ボーイミーツガンファイター(第1話)


「なぁ坂戸、お前もう入る部活は決めたのか?」
「いんや? そういうお前こそどうなんだよ」
俺と大山はキャンパスを二人並んで歩く。
入学から五日目、昨日から部活動の勧誘活動が解禁された学内は新歓ムードの熱気で春だというのに夏のように暑い。
「いかがっすかー! 新聞部いかがっすかー! 今入部すると洗剤あげますよー!」
「や、結構です」
やたらと活気のある新聞部員を丁重にお断りして中庭を進んでいくと、昨日まで何もなかった中庭に白くて大きなものが鎮座していた。
「何だぁ、あれ?」
「お?」
大山もそれに気づいた。
「飛行機? グライダー?」
どちらとも違う、不思議な形をしていた。飛行機ならもっと大きいはずだし、グライダーにしては翼が短い。
「お前知らないのか? あれはLUPだ」
「るーぷ?」
聞いたことのない名前だった。
「Lightweight Utility Plane 軽量多目的航空機さ」
「なんか日本語にすると強そうな名前だな」
そんなことを大山と話していると、後ろから声をかけられた。
「君達、これに興味あるの?」
女の人の声だった。
「!」
俺と大山は振り返り、息を呑んだ。端正な顔立ち、長い黒髪。優しげな視線をこちらに向けて女の人が近づいてくる。
「君たち、もしかして一年生?」
女の人は穏やかな笑みを俺たちに向ける。
「あ、ひゃいっ! 俺、坂戸っていいます! こっちはポチ……じゃない大山」
噛んだ。とてつもなく恥ずかしい。
俺が頭を下げると隣の大山もぎこちない動きで女の人に頭を下げた。
「部活見学の一年生だね。私は十条紗季。これに興味があるの?」
十条さんはそう言ってLUPに目を向けた。キャノピーが太陽の光をキラキラと反射して眩しい。
その中にある操縦席には窮屈そうな座席が二つ、縦に並んでいた。
機首から生えたアンテナのような部品には赤いキャップが被せられ、そこには『REMOVE BEFORE FLIGHT』と英語で書かれた赤い帯がぶら下がっている。
「これはNU-07、皆が『ゼロセブン』と呼んでいる練習用の機体。操縦に癖がないからこれで大会に出るパイロットも多いの」
「大会? 曲技大会とかがあるんですか?」
「んー、正確にはちょっと違うけどまぁ、そんなようなものかな」
十条さんは少し悩んでからそう答えた。
「そうだ、今週末に体験搭乗会があるんだけど、来る?」
そう言うと十条さんはトートバッグからはがきを取り出して、俺と十条に渡した。
『JSLA主催 LUP体験搭乗会&デモフライトのご案内』
そう書かれたはがきには会場への行き方と周辺地図が印刷されている。
「今日は皆都合が合わなくってね、体験搭乗会には他の部員もくるんだ。いい奴ばかりだぞ」
十条さんはニッコリと微笑む。
「入部しなくても、タダ乗りだと思って来てもらって構わないから、ね?」


そして週末、俺と大山はバスに揺られて地図にのっていた飛行場へ向かっていた。
大昔の戦争で陸軍が作った飛行場を利用して、今は学生や趣味で軽量航空機を楽しむ人向けに開放しているらしい。
「おい坂戸、アレ見てみろ」
「お?」
三角形の先端を伸ばしたような形をした影が上空を飛んでいく。
「アレもLUPだぜ」
三角形の影はゆっくりと高度を落としながら旋回して街路樹の影に隠れてしまった。
「へぇ、いろいろあるんだな」
『次は飛行場入口、終点です』
感心してるうちにバスは目的地に着き、俺と大山は硬貨を料金箱に放り込んでバスを降りた。
甲高い音を立てながら、頭上をさっきの灰色の機体が横切る。高度が低いのは滑走路が近くにあるからだろうか。
「すげぇ音だな」
「アレ、ジェットじゃなくてモーターなんだぜ」
「へぇ、てっきりジェットエンジンかと思ってたけど」
中庭で見たLUPの胴体にはジェット戦闘機のような穴が開いていた。あそこから空気を取り入れているのはなんとなく想像できる。
「正確には電動ダクテッドファンだな。ラジコンなんかと同じだ」


滑走路につくと、こちらに気づいた女の人が大きく手を振って僕らを呼んだ。
「やぁ、坂戸くんに大山君、こっちだ!」
「「十条さん!」」
聞き覚えのある声に俺と大山は同時に答える。
「ここが我々の普段使っている練習場。疲れただろう、体験搭乗の前にお茶でも飲みながら話をしよう。部の皆もいるぞ」
「はい!」
「喜んで!」
俺と大山は十条さんの後について芝生の上を歩く。
「思ったより広いんですね」
「ここはまだ狭いほうかな。熊谷の方まで行くともっと広いところもあるから」
「へぇ……」
甲高い音を立てて別のLUPが離陸していく。
「あれ、胴体が三本ありますよ!?」
離陸していく機体は翼のあたりから細い胴体が二本生え、その先に尾翼がついていた。
「あぁ、211か。あれはパワーがあって結構すばしっこいんだ」
「確かファンの直径が大きいんですよね」
大山がいつ調べたのか、LUPに関する知識を披露する。
「よく調べてるね。そのとおり」
「お前いつそんなの調べたんだ?」
「この間家帰ってすぐに検索した」
どうだ? と言わんばかりの表情を浮かべる大山に、
「勉強熱心なのはいいことだよ」
と十条さんが微笑みかけた。


「みんな、見学希望者を連れてきたぞ」
十条さんの合図で機体のまわりで作業をしていた先輩たちが集まってきた。
「坂戸といいます、よろしくお願いします」
「大山です、坂戸とは一緒の学校でした」
俺と大山は先輩たちに頭を下げる。
「ほほう、同期の桜か」
「土井さん、そういう花と散りそうなこと言わないの」
メガネをかけた頭のよさそうな男の先輩に、別の先輩がツッコミを入れる。
が、あまりフォローになっていない気がするのは俺だけだろうか。
「まぁまぁ、せっかく来てくれたんだし、はやく飛ばせてあげようよ」
「ダメよ永田さん、まずは同意書を書いてもらわないと」
永田さん、と呼ばれたカーゴパンツを履いた活発そうな女の先輩が早速飛ぶ準備を始めようとしたところを十条さんが止めた。
「同意書?」
俺と大山は顔を見合わせる。
「怪しいものじゃないから安心して。壺を売りつけたり傭兵契約をする訳じゃないから。奏さん、例のものを」
「はーい。じゃ、これ全部に目を通して下に住所と名前を書いてね」
永田先輩は俺と大山に紙を渡した。
「あの、これ『死亡』とか『怪我』とか物騒な単語があるんですが」
ざっと目を通しただけで三つくらい物騒な単語があった。
「うん、あるね」
要約すると、同意書には『私は偶発事故に対して責任を追求せず自己責任で搭乗します』というような文章が書かれている。
「事故るってことですか?」
「事故そのものがすごく稀だけど、一筆書いておけば保険が降りるよ」
永田先輩はさわやかな笑顔でそう言った。
「……書きます」
書き終わった同意書を十条さんに渡す。
「うん、問題ないね。クロスチェック」
同意書を一瞥して頷いた十条さんはそれを隣の土井さんに回す。
「不足なし」

「じゃ、飛ぼうか?」
さも当然、といった調子で永田先輩はLUPを指差す。
「二人共きたばっかりで疲れていると思うんだけれど……」
心配そうな十条さんの声に構わず、永田先輩は俺の背中を押して機体の方へ歩き出す。
「飛んじゃえばそんなの構わないって。じゃあ坂戸くん、この機体に乗って。後ろの席ね」
「え、あ、はい」
先日中庭に展示されていたLUPの座席には座布団が置かれている。
意外と操縦席への高さがある。よじ登るにはちょっときつい。
「紗季せんぱーい、この人達って乗り方教えてます?」
ビールケースを抱えた永田先輩が何かの書類を読んでいる十条さんを呼ぶ。
「まだだから、教えておいて」
「りょーかい」
「ええと……」
「今お手本を見せるから覚えてね」
永田先輩は機体のすぐ横にビールケースを置き、座布団をどける。
なるほど、このビールケースは踏み台代わりに使うのか。
「こうやって一旦座席に足を乗せるか、縁のところにおしりを載せて、足は前の方に入れてね。乗ったらシートベルト締めるから」
「やってみます」
永田先輩の見せてくれた通り、一旦操縦席の縁に尻を乗せ、足から操縦席に乗りこむ。
「乗れました……思ったより窮屈ですね」
「これでも外国製で広いんだけどね……っと、飛行中に揺れて飛び出すかもしれないから、胸ポケットにあるものは出しておいてね」
俺にシートベルトを装着していく永田先輩が胸ポケットに入れっぱなしの携帯電話に気づいた。
「ズボンのポケットに入れておけば大丈夫ですか?」
「うん、とりあえず浮き上がったりしなきゃ大丈夫だから」
言われるがままにズボンのポケットに携帯をねじ込むと、足元にある水道管のような太いパイプが目に入った。
「この足元にある黒いパイプみたいのはなんですか?」
「あぁ、それはマガジ……今日は使わないから気にしないで。もし邪魔なようなら外すけど」
何に使うかは分からないが、飛行に必要というわけではないらしい。
「や、大丈夫です」
「そう? じゃ、キャノピー閉めるね。手は膝の上に置いたまま周りの物には触らないで」
永田先輩は僕の座る後席のキャノピーを閉じると、ビールケースを前へ動かしてさっと操縦席に体を滑り込ませてシートベルトを締める。
「土井さーん! ビールケース引っ込めてくれる?」
「はいよ」
呼び出された土井先輩が永田先輩の使ったビールケースを抱えて機体から離れていく。
「意外と本格的なんだ……」
計器盤には液晶画面とアナログ計器がいくつか並んでいる。
「前席はタッチパネルディスプレイ搭載なんだよ」
「ほんとだ」
前席にもカラー液晶ディスプレイがはめ込まれている。おもちゃっぽい外見の割に中身は意外にも先進的だった。
「動翼よし、電圧400、計器正常」
永田さんは計器をひとつひとつ指差し確認していく。さっきまでの軽い感じではなく、しっかりと通る声で数字を読み上げていく。
「ランウェイアルファ、ゼロセブン、自力発航」
「アルファはクリア。発航可能」
無線からは土井さんの声が聞こえた。あの人が管制しているのだろうか。
「ランウェイクリア、永田さん、離陸オーケーよ」
「了解!」
十条さんの言葉に元気よく応えた永田さんは前席の操縦用の道具を色々と操作する。
「モーター始動!」
背後から、モーターが回り始める甲高い音が聞こえる。機体がゆっくりと動き出す。
「じゃあ坂戸くん、いっくよー!」
「は、はい!」
「リヒートオン! マックスパワー!」
永田先輩の掛け声とともにドン、と背中を叩かれるような衝撃が走り、座席の背もたれにグッと押し付けられる。
「うおああああ!?」
「上昇ーーーーーっ!」
視界が青一色になり、さっきまで横を流れていた緑色の地面がすっととけるように消えていく。
「す、すごい! 飛んでる!」
機体は上昇を続け、背後で地面の人影がごま粒のように小さくなる。
「高度800メートル。こんなもんか」
永田先輩の操作で機体はゆっくりと水平に戻る。
「どう? 上空800メートルの景色は」
永田先輩は左腕で何かのハンドルを回しながら問いかけてきた。
「す、すごいです!」
左右を見渡し、初めて見る空からの景色を言葉にしようとしてもどう表現すればいいのかわからない。
「ふふふ……こんなもんじゃないよ?」
「うわわわわっ!?」
いきなり天地がひっくり返り、"頭上"に地面が広がった。


「あーあ、永田のやつやっぱりやりやがった」
背面飛行する機体を見上げた土井が呆れたようにため息をつく。
「奏ちゃん、去年あれを上野先輩にやられたんでしょ」
「いや、上野さんはもっとひどかった。永田ちゃんが泣きながら降りてきたのを俺は覚えてるぞ」


「はっはっは! どうだ坂戸くん! 気持ちいいだろう?」
体は複雑な軌道を描いて空中をあっちこっちに飛び回る。
そのたびにシートベルトが体に食い込み、体が浮き上がる時のぞわっとした不快感が背筋をなぞる。
「めっちゃ気持ちいいです!」
でも、それ以上に空を飛んでいることが心地いい。
地上に降りるまでの15分間、俺は永田さんと一緒に笑いながら空を飛んだ。


地上に降りるなり、俺は心配そうな顔をこちらに向けていた十条さんに駆け寄る。
「十条さん、俺! 入部します!」
「一回飛んだだけなのに……もっと考えてからでもいいんだよ?」
でも、答えは変わらない。
「こんな面白いことないです! 俺入ります!」
「……わかりました」
まわりの先輩たちも頷く。十条さんは優しく俺の右手を握った。
「坂戸くん、あなたを我が空戦競技部の新入生として歓迎します」


――ん? 航空部とかじゃないのか? 
その疑問がわかるのは、もう少し後になってから。