Dump and burn(第26話)

王国 バイエルン州上空 201Y/4/30 0:58 NFX-26 263号機


――無益だ。
 一定のエンジン音を響かせながら南西へ飛行するレイピアの操縦席で、ミハイルはそう思った。
 今回の任務は戦略的には全く価値のない、むしろレイピアを前線から引き抜くことを考えればむしろマイナスといってもいい任務だ。
 こんな場所を爆撃したところで前線には大した影響は出ない。せいぜい前線で戦う王国軍の兵士に支給される食事が新鮮な野菜スープから倉庫で埃をかぶっていた粉末スープに変わるくらいだ。
司令部機能を喪失し、指揮系統をかき乱されたワルシャワが陥落して5日あまりが経ち、王国軍はあらゆる戦線で共和国軍を追い出しつつあった。
 メンツを潰された共和国上層部は報復としてミハイルたちの隊にとある基地の爆撃を命じた。
『我々は帝国主義者の裏庭に爆弾を落とせることを証明しなくてはならない』
 作戦指揮官は出撃前のブリーフィングでそう説明していた。
 情報部の報告によると、ワルシャワ司令部を潰した部隊の中にはいつか新聞で見た勲章持ちも含まれていたらしい。
 高度なシステム化はそのうちに兵器同士の戦いにおいて個人の技量の介在する余地をすべて奪っていくというのに、彼らはただ"くそ度胸と運"だけでそれに抗っているのだ。
――皮肉なものだ。
 自分がシステム化された戦争の真骨頂であるレイピアに乗っていることを思い出し、ミハイルは自嘲した。
 彼には望むままに戦う剣も、それをサポートする優秀な助手も与えられた。
 だが、厳密な交戦規定とレイピアの持つ高度な機密性がそれを妨げていた。
 これではかごの中に飼われた猛禽。自由に飛ぶことも許されず、窓から悠々と飛ぶ野鳥を見上げているだけのブルジョワのお飾り。
 しかしワルシャワへの奇襲で全ては一変した。上層部はネオユニバーサルエンジニアリングの技術者たちの反対を押し切り、レイピアを積極的に攻撃に使うと決定した。
 ミハイルにとってこれは好都合だった。後ろから他国の技術で作られたハイテク兵器をちまちまと撃つよりも、前線に出て自分の手で結果を出したかった。
「少佐、まもなく作戦空域です」
シェスタコフ中尉の声にはっとミハイルは思索から戦場に呼び戻された。
後ろで情報の奔流に飲み込まれず的確に操作をする彼女こそ現代戦においては得難い人材だ。
「他の三機はどうしている?」
「問題ありません。99も追従しています」
横へ顔を向けると、暗視ゴーグルの緑がかった視界の中にレーダー吸収塗料で暗く塗られたMQ-99がぼんやりと浮かんでいるのが見えた。翼の下にぴったりと張り付いた誘導爆弾が出番を待っている。
「では始めよう。99に送る風向と風速のデータは?」
チェコ連合気象局のデータを使用します。作戦開始まであと30秒」
「わかった」
空は静かだった。月だけが静かに黒い怪鳥たちの群れを見下ろしている。
――雲が少ないのでドッグファイトでは少々不利かもしれないな。
ミハイルはそう思った。もっとも、レイピアを目視可能な距離まで接近できる航空機など存在しないが。
「3、2、1、作戦開始」
シェスタコフ中尉のカウント終了と同時に黒いレーダー吸収塗料に塗られたMQ-99がエンジンを切り、重力に身を任せて降下を始めた。
文字通り音もなく敵基地に忍び寄ったMQ-99で撹乱し、浮き足立ったところをレイピアが精密爆撃するのが今回のシナリオだ。


王国 バイエルン州 エルディング航空基地 201Y/4/30 01:00 南門


王国空軍エルディング基地は輸送機のオーバーホールに使われる基地で、南部の都市ミュンヘンに近く、民間機の航路とも重なっているために戦闘機は配備されず、飛来するのは主に整備の必要になったプロペラ輸送機だった。
内地にあることもあって対空兵器はそれほど設置されておらず、自走対空ミサイル車両が配備されているにとどまっていた。
「ふぁ……ねみ」
基地のメインゲートを守る兵士は大きなあくびをすると首をグルグルと回して凝り固まった肩をほぐした。時計の長針はさっき見た時から三目盛り分しか動いていない。今夜も長く退屈な夜になりそうだ。
「……あん?」
遠くから風切り音のような音が聞こえ、彼はライフルを構え直して詰め所から飛び出た。
周囲を見回すしていると、星空の中を何か黒いものがよぎり、ずんと腹に響く音とともに周囲が明るくなった。
空爆!」
彼が叫ぶ前に滑走路の中央から二つ目の火球が生まれ、エプロンに並んでいた輸送機の姿が赤く浮かび上がった。
すぐにけたたましいサイレンが基地中に鳴り響いてサーチライトが空に向けられた。車庫から消防車両が慌ただしく飛び出してゆく。
「滑走路に直撃弾!」
「ハンガー12と15で火災発生! 消火急げ!」
無線機から次々に怒号や罵声が上がる。
「レヒフェルト基地に連絡しろ。敵襲だ!」


「中尉、状況はどうだ?」
ミハイルに話しかけられたとき、シェスタコフ中尉は合計6枚のディスプレイに表示される無人機のコントロールウインドウを指先で操作して個別に攻撃を指示し、メインパネルに全体の状況を表示して戦況を確認していた。
「すべて計画通りです、少佐」
「敵の通信はどうだ? 相当驚かせたはずだ」
シェスタコフ中尉は通信傍受に割り当てたウィンドウを開き、傍受中の回線のいくつかに耳を傾ける。
「通信……ありました、王国空軍の航空機用周波数です」
「なんと言っている?」
ミハイルの命令を受けてリリアが王国語を翻訳するのに5秒かかった。
「レヒフェルト基地被害甚大、敵の航空攻撃と推測される。支援を要請する、と言っています」
彼女は数学にも語学にも長けていたが、酸欠気味の脳でそれを処理するにはいつもより長い時間が必要だった。
「なるほど、忙しくなるな」
ミハイルは短く答え、システムを空対空戦闘モードに切り替えた。


この騒ぎは瞬く間に王国軍のネットワークを通じて各方面、そして防空司令部に伝えられ、エルディング基地から80キロ離れたレヒフェルト基地にもスクランブルが命じられた。そこには本国防衛のため2つの戦闘機隊が駐留していた。
ミラン軽戦闘機がその日の夜間待機機体だった。
「タワーよりラーク隊、エルディング基地が攻撃を受けている。直ちに離陸せよ」
「ラーク1了解」
飛び乗るように操縦席についたパイロットが管制官に返答し、窮屈なコクピットに並ぶ計器を確認してエンジンを始動する。
「ランウェイ03クリア」
迎撃機のパイロットはスロットルを最大まで押し込み、アフターバーナーに点火した。
増槽一本と対空ミサイル六発を装備しただけの身軽な機体はすぐに離陸可能速度に達し、機首を上げて夜空へと飛び上がる。
「ラーク隊の離陸確認」
四つのエンジン炎を見送った管制官の手元の電話が鳴り、彼はそれ受話器を耳に当てた。
「はい、判りました。……防空司令部より最優先命令だ、オッター隊も発進させる」
別の格納庫で翌日の出撃に向けて最後の点検作業を行っていたFS-04にも出撃命令が下った。
「敵の正確な位置は不明。恐らく北部方面で報告された新型ステルス機と思われる。警戒せよ」
「どこにいるかも分からないだと!」
滑走路の端から5つ目の格納庫で大急ぎで兵装を取り付けられる機体のパイロットが無線に向かって怒号を浴びせた。


ミハイルの操縦するレイピア――に随伴するMQ-99のレーダーはすぐに離陸してくる機影を捉えた。
ミラン軽戦闘機4、こちらに接近してきます」
シェスタコフ中尉が言う前に電子音がその存在をミハイルに知らせていた。
「99を前に出せ。262、264は散開して基地を攻撃しろ。261、ついてこい。狩りを始めるぞ」
「了解」
ミハイルは編隊を二つに分け、片方に基地攻撃を指示すると怪鳥の持つ電子の目玉を哀れな小鳥に向けた。


それは空中戦と言うよりも一方的な狩りだった。
ミランに装備されたレーダーの出力では、レイピアを捉えることすらできない。
「くそ! 敵は一体どこにいるんだ!」
「ラーク3がやられた! レーダーには何も写っていないぞ!」
対してレイピアはMQ-99から送信されるレーダー情報を元にミサイルを発射し、次々に屠ってゆく
「261、残敵を掃討する。支援してくれ」
「了解」
幾つかの改良が施されたとはいえ、第4世代のミランと第5世代のレイピアでは格が違いすぎる。
レイピアの排気ノズルは外気と高温の排気を効率良く混合し、最高の推力を発揮しつつも熱探知を困難にさせるよう設計されているが、ミランはそうではない。
機首の下に装備された複合センサーユニットが冷たい夜空をかける哀れな犠牲者の発する赤外線をくっきりと捉え、操縦桿を握るミハイルに獲物の存在を知らせる。
――お前たちでは話にならん。
レーダー反応を示すトーン音が高くなり、攻撃準備が整ったことを操縦者に伝えた。
「263、発射」
レイピアの翼に設けられた奇妙な流線型の膨らみ――正確にはウェポンベイ――から飛び出したミサイルは折りたたんでいた小翼を広げ、ロケットモーターに点火した。
「敵機、回避運動をとっています」
エンジンに直撃を受けたミランが弾け、ささくれた切断面から燃料やオイルを撒き散らしながら堕ちてゆく。シェスタコフ中尉が撃墜を確認した。
「敵機撃墜」
――やはり軽戦では容易すぎる。あの魔女でなければダメだ。
「3時方向、低空より敵機が接近」
ミハイルはすぐに敵機のいる方向に顔を向ける。視線に追従してセンサーがそちらを指向し、敵機の姿を捉える。
レイピアの主翼に設けられた膨らみが再び開き、中から中距離ミサイルが飛び出す。
ロケットの噴射炎が一瞬レイピアの姿を照らし、すぐに遠ざかっていった。
「管制機! 敵は一体どこにいるんだ!」
「レーダーには何も写っていないぞ!」
姿の見えない敵機からの攻撃に迎撃機は一機また一機と闇夜に散ってゆく。
「逃がすな、261。後ろは任せる」
ミハイルは一気に降下して逃げるミランの背中に張り付き、敵機の未来位置と機関砲の弾道を重ねた。30ミリの金属塊が夜空を引き裂いて、また一つの魂が夜空に散った。
「この空域は掃討完了です、そろそろ他の基地からも増援が来ます」
「潮時か。99を2機以外全機残せ。撤収する」
「261、262、264へ、撤収します」
「了解」
「了解しました」
シェスタコフ中尉が他の三機のレイピアに指示を伝え、それぞれの機から返答が戻ってきた。基地に滑空爆弾の雨を降らせていたレイピアが残っていた適当な目標に残りの爆弾を叩きつけ、ミハイルの機を目印に再集合した。
残されたMQ-99は"主人"に背を向け、製造元の工場でインプットされたとおり手近なレーダー反応に向かって一直線に飛んでいった。


王国 ホルツドルフ航空基地上空 201Y/4/30 01:25 FS-04 11-0826号機"コンドル"


狂鳥はその日最後の出撃を終え、移動して三週間あまりになるホルツドルフ基地へと戻る途上にあった。愛機は月明かりに照らされ、雲の上を滑るように飛んでいる。
――綺麗。
思わず出そうになる感想をぐっとこらえ、地図とGPSで機体の位置を確認する。
後席のランクは中継点を通るごとに報告してくれるが、機長としての責任は全て自分にあるから、自分自身の目で確かめねばならない。
サブディスプレイの位置情報から予定よりも少し南に流されていることがわかった。これくらいなら降下するときに大回りでアプローチすれば問題は無いだろう。
電子音が鳴り、基地の発する誘導電波を捉えたことを知らせた。
「ホルツドルフタワーへ、こちらコンドル、着陸許可を」
「ホルツドルフタワーよりコンドル、ランウェイ21への着陸を許可」
離着陸する機体はないので許可はすぐに下りた。狂鳥は名残惜しげに暗視ゴーグルを下ろして青銀色の雲海に別れを告げ、ゆっくりと操縦桿を前に倒す。暗灰色の壁がすべてを覆い尽くし、機の受けた衝撃が彼女を幻想の世界から殺伐とした現実に引き戻した。
冷たい雨が、キャノピーにあたって弾ける。
ライアーの薄い翼が湿った空気を切り、エンジンの唸りが低くなった。
その時、広域周波数でノイズ混じりの無線が入った。
「……こちらオッター3、レヒフェルト基地……交戦中……レーダー……」
ジャミングによるものか、あるいは撃墜されてしまったのかは不明だが、はっきり聞き取れたのはそこまでだった。
「ランク!」
「レヒフェルト……ミュンヘンの基地だ」
ランクが素早く基地の情報を出し、前席のモニターに転送する。ここから30分もあれば到着できる距離だ。
「こちら防空司令部、使える機体はほとんど出払っている。オッター隊は別の編隊と交戦中。誰か不明機の追撃に向かえるものはいないか」
「こちらコンドル、ミーティア及びアイリスが使用可能、ホルツドルフ上空を飛行中」
「コンドル、燃料はあるか?」
「残量は1万8000、十分だよ」
燃料計を確認したランクが機内用の通話で残量を伝える。
「コンドルより防空司令部、いけます」
「よし、コンドルはエルディング基地上空の味方と合流し敵機を追跡せよ。進路180、空中管制機のコールサインは『エンディミオン』」
「了解、針路180」
狂鳥は操縦桿を傾け、機体をゆるやかに左旋回上昇させる。
再び雲海の上に飛び出したFS-04を月光が照らし出す。機首に描きこまれた真新しい戦車破壊マークが鈍く月光を浴びて輝いた。
狂鳥は暗視ゴーグルをはね上げる、ただ敵機のいる方向だけを睨みつけてスロットルを開いて機体を加速させた。


「こちら管制機エンディミオン。コンドル、貴機は当機の管制エリアに入った」
ホワイトノイズが途切れ、管制機からの通信が入った。
「管制に感謝します、エンディミオン。敵機の現在位置は?」
「最後に捕捉したのはレヒフェルト基地のレーダーだ。ミュンヘンの東北東に向けて飛び去っていく微弱な反応を確認したそうだ。ヴィットムントハーフェンからオイレが上がったが一番近いのは君達だ」
ヴィットムントハーフェンはここから遥か北西にある。いくらオイレに超音速巡航ができるといっても今からでは間に合わない。
「東北東? 次はワルシャワでも狙う気?」
「いや、前線にはこっちの管制機がうようよいる。通るなら多分……チェコ連合だ」
割り込んでくるランクの声はくぐもってはいるが少しのノイズも乗っていない。
「まさか! あそこは中立国でしょ?」
狂鳥は反射的にそう言い返してからふっと冷静になった。
王国南部を空爆した敵機がチェコ連合を通って逃げる――認めたくはないが、十分にありえることだった。
共和国から独立したとはいえ、人口の大半はスラヴ系住民で構成され、その中には王国に対して未だに憎しみを持つものも多い。
それにステルス機ならば『防空体制が貧弱だったので発見できませんでした』という言い訳も使えてしまう。
「ランク、レーダーの指向性と出力を最大に上げて。回路が焼けてもいい。見つけたらすぐに教えて。わたしはFLIRで探す」
狂鳥はランクにそう指示し、自分は赤外線画像をメインディスプレイに表示する。
エンディミオン、レーダー情報をそちらに転送します。チャンネルを指定してください」
「コンドル、Fの17につないでくれ」
「了解。Fの17、接続」
ランクはメインパネルを操作してデータリンクに接続し、自機のレーダー情報を共有を選んで決定する。
ライアーの背中に備えられた通信アンテナが情報の塊を遙か遠くを飛ぶ管制機に送りつける。


レイピアの鋭く裁ち落とされた翼が夜闇を切り裂く。4機のレイピアはV字編隊を組んでおり、その両端をMQ-99が固めていた。
「北方より敵機接近、接触までおよそ15分。パターン照合、FS-04が単機です。捜索用レーダーを作動させています」
MQ-99の捉えたレーダー情報をシェスタコフ中尉が読み上げてミハイルに報告した。
「さっき迎撃に上がってきた編隊か?」
ミハイルはワルシャワ攻防戦のときと同様に、エルディング基地爆撃を終えたMQ-99を置き土産としてさっきの空域に残していた。隣の基地から上がってきた増援の機体はそれで十分に足止めできただろう。
「いえ、この機体は北からまっすぐに南下して来ました。おそらくほかの戦線から飛来したものかと」
「国境までは?」
シェスタコフ中尉は生き残っているMQ-99の情報ウインドウに左手で触れてそれを最小化し、戦域の地図を最大表示にした。
「……あと10分です」
「なら、振りきれるな」
レイピアの巡航速度は音速を超える。王国軍でこの機体にまともに追いつけるのはFI-05だけだ。
国境を超えた後はチェコ連合に任せるなり99を進呈するなりすればいい。
――どうせなら連合とひと悶着起こしてくれてもかまわないのだがな。
どちらにせよレイピアが追いつかれる心配はないと結論付けたミハイルは敵機の存在を頭の隅に追いやった。
「連合の迎撃機、離陸しました」
「予定より早いな」
「どうやらあちらも王国軍の動向は逐一探っていたようです」
当然といえば当然だ。国境を直接接し、その上仮想敵国ときているのだ。
これでこっちを"血眼になって"探しているはぐれ鳥の心配をする必要はなくなった。
――あとはこのシートにお行儀よく座っていればいい。
ミハイルは満足げに息を吐くとシートの角度を深くした。空戦は満足がいくほどの興奮を彼に与えてはくれなかったが、肉体は休息を必要としていた。


「だめだ、ミリィ。間に合わない」
ランクは焦っていた。ライアーの機首のレーダーと管制機からのレーダー情報を組み合わせることで敵機の位置はわかる。だが反応は弱弱しく、今にも消えてしまいそうに見える。
アフターバーナーを……」
さらに悪いことに、敵機はこちらよりも速く、攻撃のチャンスは彼我の針路が交錯する一度しかない。そのうえこちらの翼下にぶら下がっているミーティア空対空ミサイルは二発しかないときている。
エンディミオンよりコンドル、レーダーに新たな機影、そちらから見て2時の方向、低空だ」
「何だ?」
ランクはデータリンクで送信されてきたレーダー反応を見て首を傾げる。反応は二つ、高度を上げながらこちらに接近してくる。
「2時方向の編隊はラーストチュカ、おそらくチェコ連合の迎撃機だ」
「国籍不明機へ、貴機は我が国の領空に接近しつつある」
「嘘でしょ、早すぎる」
無線から流れた敵愾心むき出しの警告の声に狂鳥は狼狽えた。
――まずいな。
ランクは背中を嫌な液体が伝うのを感じた。この位置関係で発射すれば、例のステルス機に命中する直前にミサイルはチェコ連合の迎撃機の鼻先をかすめることになる。
エンディミオンへ、敵機をミーティアの射程内に捉えた。発射可能」
悪いことは重なるもので、連続した電子音が敵ステルス機の反応を捉えたことを狂鳥に伝えた。
「コンドル、射撃中止」
「冗談でしょ!?」
管制機からの指示に対する彼女の怒りがレシーバーを介してランクにも伝わった。
「ダメだ、ミリィ。今撃ったらミサイルはチェコ連合機の目の前を通る」
「そのとおりだ、リーデル中尉。第三国への挑発行為は慎め」
「繰り返す、貴機は我が国の領空に接近しつつある。早急に針路を変更されよ」
近づいてくるチェコ連合機、逃げるステルス、撃つなと命じる管制官
「どうする?」
狂鳥は爆発しそうになる感情を抑え、後席に乗る"良心"に尋ねた。
「どうするも何も、この状況で騒ぎを起こしたらスラヴ圏全部が敵になるよ」
「……ごめん、ランク。わたしの代わりに詫びいれて。210で離脱するから」
チェコ連合軍機へ、こちらは王国空軍機。領空侵犯の意思なし。繰り返す、こちらに領空侵犯の意思なし。速やかに方位210に進路を変更します」
返事も復唱も省略して、ランクは送信周波数をチェコ連合機のものに合わせて敵意がないことを伝えた。戦争が始まる瞬間に二回も立ち会いたいと思うほど彼は愚かではなかった。
「Scheiße!」
狂鳥は無線機と機内通話につながっていないことを確認し、とても女性とは思えない口汚い捨て台詞を吐いた。ランクにはエンジン音にかき消されて聞き取れなかったが、彼女が怒り狂っていることはその声量で判った。機体は西北西に機首を向け、怒れる操縦者の心を移すように翼を震わせた。