黒鯨(第27話)

北海 ルドルフ空軍基地沖150マイル 201Y/5/3 11:28 N2K3 15-0327号機 "カッツェ"


紺色のゼーヴィントが水切りのように断続的にフロートを海面に叩きつけ、飛沫を散らしながら海面を駆ける。
三つのフロートそれぞれに緩衝装置がついているとはいえ、設計限界ギリギリの衝撃は波を超えるたびに操縦者を揺さぶった。
「くそっ、こんなんじゃ尻がミンチになっちまうぜ!」
「喋るな、夕食がお前のタンシチューになる」
こんな状況でも、二人のパイロットはユーモアのセンスを海に落としはしなかった。
「うごっ……なぁジーク、俺いま女の気持ちがわかったかもしれない」
「黙れ、あと10秒で投下だ」
二機の主翼下のハードポイントには黒く細長い物体が吊るされている。
「わぁーってる! 3,2,1……カッツェ、投下ぁ!」
「クレーエ、投下」
黒い物体が切り離され、軽くなった機体がふわりと宙に浮かぶ。
「いけぇえええ!」
黒猫はスロットルを全開まで倒し、アフターバーナーの熱で海面を沸き立たせながら離水する重い魚雷という枷から解放された機体は軽々と上昇していく。
烏の機体もフロートを畳んで水面を離れる。
四本の魚雷は一度大きく海面で跳ねてから水中に潜り、獲物の立てるスクリュー音へと向かっていった。
1分後、標的役の貨物船の船首と中央から巨大な水柱が上がった。竜骨が軋みを上げて砕け、海面を白く染めながら真っ二つに折れて沈んでゆく。


同時刻 ルドルフ空軍基地 作戦室


「すげぇな……皇国が特許を手放さないわけだ」
「これが、酸素魚雷……」
作戦室のスクリーンに映し出される訓練の様子を見ていた魔女と鷲は、スクリーンに映る映像に圧倒された。
命中から3分とたたないうちに標的の貨物船は舳先を上に向けて沈んでいき、残った僅かな浮遊物だけがそこに残り、船が居たことを伝える。
『クレーエ、カッツェ、状況終了。帰投せよ』
スピーカーから流れる通信が訓練終了を伝える。
『了解ルドルフタワー、帰投する』
『ドローンD-2、D-6も帰投します』
今日の訓練は本物の中古船を目標にした贅沢なもので、観測用に無人機が来ていることがそれを裏付けている。
やがてデータ収集を担当していた無人機からの映像も途切れ、作戦室に静寂が戻った。
「ふぅ……飯でも食うか」
「隊長、午後って空いてますか?」
大きく伸びをして食堂に向かおうとする鷲を魔女が呼びとめた。
「お前と同じく空いてるが、どうした?」
「お昼、一緒にどうですか?」
「飯ならいまから食堂に……」
そう言いかけた鷲の言葉を魔女が遮る。
「街の、です」
「あぁ、お前がよくいってるあそこか」
納得した鷲は魔女の誘いに乗った。


茶店「アスフォデロス」はいつものように、静かに佇んでいた。その周囲に並ぶ民家も以前と同じ姿のままだ。
「よかった……」
自分の目で街の無事を確かめたかった魔女は、久方ぶりに訪れた街が変わらぬ姿をとどめていることを知って安心し、表情を緩めた。
「市街地への被害は墜落した敵機の破片で一部家屋が倒壊、港湾地区に機銃掃射があったものの人的損害はゼロ。またひとつ勲章が増えるな」
「別に……勲章が欲しくてやったわけじゃありません」
――ただ、そうせずにはいられなかっただけ。
鷲の言葉に答えた魔女は心のなかでそう付け加えた。
「お邪魔します」
「いらっしゃい、お、珍しいね。お連れさんも空軍で?」
店主は
「えぇ、こちらはヘンシェル大尉」
「どうも。ヘル……えぇと」
「私も若い頃は陸軍にいましてね。しかし演習中の事故で腕をやってしまいましてね。それ以来この店で茶を汲んでおります」
「なるほど、それは……」
「狭い店ですが、どうぞごゆっくり。窓際の席は空いてますよ」
「よっ……と」
鷲は椅子に腰を下ろすと店内を改めて見回した。
――いい趣味だな。
落ち着いた内装と調度品。掃除も行き届いている。
「ここは何が美味いんだ?」
「紅茶は絶品ですよ。ハーブティーがおすすめです」
魔女はメニューの一番上にある飲み物の欄を指で示した。
「コーヒーはどうなんだ?」
「今月のコーヒーはブルーマウンテン。メニューをどうぞ」
店主は二人にメニューを渡し、テーブルの上に食器を並べていく。
「ブルーマウンテンか、悩ましいな」
「夜ならお酒もいろいろ出るんですけどね」
魔女は店主の言葉に付け加える。
「飛行前24時間は飲むなって規則に引っかかるだろ……よし、このポークプレートにする。お前は?」
「私はチキンプレート。飲み物はハーブティーで」
「あ、この野郎」
その意味に気づいた鷲は苦笑し、店主は伝票にさっと書き込むと厨房へと戻っていった。
『……前線は国境付近に近づいており、これについてバウアー将軍は『我々は一平方センチメートルたりとも共和国に領土を渡すつもりはない』とコメントしています。以上、ワルシャワからお伝えしました』
「陸の連中も随分と元気になったな」
魔女からミネラルウォーターの注がれたグラスを受け取った鷲はちらりとノイズ混じりのテレビに視線を向けた。
「緒戦でうまく立ちまわったみたいですね。それに、今はリーデル中尉もいますよ」
"狂鳥"ことリーデル中尉から魔女には三日に一度ほど無事を知らせるメールが届いている。携帯電話の数インチの画面が二人のパイロットを繋いでいた。
「あの腕っぷしの強そうな嬢ちゃんか。確かにあんなのこえーのが上空にいたら陸の連中も奮い立つだろうな」
「最近はあの下僕さんと熱々みたいですよ? ほら」
魔女は携帯電話のメールボックスから一番新しい受信メールを開いて鷲に見せる。
「ほう、あのランク少尉とか……ごっふ!」
そこに並ぶ文章を一目見た鷲は飲みかけのミネラルウォーターを吹き出した。
「ちょ! 隊長何やってるんですか、もう」
不機嫌そうな表情を浮かべ、魔女は押し付けるように鷲に紙ナプキンを渡す。
「げほっ……ごほっ……これを、くくっ……あのっ、リーデル中尉が、むぷぷっ……む、無理無理……くぁーっはっは!」
受け取った紙ナプキンで口元を拭った鷲は机を叩いて笑った。
「まぁ、私も見たときは口から角砂糖吐きそうになりましたけど」
画面には丸っこいピンク色の字体で『累積車両撃破数100両突破記念』と書かれ、ランカスター少尉に抱きつく狂鳥の姿が写っていた。
「あのリーデル中尉がねぇ……戦争が人を変えるってのは本当なんだな」
鷲が携帯電話を魔女に返すと、ちょうど厨房から両手にトレーを持った店主が出てきた。
「ほいお待たせ、ポークプレートとっ……チキンプレート。どうぞごゆっくり」
「どうも」
豚肉のソテーをひとくち口に入れた鷲の表情が変わった。魔女は僅かに笑みを浮かべ、自分もナイフとフォークを握った。
「美味いな……」
絶妙な配合のスパイスと塩加減が臭みを消しつつ肉本来の旨みを引き立て、溢れ出る肉汁が口の中にぱっと広がる。
鷲は無言で手を動かし、付け合わせのザワークラウトやジャガイモを黙々と口に運ぶ。
「なんだ? 食わないのか? ならもらうぞ」
「え、それ私のじゃないですか!」
真剣な表情で食事に集中する鷲の顔をぼんやりと見ていた魔女は鶏肉の香草焼きを奪われ、唖然とする。
「フフン、電撃戦だ」
鶏肉を堪能した鷲はしてやったりの表情を浮かべた。
「なら私も反撃します――っ!」
お返しに鷲のポークソテーを奪おうとした魔女のフォークが鷲のナイフに阻まれる。
「おぉっと、機動防御だ」
「ぐぅ……」
魔女は小さくうなり、目つきが険しくなる。
「冗談だよ、そんな怖い顔すんな。ほれ食え。美味いぞ」
鷲は自分のフォークで豚肉のソテーを一切れとり、魔女に突きつける。
「うぅー……ぱくっ……ん、美味しい」
魔女は店主が見ていないことを横目で確認するとそれに食らいついた。
「お、いらっしゃい」
ドアにくくりつけられた鈴の音に魔女は慌てて首を引っ込める。その頬はほんのりと赤みを帯びている。

「お姉ちゃんたち、夫婦なの?」
開口一番、ヨハンは衝撃的な言葉を口にした。
「なっ――違うの、お姉ちゃんたちは!」
「でも、さっきパパとママみたいに食べさせあいっこしてたよ」
「こら、ヨハン!」
意外なところで家庭の内情が暴露され、父親も狼狽える。
「それにおじちゃんと服がおそろいだよ?」
「あのね、ヨハン。これは制服で軍隊の人はみんなこれを着る決まりになっているの」
「お、おじちゃん……」
魔女が必至に誤解を解こうとする一方、鷲は純真で他意がないゆえに鋭利な言葉に心をえぐられていた。
――案外、子供の一言が最強の大量破壊兵器かもな。
頭を抱えながら鷲はそう思った。


翌日、魔女と鷲は作戦室ではなく司令室に呼び出された。
「君たちか。座ってくれ」
「で、どうしたんです? なにかまずいことでも?」
ソファーに腰を下ろすなり、鷲は率直に疑問を述べた。
「ここ数日、不審な機影がこの近くの海域で確認されている」
その答えはすぐにもたらされた。
「不審な機影?」
魔女も口元に指を当て、思い当たるフシを探す。
共和国に戦略爆撃機による偵察をこんな時にやる必要があるだろうか。
「そうだ。三日前から哨戒機がレーダーで捉えてるんだがすばしっこくてな。彼らの言うところによると船にしては異常に素早く、航空機にしては高度が低いらしい。司令部には報告してあるんだが知っての通り機体不足でね。君たちにも協力してもらいたい」
司令は机の上に広げた地図に×印をいくつか描き込んだ。
「どうにもきな臭い動きだ。北洋艦隊の攻撃型潜水艦の何隻かを見失ったという情報も上がっている」
潜水艦同士の隠れんぼは世界のあらゆる海で行われている。
哨戒機は潜水艦を探すのに忙しく沖合をふらふらと飛行するだけの妙な機体に関わっている暇などないのだろう。
「なるほど、それで我々の出番なわけですね」
鷲も納得したらしく、首を縦に振った。
「その通り。通常の飛行ルートよりも大回りに飛行して不審機の動向を探ってくれ。対空戦と対艦戦のどちらにも対応できるようにスウィングロール装備で出撃だ」
「了解しました」
二人のパイロットは敬礼し、司令室を後にした。
「隊長はなにか心当たりってありますか?」
格納庫へ向かう途中、髪をゴムで束ねながら魔女は隣を歩く鷲に問いかける。
「ないな。どうせネオユニの新型ミサイル艇かなんかじゃないのか?」
鷲はお手上げといった様子でおどけてみせた。
「あの会社、一体どれだけの兵器を共和国に……」
魔女はずらりと倉庫に並んだ最新兵器を思い浮かべ、さっと血の気が引くのを感じた。
だがいかに共和国が大国とはいえ、短期間にこれだけの新兵器を買うだけの金があるとは思えなかった。
――では、その資金はどこから?
株主総会にでも行って聞いてみるか?」
「いいですねそれ。背中にダイナマイトも括りつけていきます?」
「そのダイナマイトもネオユニ製ってオチだろう」
笑えない冗談を鷲が返す頃には二人ともフライトスーツのジッパーを一番上まで上げ、あとは機体に乗りこむだけの状態になっていた。


轟音と共に飛び立つ2機のFS-04を見送った黒猫がうらやましそうに呟く。
「今日も仲良く縄張りの見回りか。仲が良いこって」
「妙だな」
烏は2機の装備がちぐはぐなことに気づいた。
「なんかあったか?」
「隊長の機はともかく、ハヅキ中尉の機体、コルモランを積んでるぞ」
通常の哨戒任務で対艦ミサイルであるコルモランを装備していくことは有り得ない。
「何ぃ?」
「不審船でも出たかあるいは……」
数十分前の魔女と同じように烏は思案を巡らせたが、それは黒猫の声に遮られた。
「オレは共和国の新型ステルス艦に晩飯賭けるぜ」
「乗った。俺は新型飛行艇に賭ける」
「おし、賭け成立だな」
こうして上官二人の預かり知らぬところで一つの賭けが始まった。


北海 メインランド島沖150マイル 201Y/5/4 11:28 FS-04 14-1031号機 "ヘクセ"


――そういえば、こうやって飛ぶのも久しぶりか。
雲の下をかすめるように飛ぶ愛機の操縦席で魔女は思った。
開戦直後の三週間は本国の防衛に従事し、それが終わってホームベースが空襲を受け、激情のままに敵機を落としたのが半月ほど前。
そう思うと、ほんの一ヶ月あまりの期間に様々な事が立て続けに起こり、濃密な時間の中を生きていることに気づいた。
「エコー隊、こちら洋上哨戒機アルバトロス。例の不審な機影を捉えた。方位060、こちらから200マイル。高速で南下している」
「了解アルバトロス。ヘクセ、離れるなよ」
「ウィルコ」
魔女は頷き、鷲に続いて機体を旋回させた。
「レーダーコンタクト。11時方向」
鷲のコールから一拍遅れて魔女の機体もレーダー反応を捉えた。
大型の機影が2つ、かなり近い距離を並進している。
「隊長、動きが妙です。減速しています」
魔女は出撃前、レーダー画面に相対位置の変化から割り出す概算速度を表示するよう設定していた。いま、レーダー素子の走査に合わせて更新される速度情報は徐々に遅くなっていた。
「こっちとの距離も詰まってきてるな」
「艦影! 隊長、敵機の進路上に新たな艦影が出現しました」
甲高い電子音とともに、新たな脅威の出現をコンピュータが操縦者に伝えた。
「とにかく接近して確認する。警戒しろ」
「了解、バックアップは任せてください」
魔女はいつでも戦闘モードを切り替えられるよう操縦桿の上にひしめき合うボタンの一つに指をかけた。
機影は謎の艦影の近くで動きを止め、二人はレーダーを対空索敵から海上捜索モードに切り替えて敵に近づいていった。
「もうすぐ目視できる。俺はサーマルで探す……いたぞ、あれは……ヤストレフ型WIGだな」
異様に細長い胴体とY字型の尾翼、そして途中で切り落とされたように異常に寸づまりな主翼。鷲は機影識別リストの『大型航空機』の欄にある三面図とメインディスプレイに浮かぶ赤外線画像を見比べてそう結論づけた。
魔女は自分の目で2隻の表面効果翼艇を認め、その間に黒い物体が浮かんでいることに気づいた。
アドラー、海面に何か……潜水艦!?」
それが何かを先に理解したのは魔女だった。鷲はメインディスプレイの白黒の赤外線映像から目を離し、ちらつく視界の中に浮かぶ艦影に焦点を合わせる。
「あれは……攻撃型原潜だ!」
二人とも、自分で見るのは初めてだった。
大胆にも、敵は白昼堂々と潜水艦から燃料補給を受けていたのだ。これで突然消えたり現れる理由も理解できた。
「ヘクセ、コルモランは撃てるか?」
「いけます」
「よし、あの潜水艦を撃て!」
魔女の機体には高性能だが重い一三式のかわりに国産の遷音速対艦ミサイルを装備していた。
少々旧式だが、潜水艦に対しては十分すぎる破壊力だ。
「ヘクセ、ブルーザー」
ミサイルが発射可能になったことを示す電子音がなるやいなや、魔女は躊躇なく発射スイッチを押した。


「敵戦闘機接近!」
「急速潜行、いそげ!」
給油作業のため浮上していた潜水艦"カルーガ"の艦内に警報音が艦内に鳴り響き、艦上で作業を行なっていた乗員も慌ただしく司令塔の梯子を登って艦内に戻ろうとする。
「了解、急速潜行!」
「燃料ホースは捨てろ」
「強制排除。ハッチ閉鎖します」
これからまさに燃料を表面効果翼機に送り出そうとしていた燃料ホースは艦内からの操作でロックを強制解除され、一度も役目を果たすことなく海に沈んでいく。
「敵機ミサイル発射!」
「潜行急げ!」
敵機の発射したミサイルの一発は船体を飛び越えて巨大な水柱を上げたが、もう一発は船体後部に命中し、艦全体を揺さぶった。
「ミサイル区画に浸水及び火災発生!」
「消火装置を作動させろ」
艦長は被害報告する士官に怒鳴り、艦全体の状態を表示するモニターを見て苦い表情を浮かべた
。船体の後部が赤と黄色に染め上げられている。
「ダメです、電気系統もやられました。消火装置が作動しません!」
「やむを得ん、後部区画を閉鎖しろ」
「しかし艦長、あの区画にはまだ生存者が!」
士官は抗議の声を上げたが、艦長と目が合うと口をつぐんだ。
「同志、我々の任務は生きて情報を持ち帰ることだ」
「了解。閉鎖します」


海上に残された表面効果翼機もすぐにエンジンを始動し、その場から逃れようとする。
「敵機、離脱していきます」
敵機の立てる波が白さを失っていく事に気づいた魔女はすぐにそれを鷲に伝える。
「逃がすな。アドラー、FOX2」
鷲はすぐに海面の赤外線誘導の短射程ミサイルを発射する。
「くそ、フレアか」
敵機は絶妙なタイミングでフレアを放ち、ミサイルは囮につられて海面に没する。
「敵機、ミサイルを発射」
仕返しとばかりに敵機の背部に二本ずつ並んだ大型ミサイル発射機からぬっと白いものが飛び出し、真上に向かって上昇する。
どこか見覚えのある形状に、本能が警告を発した。
「まずい! ヘクセ、回避しろ!」
「りょ、了解!」
魔女が操縦桿を引いて敵機から離れた時、周囲がオレンジ色の光に照らされた。
アウロラ!?」
「あれに紛れて逃げるつもりだ、逃がすな」
また一つ、オレンジ色の光の壁がひろがる。
レーダーと赤外線センサーが大量のノイズに埋め尽くされ、誘導兵器のセンサーは頓珍漢な場所ばかりをロックオンしようとする。
魔女は悔しげに炎の壁を回避し、
――なら、狙わなくても当たる距離まで接近すればいい。
「ヘクセ、何してる!」
鷲の制止に構わず、魔女はスロットルを開いて増速する。魔女の機体の背後にもう一つ煉獄の花が咲く。
「敵機に接近し、機関砲で落とします」
敵機の尾部に取り付けられた銃座が瞬き、金属的な音とともに魔女の機体を機関砲弾が掠める。
「ヘクセ、ガンズ」
魔女も安全装置を解除し、敵機のエンジンに狙いを定める。
ライアーのストレーキから機関砲弾が飛び出し、敵機のエンジンに食らいつく。
敵機の機首から伸びた4連のエンジンポッドが火を吹き、バランスを失った怪物は右の翼を海面に取られ、身悶えするように海面上で転げ回って四散する。
「なんて無茶しやがる」
鷲も諦めずにミサイルで敵機を狙うが、タイミングよくチャフアウロラを撒かれ、またしてもレーダー誘導を妨害される。
「だったらこうだ」
鷲はスロットルを最大まで押し込み、上昇しながら敵を追い越す。
バックミラーに映る敵の影が羽虫ほどの大きさになったところでスロットルを緩め、機体を裏返して半宙返りの軌道を描いて敵機に向き直る。
鷲の意図に気づいた敵機は慌てて旋回で回避しようとするが、自重450トンの巨体はそう簡単には曲がらない。
アドラー、FOX3」
レーダーは敵の巨体をしっかりと捉え、主翼のランチャーから飛び出したミーティア対空ミサイルは敵大型機の機首に飛び込み、起爆した。
重いエンジンを失い、重量バランスを崩した怪物は大きく機首を上げ、急制動に耐え切れなくなった主翼が軋みを上げながらへし折れる。
「敵機撃墜を確認しました」
魔女は水柱を確認し、鷲の機体の右後ろの定位置に戻った。
「哨戒機にこのことを伝えるぞ」
鷲は機体を左右に傾けて周囲に脅威がないことを確認し、無線の周波数を切り替えた。
「エコー1よりアルバトロス、この海域に敵潜水艦を確認した」
「エコー1、正確な位置はわかるか?」
鷲はメインディスプレイを地図表示に切り替えて自機の位置を確認し、左手をスロットルから離してタッチパネルに触れ、表示領域をスクロールして接触のあった場所を探し出す。
「データリンクで座標を送った」
「情報に感謝する。アルバトロス、急行する」


北海 メインランド島沖150マイル 201Y/5/4 11:28 ニムロッド 07-1204号機 "アルバトロス"


ロイヤル製の対潜哨戒機であるニムロッドは改修に改修を重ねた結果、原型となった旅客機の美しいフォルムが吹き出物やミミズ腫れのようなアンテナやフェアリングで損なわれていたが、乗る者たちはそれを気にも留めていなかった。
「ソノブイ投下、3、2、1、マーク!」
胴体下部に設けられたソノブイのキャニスターから鈍く銀色に輝く円筒が投下され、冷たい海に着水すると同時に探査音波を放つ。
「次の地点に向かう」
機長は機体に無理をさせないようゆっくりと大柄な機体を傾け、次の投下目標地点に向かう。
ソノブイが敵潜水艦を捉えたのはそれから10分後だった。
「スクリュー音確認しました。音紋分析に回します!」
不審な波形を捉えたソノブイのデータはすぐに機体中央に鎮座するコンピュータに送られ、これまで海軍がかき集めた膨大な音紋データーベースに照らし合わされていく。
「出ました。オスカー級です。速度10ノットで北東へ移動中。深度50」
「やけに遅いな」
オスカー級であればあと20ノットは軽く出せるし、何よりこんな浅い場所には潜っているはずがない。
「エコー隊が何かダメージを与えたんですかね?」
「戦闘機がどうやって潜水艦を攻撃するってんだ」
攻撃を担当する兵装士官はソナー手に冗談か、とでも言いたげな顔を向けた。
――まてよ、エコー隊といえば。どこかで聞いたぞ。
「あの隊には"魔女"がいますからね」
――やはりそうか。
彼女がたった1機で8機以上の敵機とやり合ったという噂は北部方面の部隊には既に広まっていた。
「もう一本ソノブイを投下する」
新たなソノブイが投下され、波に揉まれつつも忠実に任務を遂行する。
「敵潜水艦、捕捉しました」


最初のピン音が船体を叩いた時から、艦長の背筋を冷たいものが伝い続けていた。狩人が傷ついた獲物を仕留めようとしているのだ。
「新たなソナー音です。近い!」
ソナー手の報告に、司令室内の空気がより一層重苦しくなった。
「振り切れるか?」
「残念ですが今の艦の状態では爆雷すら回避不能です」
「……そうか、ありがとう」
艦長はそう言い残して司令室の中央へと戻った。
8人の部下を犠牲にして稼げた猶予は一時間たらず。戦闘機が相手では2機のヤストレフも逃げ切れないだろう。
「通信士、衛星アンテナは使えるか」
「アンテナは無事ですが、浮上が必要です」
アンテナの状態を確認した通信士は頷く。
「50メガバイトの暗号化ファイルの送信にどれだけの時間が必要になる」
「理論値は100メガビット毎秒です。10秒あれば足ります」
艦長の問いに通信士はすぐに答えた。
「よし、浮上次第データをすべて司令部に送れ。それとこれから言うメッセージを添えてくれ」
「どうぞ」
「『発:北洋艦隊 潜水艦カルーガ 宛:北洋艦隊司令
ギリオチーナ作戦の支障になりうる水上戦力の阻止は可能。詳細は記録を参照のこと。
本艦は敵航空機の攻撃により中破。乗員に死傷者あり。現在哨戒機の追跡を受く。母港への帰港は困難と推測される。祖国に栄光あれ。
潜水艦カルーガ艦長 アンドレイ・サフォーノク大佐』以上だ」
艦長が口を閉じてから一拍遅れて通信士のキーボードを叩く指が止まった。
「確認願います」
「問題ない。送ってくれ」
入力された文章に誤りがないことを確認した艦長は満足げに頷くと通信士官の肩に手を置いた。
「艦内放送をつなげ」
「どうぞ」
士官はヘッドセットを外して艦長に手渡した。
「同志諸君。艦長のサフォーノク大佐だ。知っての通りこの艦は先ほど敵機の攻撃を受け、速力と静粛性が大幅に低下している。耐圧船殻も損傷し、現深度以上の潜行は不可能に近い。従ってこれより本艦は海面に浮上、全乗組員の脱出後自沈する、総員は速やかに退艦せよ」
異議を唱えるものがいないことを確認し、艦長は穏やかな笑みを浮かべた。
「そうだ。生き残って祖国のために戦ってくれ」
「艦長、私は残ります」
先任士官が一歩進み出た。着任以来ずっとコンビで戦ってきた戦友だ。
「先任、君は救命ボートに残り指揮を引き継ぐんだ」
艦長の言葉に先任士官は首を横に振った。
「艦長が着任なさる前から私はこいつに乗ってたんです。私が降りるのは艦長の後です」
「好きにしろ。兵装、対空兵器は使えるか」
「武器庫にストレラ対空ミサイルがあります。ピカピカの新品です」
ほとんど保険にしかならないはずだが、今となっては心強い。
「よし持ってきてくれ……それと私の部屋のベッドの枕の下に『特殊燃料』がある。取ってきてくれ」
「了解しました」
艦長室へ向かう部下を見送ったとサフォーノク大佐は大きく息を吸い込んで最後の命令を部下に伝えた。
「総員、浮上および緊急脱出に備えろ!」


「敵潜、メインタンクブロー音、浮上してます!」
ニムロッドの機内にソナー手の声が響く。
「トチ狂ったのか? コルモランに切り替えろ」
ニムロッドの腹に設けられたウエポンベイがゆっくりと開き、中に収まっていた対艦ミサイルが冷たい空気に晒される。
「ロックオン。アルバトロス、対艦ミサイル発射」
兵装士官が発射ボタンを押し、ミサイルが切り離される。
その時、敵潜水艦の艦首が一瞬だけ光った。
『ミサイル警報』
「なんだと!? 緊急回避だ、フレア放出!」
音声警告とともにアラーム音が操縦室に響き、機長は機体を急旋回させつつフレア放出を副操縦手に指示する。
胴体のキャニスターからフレアが放出されるが、それよりも早くミサイルがニムロッドの右翼を貫いた。
「第三第四エンジン火災発生」
「燃料遮断」
ミサイルはニムロッドの右翼付け根に埋め込まれたエンジン二基を一撃でガラクタに変えが、その大きな翼はいまだしっかりと空気を掴んでいた。
「キャビンの被害は?」
「軽傷者が数名。今応急手当をしています」
主翼の近くにいた何人かが破片を浴びたが、いずれも急所は外れていた。地上に降りて適切な処置を受ければ大丈夫だろう。
「一番近い基地はどこだ?」
「ルドルフです。あそこならここから30分でつきます」
地図から一番近い緊急着陸地を選んだ副操縦士が示す。
「アルバトロスよりルドルフタワー。機体損傷により緊急着陸を要請」
「ルドルフタワー了解。アルバトロス、状況を報告せよ」
「エンジン損傷。現在エンジン二基が停止。飛行には支障なし」
「了解した。救護班および消防チームを待機させる」
傷口から細かな破片を散らしながらアルバトロスは大きく右旋回し、陸地を目指す。
だが、彼らがルドルフ基地の滑走路に降りることはなかった。


艦尾に直撃弾を受けた潜水艦カルーガはゆっくりと傾斜していく。
「これで、おあいこだ」
命中を確認したサフォーノク大佐は硝煙をたなびかせるミサイル発射機を降ろし、遠ざかる救命ボートに目を向けた。全員が敬礼の姿勢のままこちらを見ている。
「巻き込んで済まなかったな」
「いえ、艦長のお側で最後まで戦えたことを光栄に思います」
先任士官は穏やかな笑みを浮かべた。
「飲むか?」
サフォーノク大佐は先ほど部下に取りに行かせた『特殊燃料』を取り出す。
「これは凄い。どこで手に入れたんです?」
ウォッカのラベルを見た先任士官は目を丸くした。娑婆では滅多にお目にかかれないプレミア物のラベルが貼られていた。
「息子の昇進祝いにと用意したんだが渡す機会がなくてね。このままサメにくれてやるのは勿体無い」
二人の戦友はお互いに笑いあい、盃を交わす。
彼らもまた、母港へと戻ることはなかった。