火刑(第6話)

北海 ルドルフ飛行場 201X年/11/19 08:35 FS-04 11-0109号機 "ヘクセ"


「エンジン始動!」
魔女の声と共にFS-04の胴体下に据え付けられた二つの心臓が甲高い唸りを上げ、ジェット燃料を主菜に冷たく新鮮な空気をかきこみ始める。
「ん、いい音」
順調に上がってゆく回転数と油圧を確認し、チェックリストを進めてゆく。隣では隊長機が同じように点検を受けている。
ふと魔女と視線が交錯すると、鷲はつい三日前とは打って変わって穏やかな声で諭す。
「ヘクセ、余裕はあまりないが、見落としはないようにな」
「え、あ、了解!」
なぜだか恥ずかしくなり、魔女はチェックリストに視線を戻す。電子音と共にエンジン内蔵の発電機の電圧が所定の閾値を超えたことを知らせるメッセージがサブディスプレイに表示され、魔女は電源の供給源を支援車両から機内搭載のものに切り替える。
「エルロンよし、エレベーターよし、ラダーよし…」
操縦桿とフットペダルの動きと同調して、カナード水平尾翼、エルロンとラダーがぱたぱたとと揺れる。魔女はチェックリストを確認してゆく。
操縦系統を確認し終わるとページを捲り、次の段階に進む。
「マスターアーム問題なし。セイフティピン抜いて!」
魔女はヘルメットに内蔵されたマイクで整備兵に指示する。機体を左回りに回りながらセイフティピンが抜かれてゆき、ディスプレイ上の武装表示がロック状態の灰色から待機状態を示す黄色に変わる。
今回は空中給油を受けるので、中容量の増槽が胴体中央に懸架されている。他にはいつも通り膨らんだ翼根から生えたパイロンに対艦ミサイルが4発。一番外側のレールには短距離AAMが装着されている。
リストにある兵装と実際に装備されているものが一致していることを確認する。最右端のAAMの表示色が灰色から黄色に変わり、魔女は親指を立てる。兵装系統異状なし。
「ヘクセ、準備よし!」
魔女はキャノピーを下ろし、親指を立てる。マスターアームをナビゲーションモードに設定。
整備兵が車止めを外してゆくのを確認しギアブレーキを解除する。
推力8トンを軽く超える二つのエンジンが機体をゆっくりと前進させる。
アドラーよりルドルフタワー、離陸許可を」
「了解アドラー、ランウェイ33、ウインド310-320、4ノット、視程10マイル」 
左に並んだ隊長機が誘導路へと動き始め、魔女は間隔が十分に開いたことを確認したその後を追う。
魔女は滑走路に入る手前で隊長機の離陸を待つ。青紫の機体と雪の対比が眩しい。魔女はヘルメットのバイザーをゆっくりと下ろす。
エンジンがひときわ大きく咆哮し、排気ノズルからリング状の干渉痕を広げて一気に加速してゆく。一面雪に埋まった中で滑走路だけがしっかりと除雪され、進むべき道を指し示す。鷲はフラップとギアを格納し、重い対艦ミサイル4発を吊り下げたとは思えないほどの勢いで加速しつつ灰色の空へと溶けこんでゆく。
アドラーの離陸を確認。ヘクセ、離陸を許可する」
「了解」
魔女はブレーキを解除し、左フットペダルを踏み込んで滑走路の中央線と機体の軸線を重ね、スロットルをゆっくりと前に倒す。エンジンの状態に異常がないことを再確認し、さらに押し込む。
操縦桿を引くとカナード水平尾翼が逆方向を向き、主脚を支点に機首を上へ押しやる。振動が消え失せたことを確認し、素早くギアアップ。フラップを上げて魔女は寒空へと昇ってゆく。



「グレッチャーより224飛行隊、そのまま針路300へ向かい、タンカーと合流せよ」
4機揃ったところでV字編隊を組み直し、西北西へ進路を取る。
「224了解。各機続け」
白い飛行機雲を曳きながら飛び去ってゆくFS-04を地上にいたクルーやパイロットたちが手を振って見送る。
管制塔から見守る司令も静かに敬礼を向ける。
「我らが魔女さまが編隊で飛んでるとどうにも違和感があるねぇ」
折りたたみ椅子に座った黒猫がぼんやりと空を見上げながらつぶやく。その手には釣竿が握られている。
「一応俺らもあの部隊に所属してるからな」
烏はラジオから流れてくる流行りの過ぎた歌謡曲を聞き流しながら答える。足元のバケツの中では黒猫の釣り上げた小魚が尾鰭を揺らしながら泳いでいる。
「イマイチ実感わかないんだよ。総出で飛んだことなんて数えるほどしかねえ。そのうえこの基地は実質水上機の基地と民間空港だ」
黒猫の視線の先では胴体に王国空軍の北極星のマークをつけた飛行艇が波に揺られている。太い胴体位からはところどころアンテナやフェアリングが突き出し、それが洋上哨戒機であることを静かに物語っている。
「どうでもいいが、引いてるぞ」
烏の言葉にようやく竿が引いていることに気付いた黒猫は慌てて引き上げるが、浮きの下には簡素な釣り針がぶら下がっているだけだった。
「ありゃ、逃げられちまった。結構大物だと思ったんだがなぁ」
風に吹かれて揺れる針にもう一度練り餌をつけ、軽く振りかぶって目の前の冷たい海に投げ込む。
ぽちゃんと小さな水柱が立った。






魔女はスロットルを絞り、目の前で揺れる白い漏斗型のドローグから機体側のプローブを離す。残っていた燃料が飛沫となって後方へ飛び去っていった。
「224飛行隊への給油完了。ミルヒクーは離脱する」
給油機からゆっくりを距離を取り、給油プローブを格納して大きく息をつく。合計24機のFS-04。このエリアの部隊の半分以上が投入されている。
―それでも足りないから、海軍に頭を下げたのね。
頭上をゆったりとしたバンク角で離脱してゆく給油機を見送りながら魔女は考える。
ごうごうと鳴るエンジンの求めるジェット燃料をたらふく飲み終わった水鳥たちは4機ずつ6つの群れに分かれ、緩降下して増速する。
「エコーチームは我に続け。これより先無線封止に入る」
「コピィ、エコーリーダー」
「エコー4了解」
魔女達の224飛行隊は5つめのグループ、エコーチームに振り分けられている。
他の5チームもそれぞれレーダーを避けるために高度を下げて飛ぶ。
魔女はサブディスプレイに表示された時計とミッション内容に表示されているものとを確認する。予定よりも5分ほど遅い。空中給油時の会合に遅れた隊があったのが原因だった。
―こんな時普通のパイロットはコクピット内に貼った家族や恋人の写真に生還を誓うのかな?
そんなことをぼんやりと考えつつ、周囲と計器を確認する。他のグループも確実に敵艦隊への距離を詰めている。これからしばらくは静かに空と海の隙間を飛んでいくだけだ。
と、白い点の集合とすれ違った隣の隊の最右端の機体がエンジンから突然炎の塊を吐き出し、大きくバランスを崩した。
バードストライク!」
機体を立てなおそうとパイロットは操縦桿を倒し、高度を回復させる。波頭をベントラルフィンが掠め、フライトコンピュータが当て舵を打って進路を補正する。
だが、そのほんの数秒間の行動を見逃すほど共和国海軍は甘くはなかった。


「方位170、距離280に反応あり。非常に微弱ですが機影を捉えました」
「自ら死を選ぶか……速度と位置はコンピューターの予測に任せろ。アウロラ発射準備」
「了解。アウロラ1から12,発射用意。カウントダウン開始」
甲板にずらりとタイルのように並んだ垂直発射機のカバーが開き、その中でじっと出番を待っていた大柄なミサイルが姿を表す。
アウロラ、発射」
「続いて13から24、発射準備」
オペレーターが発射スイッチを押し、固体燃料に点火したミサイルは設定された高度を稼ぎ終わるとゆっくりと弾体を海面と平行に倒し、さらに加速してゆく。
敵機を正確に捉える必要はない。敵機と母艦を結ぶ進路上に等間隔にありつづけることがこのミサイルの存在意義なのだから。


「デルタチームが補足された!」
それまでの静寂を慌ただしい無線が破り、続いてレーダー警報音が鳴り響く
「デルタ3が海鳥と接触! 右エンジン停止。 リカバリー動作で敵艦に発見された模様。敵艦ミサイル発射。総数12」
「デルタ3は離脱せよ。各機ECM開始」
魔女も素早くレーダーを電子防御モードに切り替える。
23のAESAレーダーが電子の傘を広げるが、ミサイルは構わず針路を保って突き進んでくる。彼我の距離、およそ10マイル
「なんだ? ミサイルは空中分解」
ミサイルは編隊の手前でバラバラに別れると、がっくりと高度を落としてレーダー上から消えた。


ブースターを切り離し、海面へ降下してゆくミサイルは折りたたんでいた回転翼を広げ、ゆっくりと回転を始める。回転速度が上がるごとに降下速度は緩やかになり、やがて完全に空中停止し、ホバリングを始める。
下側に据え付けれれた小型センサーが回転に合わせて周囲を見張る。回転する弾体のキャニスターにはたっぷりとプレゼントが詰まっている。
センサーは規定の距離に入った敵機を確認し、その存在を内蔵されたコンピューターに伝える。一瞬の電気信号のやりとりの後、キャニスターからプレゼントがばらまかれる。回転による遠心力でそれがぶちまけられ、空気中の酸素と反応して光輝く。
「ミサイル接近、ECMを……なんだあれは!」
再び電波妨害を始めた編隊の前に巨大な光の壁が姿を現す。レーダーも真っ白に染まり、自機の針路が白い壁に覆われる。
「各機、FLIRに切り替えろ」
魔女はセンサーを機首に備え付けられたレーダーから機首の下に吊り下げられた赤外線センサーに切り替えるが、結果は同じだった。メインディスプレイは真っ白に染まり、わずかに上方に隙間がある。
「ヘクセ了解……ダメです、前方は完全に探知不能。上空には隙間があります」
「デルタリーダーより各機、そんなことをしたらレーダーに見つかって蜂の巣だ。このまま増速し突破する!」
3機だけになった4つ目の編隊は増速し、前方の光の壁に向かって突っ込む。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
機体が上昇気流で揺さぶられて光に包まれ、ディスプレイに表示された機体の各部位が赤く点滅する。機体表面に付着した黄燐がレーダー吸収塗料をやすやすと突き抜けて複合材を燃やす。キャノピーが熱で白く曇り、何も見えなくなる。エンジンが悲鳴のような唸りを上げ、回転数ががっくりと落ちる。
「デルタ2、イジェクト!」
脱出レバーに手をかけ、躊躇なくそれを引く。黄燐の雨の中にほとんど無防備に等しいフライトスーツで放り出されたパイロットを黄燐の欠片が覆う。
無線に耳を塞ぎたくなるような絶叫が反響し、助けを求める悲鳴が弱まってゆく。
「エコー各機ブレイク! ただのチャフフレアじゃない!」
鷲はそう言うとG制限ぎりぎりの急激な引き起こしを始め、魔女は機体をを60度右に倒し、ラダーを踏んで機体を滑らせて減速しながら旋回する。
他の機体も炎に取り囲まれて空間失調に陥って海面に没し、あるいは操縦室内に入り込んだ有害なガスで視界を奪われ、次々に減ってゆく。
「チャーリー隊、上昇して敵艦へ向かう」
三番目の部隊は統制のとれた上昇で炎の壁をぎりぎりのところでかわして乗り越える。
ようやく水平に戻った隊長機にミサイルが突き刺さる。一拍遅れて火球が広がり、燃え上がる破片を空へばら撒く。
光の壁をようやく乗り越えたところを見越して発射されたミサイルはパターンの特異点目がけて突進し、爆風と金属片の雨を浴びせかける
「チャーリー隊全滅! グレッチャー! 奇襲は失敗、繰り返す攻撃失敗」
鷲は舌打ちすると進路を基地へ向ける。
「責任は俺が取る。エコー全機ミサイルを投棄、離脱しろ」
魔女はマスターアームを投棄モードにセットし、発射ボタンを押す。鷲に付き従う3機のFS-04は対艦ミサイルを投棄する。
国民の平均生涯年収と同じ価格のミサイル16発が北の海に沈み、盛大な水柱を上げて自爆する。
「後方よりミサイル!」
3番機の報告に鷲は後ろ情報を振り返る。
上空を6発の中型ミサイルが通過してゆく。後ろ半分が外れ、折り畳んでいた回転翼を開いてゆっくりを回転を始める。
ミサイルは分裂しているのではない。不要になった部分を切り捨てているのだ。
「ブレイク!」
鷲の声が聞こえる前から魔女は左へのロールを始めていた。ミサイルを捨てて軽くなった機体は機敏に反応し、鋭くヴェイパーを吐きながら進路を変えてゆく。機体のすぐそばに光の壁が現れ、熱上昇気流で機体が激しく揺さぶられる。魔女は舵を取られないよう操縦桿をしっ  かりと握り締める。
レーダーがホワイトアウトし、光の壁に二番機が飲み込まれる。
「カナリエン機体損傷! クソっ何も見えない、脱出する!」
キャノピーが白変してゆき、翼端の後流で炎が渦を巻く。
「落ち着けカナリエン、脱出するな! タイミングを指示してやる。合図で脱出だ」
鷲は強い声で2番機を制止する。
「前方にもう一発! ブレイク!」
目視で新手のミサイルを確認した魔女が警告する。隊長機は素早く操縦桿を倒し、機体を滑らせながら広がる光のカーテンを避けるが、機体の左半分を炎が舐めた。エンジンが咳き込み、機体が大きく揺れる。
「左翼を掠ったが大丈夫だ、問題ない
炎を纏った左主翼を見た鷲は悔しそうに奥歯をかみしめ、ようやく灼熱地獄をくぐり抜けた僚機に視線を戻す。
「よし今だ、飛び出せ!」
2番機のキャノピーが閃光と共に吹き飛び、数瞬遅れて射出座席の


北海 ルドルフ空軍基地 201X年/11/19 13:02 特設待機室


続々と入ってくる絶望的な知らせと断末魔がスピーカー流れるたびに待機する隊員の間の空気が低気圧のやってくる前のように険悪になってゆく。
「おいおい、こいつは……」
烏は狼狽え、
「は、ハハ…」
黒猫は引きつった笑いを浮かべていた。
「ルドルフ救難隊は出撃せよ」
プレハブ造りの待機室内に命令がが下るやいなや、その場にいた全員が立ち上がってフライトスーツのジッパーをあげ、もしくは傍らに置いていたヘルメットを取り上げる。
「仕事の……時間だな」
黒猫が答える前に立ち上がった烏は扉を勢い良く開ける。泥と埃で薄汚れた雪がそれを受け止めた。
ところどころ欠けた岸壁の上で翼を休めていた海鳥がにゃあにゃあと抗議の声をあげながらスクランブルして道を譲る。
慌ただしくラダーを駆け上った二人は大きく手を振って合図する。
「だすぞー!」
ゼーヴィントの広く間隔をもって配置された二つのエンジンが低い唸りを上げてゆっくりと回転数を高めてゆく。
係留ロープが外され、縛めから解き放たれた海鳥は冷たい海へ漕ぎ出してゆく。
港湾にいる整備クルーや設備を吹き飛ばさないよう十分距離をとったところでアフターバーナーに点火して一気に速度をあげる。
「クレーエ、テイクオフ」
先に空へと上がった烏が後ろを確認し、フロートを格納する。
「カッツェ、テイクオフ」
黒猫もフロートとフラップをたたみ、高度を上げて後続の離水を待つ。
ヘリコプターでは遠すぎ、船では時間がかかりすぎる。
フラップを横断幕のように垂れ下げた飛行艇がエンジン音を轟かせてうねる波を乗り越えて加速してゆく。オレンジと白に塗り分けられた胴体にはゼーヴィント同様に紺地に白い北極星のマークが描かれている。
「ヴァール、テイクオフ」
6枚のプロペラが冷え切った空気をかき分けて後方へ投げ飛ばし、反動で40トンの巨鯨を懸命に引っ張る。
「ルドルフタワーより救難隊へ、味方の墜落地点は広範囲に分散。ロトハイムからも増援が来るそうだ」
重々しく高度を上げてきた飛行艇ゼーヴィントが翼を並べる。
「ヴァール了解。向かいます。」
3機だけの救助隊は燃料とエンジンの許す限りまでスロットルを倒して撃墜地点へ向かう。



黒煙を吹きながらやってくる3機のFS-04を確認した黒猫が翼を振る。
「クレーエ、カッツェ!」
魔女の声を聞いた黒猫と烏はそれぞれ胸をなでおろした。
「エコー隊、生き残ったのは君たちだけか?」
飛行艇の機長が問いかける。
「味方は散り散り、当機も被弾した」
鷲が静かに答える。その片羽は塗料が焼けごけて真っ黒に染まっている。黒煙を伴って空をゆくさまは堕天使といったところか。
「了解アドラー。ルドルフタワー、224飛行隊を目視で確認。1番機被弾」
半マイルほど離れたところを逆方向に向かって飛んでいく編隊を横目で追いながら機長が取り次ぐ。
「コピィ、緊急車両を待機させておく」
「頼む。アドラー、アウト」
通信を切った鷲は軽く操縦桿を左右に振る。不快な振動と金属板の軋みが聞こえた。
「クソッ」
ディスプレイ上で左翼の状態を確認して毒づく。部位ごとに設置されたセンサーからの信号は黄色か、一部は赤になっている。エンジンも黄色く点滅している。
どうやら先ほどの炎の壁は予想以上に厄介な物質を使っていたらしい。
エンジンの回転数は不整脈の心臓のように上がったり下がったりを繰り返す。
「頼むぜ相棒。基地まで寒中水泳は御免被る」



身も心も傷ついた鳥たちがようやく基地に帰り着いた頃にはもう空はオレンジ色に染まり始めていた。
「ヘクセ、エンテ。先に降りろ。俺は最後だ」
鷲は強く命令した。
「……了解。ルドルフタワー、誘導を」
魔女は静かに応答すると隊長機から離れて着陸に備えて進路を変える。
「ヘクセ、ランウェイ15 ウインド250、7ノット 視程8マイル」
機械的にフラップと脚を降ろし、降下時特有の風切音を伴いながらと降下してゆく。
その着陸を見ていた者は皆一様に彼女の焦りを感じた。いつもまっすぐに着陸するはずの魔女の機体はゆらゆらと揺れ、まるで訓練生の飛ばす練習機のようにオーバーコントロールと修正を繰り返している。
「ヘクセ、滑走路を塞いだら始末書だ」
見かねた場周飛行中の鷲が勇気づける。
「コピィ、OKエコー1」
それまで不安定だった揺れがピタリとやみ、魔女はいつもと同じように機体と滑走路をいたわるよう静かに接地した。
後続のもう一機も着陸し、魔女はエプロンへ機体を向かわせながら不安げに上空を航過する隊長機を見やる。
アドラーだ、ルドルフタワー、着陸許可を」
魔女はエプロンに機体を止めるとすぐにエンジンを切り、キャノピーのロックを解除して解放する。ラダーを滑り降りて近くにいたトラックを呼び止める。
「救助を手伝う、乗せて」
運転していた整備兵は頷くと。アクセルをふかした。魔女はバーを握り締め、黒煙を曳く傷ついた猛禽を見上げる。


アドラー、ランウェイ15 ウインド240、7ノット」
左翼に負荷をかけないよう大まわりに右旋回をしながら鷲は軸線を合わせて高度を下げてゆく。カナード翼は小刻みに動いて機体の安定確保のために空気の中を奔走する。
管制塔からの情報にあわせて機体をやや左に機体を滑らせながら機首をあげる。焼け焦げた複合材製のフラップもあと一回の着陸なら耐えられそうだ。
そのとき左エンジンが咳き込み、爆発音と共に炎を吹き上げる。機首が左下方に振られ、フライバイワイヤが限界までラダーを右に切る。
警告音が操縦室内に鳴り響く。スロットルを開きつつ機首を下げ、機体を水平に戻す。
灰色の滑走路が眼前に迫るが、十分に速度を回復する前に機首をあげようとすれば更に二次失速に陥る可能性もある。
ぎりぎりのところで立て直し、そのままの降下率で機体を滑走路に落とす。
「ぐっ」
呻きながらラダーを蹴り、雪に覆われた芝生へ機首を向ける。機体の振動が大きくなり、頭を上下に揺さぶられる。しばらくしたところでノーズギアが抵抗と振動で折れ曲がり、機首を地面にこすりつけながら機体は減速してゆく。
続いてメインギアも折れ、エアインテークからしこたま雪と泥をかき込んだところで機体は停止した。
燃料がほとんど残っていないことは幸いだった。わずかに漏れた燃料も雪に吸い込まれてゆく。待機していた消防車から消火剤が吹きつけられ。濃淡の青紫と灰色に塗り分けられた機体と黒く焼け焦げた左翼を白く塗りつぶしてゆく。
「今回は……さすがにやばかったな」
酸素マスクを外すと勝ち誇ったように笑みを浮かべる。キャノピーのロックを解除するが、もうハーネスを外して立ち上がる気にもなれない。
―俺は勝ったんだ。
キャノピーが開き、トラックに乗ってやってきた手すきのクルーや整備兵に引きずりだされる。
「隊長っ!」
鷲をのせた担架に目の端に涙を浮かべた魔女が駆け寄ってくる。押しのけられたクルーと軍医が顔を見合わせる。皆彼女の泣き顔を見るの初めてだった。
「お前もそんな顔をするんだな」
鷲は魔女の手を力強く握り返した。グローブ越しに感じる体温に魔女は安堵の息をつく。
「粗探しをしてくれる上官に死なれたら、困りますから」
暖かな皮肉とともに粗い毛布がかけられる。救護車に乗せられた鷲はいつになく穏やかな表情をしていた。







海面近くをフラップをいっぱいに下ろして右旋回しながら黒猫は生存者と残骸を探す。
「カッツェよりヴァール、何かの残骸を発見。ライアーのじゃない、そっちから南へ500メートルの地点だ」
洋上にそれまでに見たものとは異質な白い残骸を見つける。墜落ないしは撃墜された機体であれば塗料が焦げて黒くなっているか、迷彩模様かくすんだ空色に塗られているはずだ。
「了解。デルタ隊の最後の行方不明者を回収した。そっちの残骸はロトハイムの部隊に回収させよう」
黒猫はバンクを戻して次のシグナルの発信源へと向かった。
波間で揺れるミサイルの残骸には、中立国の軍産複合体の社名ロゴと、『昨日の敵を倒し、明日を守ろう』という物騒な標語が書かれていた。