Dawn of the Red(第18話)


王国 ヴィットムントハーフェン航空基地 201Y/3/18 05:01 


 移動命令から12時間後、魔女と鷲は本国の航空基地のブリーフィングルームに他の基地から集められたパイロットと共に座っていた。
 魔女はあくびを堪えて大きく息を吸い、所在無げに室内を見回す。見知った顔や同期のパイロットも何人か混じっている。
 魔女の隣では始まるまで仮眠すると言った鷲が腕を組んだまま静かに眼を閉じている。 何しろ移動後、3時間ほど休憩室のベンチで横になっただけでろくな休息を取っていない。魔女がドアの開く音に顔を上げると、いかにも叩き上げといった風体の中年の将校と、参謀らしき女性士官が入室してくる。
「隊長、始まりますよ」
「聞いてる」
鷲は魔女が起こすよりも速く目を開き、姿勢を正す。
「さて、諸君。話は聞いていると思うがついに共和国が宣戦を布告した。ライチェ少佐、状況説明を」
 基地司令に変わり、妙齢の女性士官が進みでて地図を指示棒で指しながら説明を始める。
「昨夜、国境を超えたものに留まらず、各地で大規模な共和国軍の部隊が確認されました。ポドラシェ地区は民間施設も含め、広範囲で攻撃に晒されています。非常事態宣言により全戦線に部隊を送ります。無人機による偵察により、共和国軍の高性能ジャマーも確認されています」
 味方の地上軍を示すマークが後退し、幾つかが消える。若いパイロットの何人かがざわめく。
「共和国軍は国境の主要な監視所を突破、現在アウトバーンを目指して進撃している」
 王国との国境を超えた赤いマークが南東に進み、地方都市の一つの色が青から赤に変わる。言うまでもなくそれは共和国軍によって制圧されたことを表している。
「恐らく67号線からビャウィストクを抜け、一気にワルシャワに攻め入るものと思われます。現在陸軍が民間人の避難誘導と防御陣地の構築に当たっていますが、敵の航空支援と支援砲撃が強力で、苦戦を強いられています……現在の戦況は以上です」
「詳しい内容については方面ごとに詳細な説明を行う。224,132,211飛行隊は北方面、その他の部隊は東方面だ」
「北方面の部隊はこちらへ」
 女性士官に手招きされ、鷲と魔女の他、8人のパイロットが腰をあげる。
「あなたたちの任務は陸軍第31中隊と後退して来る味方部隊の援護と敵戦車部隊の足止めです。31中隊はアウグストゥフに避難誘導のため展開している部隊で、南北に機甲部隊を送っているため戦車や砲兵の援護が全く得られない状況です」
 壁に貼られた詳細地図には何箇所かに味方歩兵部隊を示すマークが描かれている。
「そこであなた達には彼らと共に時間稼ぎをしてもらいます。恐らく北と東の道路沿いに進軍してくるはずです。東から撤退してくる味方の通過後、31中隊が橋を爆破、東から来る敵を足止めします。橋の破壊を確認し、地雷原の構築が終わり次第31中隊は西へ後退します。31中隊のコールサインはラズーリ1-3です」
「つまりは、だ」
 ライチェ少佐の説明が終わった所で鷲が口を開く。
「何でしょうヘンシェル大尉?」
「要は、俺達に戦車と偵察機の代わりをやれと」
 回りくどく説明された内容を過剰なほどにひとまとめにする。
「そういうことです」



「それにしても、よく半日でここまで集めたもんだ」
 駐機場に並んだ機体を眺めた鷲が感嘆と呆れの混ざり合った調子で呟く。その視線の先には対地攻撃の可能な機体がずらりと30機ほど並んでいる。
攻撃機はライアーだけですか? 海軍のVTOLが配備されていたはずですが」
 魔女は基地を見渡すが、濃淡の緑の森林迷彩、青紫と灰色の洋上迷彩、そして最新のデジタル迷彩の施されたものまで、並んでいるのはライアーばかりだ。所属基地を基地を示す尾翼のテイルコードも違う。
「ハチドリ連中はもっと東の方にいるとよ。対地攻撃か、久方ぶりだな」
「そういえば、以前…」
 魔女の言葉を鷲は遮る。
「対地攻撃は楽しいぞ。どっから弾が飛んで来るかわからんからな」
 鷲はおどけた調子で話すが、その目は空を飛んでいるときにものに切り替わっている。
「それ、全然楽しくありません」
「上は味方がしっかりガードしてくれるから俺たちは地上に集中だ」
 鷲はそう言うと機体に掛けられたハシゴをカンカンと金属音をたてながら登っていく。
 魔女もその右隣で翼を休めている愛機の操縦席に滑りこむと座席に金具で自分の体を縛り付け、機器の点検を始める。
 手信号で意思疎通をとった二人はそれぞれの機体の点検に戻る。
 魔女が爆音のした方を振り返ると、尾翼の影からデジタル迷彩に身を包んだライアーの第一陣がたんまりと誘導爆弾を抱え、ジェット燃料を気前よく燃やしながら飛び立つのが目に入った。
ネルケ3、4離陸を許可する」
 管制塔は早くも滑走路に入った次の二機に離陸許可を与える。
 戦略級輸送機の運用も見込んで作られたこの基地の滑走路は、大柄なライアーが二機横に並んでいても余裕を持って離陸できる幅を持っている。
 先ほど離陸していった二機が空中で編隊を組み直し、南東へ機首を向ける。国境を超えた共和国軍は数に任せて進撃を続けている。


東欧 アウグストゥフ市 201Y/3/18 06:13


 最前線からほど近い小集落では最後の民間人をのせたトラックが南東の都市へ向けて発車するところだった。
「身分証を拝見します……はい、確認しました。あ、おばあさん、荷物は我々が運びますから」
所々かすれた年金受給者の証明書を確認した兵士が老婦人にそれを返す。兵士は住民リストの最後の空欄にペンでチェックマークを書き入れ、老婦人の荷物を持ち上げる。
「兵隊さん、わたしゃもう長くないからいっそ最後まで見届けるつもりだったんだがね」
「まだ終わりませんよ、フラウ。我々が居ますから」
 上等兵の階級章をデジタル迷彩の戦闘服につけた兵が荷物を抱えてトラックに運ぶ。
「頼もしいね、爺さんの若い頃を思い出すよ」
 先の大戦と、それに続く冷たい対立と混乱と変革を見守ってきた老婦人の言葉が上等兵の胸に重く響く。
「さぁ、どうぞ。乗り心地は悪いですが安全は保証します」
 トラックに控えていた兵士に手を引かれた老婦人はゆっくりとした足取りでトラックの荷台にかけられた板を軋ませながら登る。
「これで最後か?」
「あぁ、そうだ」
 トラックに控えていた兵士が住民リストを受け取り、敬礼する。身分証を確認していた方の兵士は遠ざかるトラックを見送ると踵を返して本部へと駆ける。
 本部と呼ぶにはあまりにもお粗末なテントでは、指揮官が地図を恨めしそうに睨みつけていた。
「失礼しますランバート中佐、この地区の避難は完了しました」
「ご苦労ロートマン上等兵。無理だと思ったら後退しろ。全員に英雄気取りは不要だと伝えておけ」
 地図を眺めながら顔をしかめていたランバート少佐が顔を上げ、報告にきたロートマン上等兵をねぎらう。
――歩兵が200名、うち予備役が半分で、重火器は無反動砲と対戦車地雷だけ。砲兵による援護はなし、装甲兵員輸送車が3両……これでどう戦えってんだ? あのクソジジイ共のお陰でとんだとばっちりだ。
 心のなかで開戦へ踏み切った両国のトップ二人に対して毒づいた。
「少佐、空軍からアウグストゥフ防衛の指揮官宛です」
 無線機に張り付いていた通信兵がはっとしたように立ち上がり、ランバートを呼び出す。
「貸してくれ……はい、324中隊指揮官は私ですが? え? ……わかりました。おい! レーザー照準器とGPSは幾つある?」
無線機を耳に当て、二言三言言葉を交わした指揮官は近くにいた兵を呼びつける。
「各小隊に一台ずつあります!」
「よし、北と東に2基ずつ配置しろ。なるべく高くて頑丈そうな建物の屋上がいい。天使様が助けに来てくれるぞ!」
そう叫んだ指揮官の頭上を6機のFS-04が低く飛び越えてゆく。
「来たぞ! 航空支援だ!」
 轟音に気づいた兵士たちが立ち上がり、大きく空に向かって手を振る。主翼に描かれた北極星のマークが夜明けの太陽光を浴びて輝いていた。


 魔女は上空から市街の様子を素早く目視で探る。見える範囲には殆ど装甲戦力がない。2台ほど、灰色の都市迷彩に塗られた装甲車がいるだけだ。すぐに動ける機甲部隊は北と南に送られ、今ここを守っているのは歩兵だけだ。
――彼らを支援できるのは私達しか居ない。
「管制機エクリプセよりエコー隊およびヴォルフ隊へ、周辺空域はルクス隊が警戒する。市街地に敵を寄せ付けるな」
「了解。北からの敵はヴォルフ隊が受け持つ。エコー隊は東の道路を警戒せよ」
 濃淡の緑色の森林迷彩に身を包んだFS-04が緩く左旋回していく。
「ヘクセ、ついてこい。マスターアームオン」
 鷲の機体がわずかに右に傾いて機首を東南東へ向ける。魔女もそれに従い、戦闘準備を始める。
 マスターアームオン、レーダー、対地モード。FLIR、オン。機首下に埋め込まれた赤外線センサーが起動し、地上を素早く走査する。
無人機でそちらの索敵支援を行なっている。現在複数の車列がこちらへ移動中。発見次第そちらに伝える」
 管制機からの声に魔女が周囲を見回すと、瑠璃色の空に灰色の無人偵察機が貼りつけられたように飛んでいるのが目に入った。
「味方だ、赤外線ストロボを確認」
 赤外線で地上を捜索していた鷲が何かを見つけ、敵味方を判別する。魔女もサブディスプレイに表示された明滅を繰り返す車両を見つける。
「管制機、こっちに後退してくる部隊の周波数はわかるか?」
「チャンネル67のCだ」
「感謝する」
 管制機から教えられた周波数で鷲が交信を試みる。
「西進中の地上部隊、聞こえるか。こちらは空軍第224飛行隊、エコー1。現在そちらの上空を飛行中。我々が見えるか?」
「陸軍48小隊です、そちらを見つけました。国境警備隊と共にアウグストゥフへ向け移動中。間もなく橋を渡ります」
「了解した」
 鷲は高度を下げ、目視で後退してくる車列を確認する。どの車両も小銃弾になんとか耐えられる程度の軽車両ばかりだ。
車列は橋を渡り、更に西へと進んでいく。その頭上を低いエンジン音を轟かせながら二機のライアーが逆方向へ飛んでゆく。管制機から再び通信が入る。
「エクリプセよりエコー隊、そちらへ向かう車列あり。そこから南東へ10マイル。664号線をそちらへ向けて移動中」
「目標を確認した。先頭から潰す。ヘクセ、詰まった車列を後方から叩け」
「了解」
 鷲と編隊を解いた魔女は高度を上げつつ道路沿いに東進する。機首の赤外線センサーは戦車の排熱をはっきりとサブディスプレイに浮かび上がらせ、ヘッドアップディスプレイに四角く強調表示する。
アドラー、ライフル1」
 鷲の繰る機体の翼下か対地ミサイルが切り離され、車列めがけて猛ダッシュを始める。直撃を受けた戦車の砲塔が吹き飛び、砲身が畑に墓標のように突き刺さった
 混乱した車列の背後から大きく旋回して魔女が近づき、爆弾を投下して緩やかな旋回上昇に移る。鋭い風切り音を立てながら慣性誘導爆弾が指定された座標めがけて落下を始める。散開しようとする装甲車の側面にめり込んだ爆弾が起爆し、対空ミサイルを構えようと下車した兵士を粉砕し、金属片と血の混ざり合った破片へと変える。
 魔女が機体を水平に戻し終えた時、道路上の車列は爆風と破片で無残に引き千切られた肉と金属の墓場と化した。
 炎上する装甲車から何とか這いでた戦車兵が炎に呑まれ、恐ろしい絶叫を上げてのたうちながら息絶える。
「エコー隊、敵部隊が散開を始めた」
「わかった、へクセ、戦車は俺がやる。装甲車を狙え」
「了解」
 魔女はそう答えると麦畑を踏みにじりながら進む装甲車に狙いを定め、緩やかな降下を始める。カナードの付け根が鋭い風切り音を立て、目標を捉えたことを示す電子音が鳴る。
「ヘクセ、投下」
 再び二発ずつ誘導爆弾を投下し、旋回上昇で離脱する。片方は外れたが、もう片方の爆風をもろに浴びた装甲車が煙を吐いて停車する。
アドラー、ライフル1」
 鷲も対地ミサイルで戦車を仕留める。北の地平線上でも同じように森林迷彩に身を包んだ鳥たちが地上の車両をついばむように攻撃している。


「48小隊より324中隊、橋を渡った。爆破してくれ」
 橋を渡り終えた車列から通信が入り、ランバート少佐が頷く。
「了解。クラウス、10秒後に起爆だ」
 爆破を命ぜられた工兵が頷いて右手に起爆装置を握り、カウントを始める。
「3,2,1……爆破っ!」
 スイッチにのせた指に力を込める。電気信号が一瞬のうちに伝わり、橋に仕掛けられた爆薬が爆発し、橋をバラバラに破壊……するはずだが、橋は崩壊どころか、ヒビひとつ入らず川の流れの上に鎮座している。
「おい、どうした」
「起爆……しません!」
 何度もスイッチを押す工兵の顔から血の気が引いていく。
「なんだと?」
 ランバート少佐が起爆装置を取り上げ、もう一度スイッチを押し、何も起こらないことを確認すると大きく舌打ちをしてそれを地面に叩きつけ、無線機のマイクを握る。
「エコー隊、マズいことになった。橋の爆薬が起爆しない」
「こっちの爆弾で破壊しよう。橋の強度はどれくらいだ?」
「直撃すれば確実に破壊できるはずだ」
 橋の延長線上に機体の軸線を重ねる。こうすることで、前後に着弾位置がずれても左右のずれを修正するだけで済む。
「よし分かった、俺がやる。目標位置確認。エコー1、爆弾投下」
 鷲は爆弾が橋の座標を認識したことを確認して発射ボタンを押す。が、投下された爆弾は橋ではなく、橋のそばの農家の石垣に隠れて様子を伺っている味方の頭上を通り越し、すぐそばの築200年は経っているであろう納屋を粉々に吹き飛ばした。
「何してやがる! こっちは味方だ!」
 無線機から土塊と藁束を浴びせかけられた味方の悲鳴と罵声が流れる。
「エコー隊、それは味方だぞ!」
 ランバート少佐の怒りが無線機越しに伝わってくる。
「どうなってる? GPSが……共和国の連中衛星電波を妨害してるぞ」
 先程まで正常だったGPSで取得している自機位置が数秒おきにランダムにずれていることに気付いた鷲が驚きの声を上げる。
 理論上、GPS衛星と同じ帯域の信号をタイミングよく発信すれば受信機は異常な位置を表示させることはできる。だが、実際に遭遇するのは初めてだった。
「なに? そんな馬鹿なことが……くそったれ! これじゃ当たるものも当たらないぞ」
 手元のGPS端末で位置を確認したランバート少佐も口汚い言葉を吐く。
「隊長、レーザー誘導なら妨害されないはずです」
 それまで黙ってやり取りを聞いていた魔女が割り込む。
「まだ残ってるか?」
「一発だけ」
 魔女は胴体中央に残った爆弾の誘導モードをレーザーに切り替える。
「よしラズーリ、橋にレーザーを照射してくれ!」
「分かった、照射する。あの橋を渡られたら終わりだ。一発で決めてくれ」
 ランバートが教会の鐘楼に登り、レーザー目標指示器を構えた兵士に指示する。
「橋を空軍に吹き飛ばさせる。ど真ん中にレーザーを照射しろ!」
「了解です!」
 力強い返答と共にレーザー光線が橋に向かって照射される。
「レーザー確認。ヘクセ、やれ」
「了解、ヘクセ、投下!」
 鷲の声に魔女は短く答え、ヘッドアップディスプレイに表示されたレーザーマーカーをロックオンする、捕捉を知らせる電子音が鳴り、投下を促す。魔女は発射ボタンに乗せた親指に力を込め、主翼下に吊るされた最後の爆弾を投下する。
 鋭い風切り音を立てながら橋に突き刺さった誘導爆弾が爆発し、鉄骨に薄いコンクリートをコーティングしただけの簡素を橋をちょうど渡ろうとしていた不運な戦車もろとも崩落させる。雪溶け水の流れる冷たい川に大きな水柱が上がった。
「命中、橋の破壊を確認した! エコー隊、航空支援に感謝する。総員撤収」
 地上部隊から感謝の通信が入り、市街地から偵察車やトラックが脱出を始める。
「さぁ、諦めて帰りな」
 悔しそうに川岸で立ち往生する戦車に鷲が機関砲を撃ちこんで威嚇する。
「エコー隊、味方地上部隊が後退を始めた、任務完了。帰投せよ」
 すべての爆弾と対地ミサイルを使い果たし、身軽になったひとつがいのライアーは朝日に背を向け、本国の基地へと引き上げてゆく。完全に闇が払われ、水色に変わり始めた空を見上げた324中隊のほとんど全員が彼らに手を振り、魔女と鷲も小刻みに翼を振り返した。



アフリカ 201Y/3/20 9:47 ネオユニバーサルエンジニアリング社工場


 駐機場に並んだ怪物たちが、大きく口を開いて次々に運ばれてくるコンテナやパレットを呑み込んでいく。その中には歩兵用の暗視ゴーグルにはじまり、無人戦闘機の胴体に至るまでこの工場で最終組み立ての行われるほとんどすべての製品が詰め込まれている。
「サフォーノク君、ここにいたかね」
 ミハイルはその様子を一瞥すると、六発のジェットエンジンを翼下にぶら下げた巨大輸送機の食事会に背を向け、近づいてきた人影に向き直る。レイピアプロジェクトの主任技師が立っていた。
「あぁ、あんたか」
「スマンなぁ、あと10年、いや5年待ってくれれば光学迷彩を君の機にもつけてやれたんだが」
 ミハイルたちは慣熟飛行の合間に半ば強制的に種々の試作兵器や技術を見せられてきたが、光学迷彩は空中戦の常識をひっくり返しかねないものだった。特殊なコーティングを施した平板に電気信号を流し、周囲の環境をカメラで撮影してコインピュータで処理し、最適な迷彩パターンに変化させる。ほぼ一瞬のうちに切り替わり、周囲の環境と同化していく様子はさながらタコやイカといった海生生物のそれを思い起こさせた。
「あれがあれば空にあるかぎり君たちは無敵だったのになぁ」
 息子との約束を破った父親のように申し訳なさと無念さの入り混じった表情で技師は大きく肩を落とす。
「問題ありませんよ、ドクトル。そんなものがなくてもバリスタと99で十分です」
 漆黒のレーダー吸収塗料に身を包んだレイピアを見上げながらミハイルがたしなめる。
「まぁ、君たちなら大丈夫だろう。では、また今度合う機会があれば」
白衣を乾いた風にたなびかせながら技師は『暗黒大陸の電気街』へと帰ってゆく。また明日から別の試作兵器のテストにかこつけて遊んでいるようにしか見えない日常に戻るのだろう。
「隊長、もう間もなく予定時刻です」
 声のする方向に目を向けると、シェスタコフ中尉が飛行服に着替えて立っていた。
「……そうか。すぐに行く」
ミハイルは左手に目を向け、手首に巻かれた皇国製の頑丈さと無骨なデザインが売りの時計に目を向ける。重なりあった長針と短針は10時10分前を示している。静かに腕を下ろし、すぐそばの黒塗りの愛機を見上げる。
 機体サイズにしては細い機首下の金色にコーティングされた光学センサーは、高貴さよりも邪悪さを引き立てている。
「よし、帰るぞ」
「はい、隊長」
ヘルメットを被って機体に乗り込み、メインシステムの電源を入れる。機体各所を制御し、そのすべてを統括するコンピューターが次々に起きだして自分の受け持ち部位の異常の有無を自発的に確認し始める。
「後席、異常ありません」
「前席も問題なし。キャノピーを閉めろ。エンジン始動」
 漆黒の怪鳥は機体を微かに揺らしエンジンを起動する。精密機器と合金と複合繊維の塊は狡猾な捕食者へと姿を変えた。