヶ月後には菊の紋章から北極星の紋章が入ったものに変わるのだと思うと少し寂しい気がした。
魔女は『ようこそ皇国へ』と各国語で書かれたお土産袋を持ち上げて搭乗窓口へ急いだ。


 魔女は座席に深く腰掛けると腕時計に目を向ける。間もなく出発予定時刻だ。ビジネススーツに身を包んだ男性が通路を慌ただしく駆け抜けて行くとすべての乗客が乗り終わったのかボーディングブリッジが離れてゆく。
「フランクフルト国際空港への到着は現地時間で午前11時の予定です。それでは皆様、どうぞ快適な空の旅を」
 機長のアナウンスと共に機体が移動を始め、巨大な主翼が振動で揺れる。魔女は窓越しにその様子を横目で見やる。
まるで雛が飛び立つために小さな翼を羽ばたかせているようにも感じられる。
「毛布はご入用ですか?」
「えぇ、お願いします」
 客室乗務員の王国語の質問に魔女は皇国語で答えた。驚きに変わる
「失礼しました。王国の軍服を着てらっしゃるからてっきりそちらの方だとばかり」
「よく言われます」
 魔女は微笑んで答えると毛布を受け取る。
「いえ、ちゃんと聞こえましたよ」
「それはどうも」
 4基のターボファンエンジンが力強く唸りを上げて総二階建ての機体を加速させる。主翼が冬の空気に引き上げられて機体が地面から離れ、巨鳥は大きく旋回しつつ上昇し西へと向かう。
 遠ざかっていく空港を見つめた魔女はポケットに手を突っ込み、お守りの入った紙袋を握りしめた。