ガンファイターヒストリー(第2話)


体験搭乗の次の週、俺と大山は言われたとおり放課後に空戦競技部の部室にやって来た。
「お邪魔します……」
「いらっしゃい」
部室にいたのは土井さんだけで、ほかの先輩たちはまだ来ていないようだった。
「どうも土井さん、あれ、他の人達は……?」
「永田は委員会、十条さんはまだ大学だろうな」
土井さんは読んでいた本を閉じると大きく伸びをした。
「えっ、十条さんって……大学生!?」
てっきり三年生かと思っていたが、違ったらしい。
かなり大人びた雰囲気がしていたが、まさか大学生だったとは。
「聞いてないのか?」
肩をぐるぐる回してほぐしながら土井さんが意外そうな表情を浮かべた。
「聞いてないも何も新歓のとき制服着てましたよ!?」
「まぁ、あの人も変わってるからな」
土井さんは苦笑しながら読んでいた本のページを再び開いた。ちらりと見えたページには難しそうな数式が並んでいる。
「チクショー、十条先輩と制服デートする俺の夢が!」
本気で悔しがる大山。体験飛行の時に十条さんの操縦で飛ぶことになって嬉しそうにしていたのはそういう理由だったようだ。
「お前さぁ……」
「十条さんはガード固いぞ。高校の時は『鉄の女』って呼ばれたらしい」
ふわふわした感じの人だと思っていたが、案外そうでもないようだ。
「怒らせるとゴリゴリ心をえぐってくるから気をつけろよ」
――怒らせないようにしないと。
「大学の授業って何時までかわかりますか?」
大学と高校では当然ながら授業時間が違う。土井さんなら知っているかもしれないと考えて訊いてみる。
「あと15分くらいだな。委員会も多分その頃には終わってる」
土井さんは腕時計に見てそう答えた。
「半端だなぁ……」
売店でもいくか?」
何かするには短いし、なにもしないでいるにはちょっと長い。
「あ、俺もちょうど喉乾いてたんだ」
大山と目が会い、お互いにニヤリと唇の端を上げた。こういう時にぴったりのゲームがある。
「お、やる?」
「やろう」
俺は大山の誘いに乗った。
「あの、土井先輩」
「ん」
「そこのダンボールに突っ込まれてるチラシって使ってもいいですか?」
さっきから大山が興味深そうに見ていたダンボールの中にはチラシが無造作に突っ込まれている。
「あぁ、使っていいぞ」
「ありがとうございます」
大山は机の横のダンボールから癖のついていないチラシを一枚取り、机の上に広げる。
「なに賭ける?」
「レッドイル」
大山がチラシに折り筋をつけながら演技がましく英語風に発音したのはとあるエナジードリンクのブランド名だ。
「よし、2本先取な」
「上等だ、逃げ切ってやんよ」
大山が紙飛行機を折る間に勝負の条件は次々に決まっていく。ルールは単純。片方が紙飛行機を飛ばし、もう片方が輪ゴムでそれを撃ち落とす。先に二回当てるか回避に成功した方の勝ち。
「紙飛行機……ヘソか」
土井さんは大山の作っている紙飛行機に興味を持ったのか、本をひっくり返して机の上に伏せる。
「おし、いくぞ」
「ようし来い」
俺はいつもポケットに入れている輪ゴムを指にかけ、大山の視線の先に向ける。
「なるほど」
土井さんは顔をこちらに向け、これから紙飛行機を投げようとする大山と俺の手元を見比べて納得したように頷く。
「えいっ……あぁ、くそっ」
ピシッ。
大山の手を離れた紙飛行機の胴体部分に吸い込まれるように輪ゴムが当たり、紙飛行機はゆらりとバランスを崩して床に落ちた。
「ほう、軌道を読んだのか」
土井さんがぼそっと呟いた。
「まずは一本」
「次は食らわねぇ、見てろよ?」
紙飛行機を拾い上げた大山は背中で俺から見えないようにしてから翼を少しいじった。
「あ、外した!」
「必殺、クルビット機動だ」
二投目、俺の放った輪ゴムは紙飛行機のすぐ下をかすめて壁にあたった。
大山はどうだ、と言わんばかりにしたり顔で紙飛行機を拾い上げた
「ただの宙返りだろ。次は落とす」
スコアは1対1。次の一投で勝負が決まる。
大山は再び翼を弄り、右腕を振りかぶった。
「お待たせー!」
大山の手から紙飛行機が離れた瞬間、永田先輩の元気な声とともに部室のドアが勢い良く開いた。
「あっ」
紙飛行機は風圧であおられ、あらぬ方向へ流される。
「よっしゃあ!」
「いや、今のはノーカンだろ!?」
俺の放った輪ゴムは紙飛行機とは見当違いの方向の壁にあたり、床に落ちた。
「……って何してるのこの新入生たちは」
床に落ちた紙飛行機とガッツポーズをする大山を見比べ、永田先輩は怪訝そうな表情を浮かべる。
「永田ちゃん、なにしてるの?」
そこへ現れたのは十条さんだ。
「いえ、一年が紙飛行機で遊んでたみたいで」
「紙ヒコーキ?」
十条さんはドアのそばに落ちていた紙飛行機を拾い上げ、しげしげと眺める。
「へぇ……ふぅん……土井さん、キャッチ」
十条さんはひとしきり紙飛行機を観察した後、翼を少し撫でて土井さんに向かって投げる。
「ほい」
ふわふわと部室を横断した紙飛行機を、土井さんは両手で包むように受け止めた。
「土井さんならわかるはず」
「……なるほど、よく出来てる」
土井さんは前後左右から紙飛行機を眺め、感心した表情で人差し指と中指でV字を作って乗せた。
「これ、誰が作ったの?」
「あ、えっと、僕です」
作った紙飛行機をまじめに検分された大山は少し恥ずかしそうに手を挙げた。
「土井さん、評価は?」
「重心位置はもう少し前に寄せたほうがいいだろうな」
「え? あっ、はい……?」
唐突に何かアドバイスされ、しどろもどろになりながら大山は紙飛行機を土井さんから返してもらった。
「じゃ、ミーティング始めるから適当に座ってくれる?」
十条さんは皆に聞こえるようによく通る声でそう言った。
「全員揃ったかな。それでは今年度の第一回ミーティングを始めます」
部室に揃った部員を見渡して一礼すると、十条さんが口を開いた。
「じゃあ改めて自己紹介。私は十条 紗季。大学の化学科三年。大学でも空戦競技部に入ってるけど、こっちでコーチしてる時間のほうが長いかな」
十条さんが小さくお辞儀をすると、肩にかかっていた髪が一房すべり降りた。
「じゃあ新入生二人」
十条さんと目が合った。
「ええと、坂戸健一。1年A組です。まだどういう部活かよくわかってないですけど、よろしくお願いします」
とりあえず失礼のないように言葉を終えた俺は、先輩たちに頭を下げた。
「1年C組、大山 敏夫です。好きなものは戦闘機です」
「よろしくね。次、土井さん」
「ん、あぁ……俺か。土井 武、2年B組。機体整備担当。好きなのはフラッグ戦」
土井さんは静かにそう言った。
「土井さんはフラッグ戦で輝くタイプかな。たしか高校だとトップ10に入ってる」
「旗取りジャンキーなだけですよ」
土井さんが中指でメガネを上げると、レンズがギラリと蛍光灯の明かりを反射した。
最後に手を挙げたのは永田先輩だ。
「永田 奏、2年A組。敵機を追い払うの担当」
金色に染めたポニーテールを揺らし、自信たっぷりにそう言った。
「永田ちゃんは一対一だと凄い強くてね、もう食らいついたら離さないの。すっぽんみたいにね」
「紗季先輩、女の子を言い表すのに『すっぽん』ってのはどうなんですか?」
十条さんの言うとおり、永田先輩は早速食ってかかる。
「じゃあすっぽんぽんのほうがいい?」
「っ!?」
しれっと十条さんが返し、永田先輩の動きが止まった
「いや、裸で飛ぶのはさすがに危ないので靴下とパラシュートだけはつけてあげましょう」
土井さんがそう提案したが、さらにヤバさが増加している気がする。
「そうね、じゃあ永田ちゃんは今度から靴下とパラシュートだけで飛ぶように」
「な、な、な……」
顔を真っ赤にしてぷるぷると震える永田先輩。
「ど、どうしよう」
「どうするって、お前……」
俺と大山は顔を見合わせる。十条さんと土井さんの連携があまりにも華麗で俺達には入る余地すらない。
「……と、いう感じで永田ちゃんは一対一だと強気だけど一対二になるとオロオロしちゃうから試合の時はちゃんとサポートしてあげてね」
「あ、はい……」
「うぅ〜紗季先輩、酷いです……」
顔を真っ赤にしてるときの永田先輩は、ちょっと可愛かった。


自己紹介が終わると、十条さんは部室の隅に置いてあったホワイトボードをごろごろと動かして俺たちの座る折りたたみテーブルの前に持ってきた。
「今日はLUPってなんなのかを説明するから、新入生二人はメモを取っておいてね」
「はい」
「えーっとメモ用紙はどこかいな……っと!」
俺は鞄からルーズリーフを何枚か取り出し、シャーペンをノックしてメモの準備をする。
少し遅れて大山もメモ帳を取り出した。
「まずは、"LUP"ってなんなのか説明するね」
マーカーの蓋を小気味の良い音とともに外し、十条さんは説明を始めた。
「LUPは、ライトウェイトユーティリティプレーン、直訳して多目的軽量航空機。法律上は『軽量動力機』と呼ばれてるの。あ、これはライセンス試験でよく聞かれるからメモっておいてね」
「で、そのLUPを使って模擬空戦をするのが私たちのやる『空戦競技』ってわけ」
素早くペンを動かし、LUPと書いたところに矢印で十条さんがホワイトボードに書いたとおり『空戦競技』と付け加える。
「LUPは、もともと1980年台に計画された小型軽量の前線作戦支援機……要するに軍用機をデチューンしたものを民間用に売り込んだのが始まりなの」
今が2019年だから、もう30年以上前から存在していたらしい。
「これがメーカーの予想以上に売れちゃってね。ただ当時は国内にLUPに相当する規格が存在しなかったからライセンス取得が難しかったの」
十条さんはホワイトボードに楕円を上下に三つ描き、上の楕円に『モーターグライダー』下の楕円に『超軽量動力機』と書き入れた。
「そこで、世界航空連盟が規格を策定して各国にガイドラインを示し、国内でも超軽量動力機とモーターグライダーの中間に『軽量動力機』という新しい規格ができた、というわけ」
十条さんはマーカーのキャップを再び外し、何も書かれていなかった真ん中の楕円に『LUP』と書き込んだ。
「昔は小型ジェットエンジンやピストンエンジンを使っていたんだけど、最近はもっぱら電気モーターを使ったダクテッドファンやプロペラ推進が主流かな」
「この間見たのはプロペラじゃなかったですよね」
質問したのは大山だ。この間乗った機体も、外から見える部分にはプロペラはついていなかった。
「プロペラが外にあるとやっぱり危ないから、練習機はだいたいダクテッドファンかな」
「それとペラ付きは変速機を噛ますからどうしてもそこが摩耗するんだ」
今まで黙っていた土井さんが口を開いた。確かに、プロペラがものすごい勢いで回転しているのは想像しただけでぞっとする。
「武蔵野航空機なんかはあえてペラ付きで、大昔のレシプロ機を再現してるの。たとえば『タイプゼロ』とか『マーク43』とか」
「武蔵野? 国内にもあるんですか?」
ふと浮かんだ疑問を口にする。
「土井さん、日本には今何社あったっけ?」
「マイナーなのが数社、国産機で数出してるのは武蔵野のみです」
答えは十条さんではなく、土井さんが教えてくれた。
「レシプロの再現は海外のほうが盛んかな。法律上ちょっと小ぶりになるけど」
「へ、へぇ……」
さっきから十条さんと土井さんの話の情報量が多すぎてメモが追いつかない。
「紗季さ〜ん、一年生二人が置いてけぼり喰らってます」
二人の会話をつまらなさそうに聞いていた永田先輩が助け舟を出してくれた。
「あ、これは完全に脱線だからメモ取らなくて良かったのに」
「今年の一年生は真面目ねぇ……」
永田先輩は感心した様子で俺のとったメモを見る。下の方は『国内』『武蔵野』という字がかろうじて読み取れる程度に走り書きになっているだけだ。
「永田ちゃん、去年は船漕ぎながら私の話を聞いてたもんね」
「や、やだなー紗季先輩、睡眠学習ですよ睡眠学習
永田先輩が後ずさりながら十条さんをなだめる。
「さて、今日の座学はこれくらいにしておいて、格納庫を見に行こうか」
「格納庫? 学校にあるんですか?」
格納庫というと、空港の端っこにある大きな建物のイメージだった。オリエンテーションで校舎内を案内されたときは
「正確には大学の格納庫を間借りしてる感じかな」
大学のキャンパスは高校とは道路を挟んで反対側にある。歩いて五分もかからない距離だ。


俺たちを案内してきた十条さんは自動車のガレージのような建物の前で足を止めた。
「はい、ここが空戦競技部の格納庫」
格納庫の入り口の横には『空戦競技部格納庫』と仰々しい筆文字で書かれた木札が打ち付けてあった。
中に入り、十条さんが格納庫の明かりをつけると、大山が目を輝かせた。
「おぉ! すげぇ!」
この間乗せてもらった翼の端が赤い『ゼロセブン』をはじめ、三機のLUPが蛍光灯の明かりに照らされて輝いていた。
胴体の上にドラム缶のようなものを背負った機体と、もう一機翼が取り外されたままの二人乗りの機体があった。
「あ、そっちは大学の所有機だから触っちゃダメ」
「え?」
大山の声のテンションが急激に下がった。
「うちの部はあっち」
十条さんが格納庫の隅にある布に覆われたものを指差すと、永田先輩が小走りで布に覆われたものに近づいていった。
「見せてあげて」
「えいっ!」
永田先輩が十条さんの言葉に頷き、布を思い切り良くめくる。
「なんですかこれ!?」
布の下から、オレンジ色の翼が覗き、次いで白い胴体が姿を現した。
「TF-850、うちの部の所有する唯一のLUP」
この間体験搭乗で乗った『ゼロセブン』とはカラーリングも、機体の形も違った。
胴体の下側と翼の外側がオレンジ色で、胴体の後ろの方に巨大なリングがついていて、中には大きなプロペラがついていた。
「これ、尾翼はT尾翼なんですか?」
「そうだ」
大山の質問に土井さんが即答した。
尾翼はこの間の『ゼロセブン』とだいぶデザインが違った。水平尾翼垂直尾翼の上に乗っているし、先端は角張っていて野暮ったい印象が強い。
「ユーロエアロスペース製TF-850、登録番号JA07KH。パワープラントは国産のMK90に換装済み。離昇推力は2.15キロニュートン。ペイントマーカー二門を胴体下部に装備」
全てが頭のなかに入っているように、土井さんが機体の要目を列挙していった。
だが、単位も用語もちんぷんかんで何がどうすごいのかわからない。
「……大山、意味わかるか?」
「エンジンのパワーがだいたい200キロってことは分かった」
自称、ヒコーキマニアの大山に訊いてみるが、やはりピンと来ない。
「そんな非力なので飛べるのか?」
普通の旅客機だってあんな大きなジェットエンジンをつけているのにこんな扇風機が胴体に突きささったような機体が飛べるのだろうか?
「飛べるよ。この間乗ってもらったゼロセブンだって推力はこの子と同じくらいだもん」
永田先輩はこの間俺たちの乗った『ゼロセブン』を指差した。
「えぇ!?」
「エンジン……いえ、モーターのパワーはLUPの規格である程度上限が決まっているの。A級ライセンスがあればもっと強力な機体も使えるんだけどね」
「ライセンス?」
「これな」
土井さんが財布から出したのは、免許証サイズの大きく青文字でアルファベットの『B』が書かれたカードだった。
「ちなみに十条さんはA級ライセンスとインストラクター許可証も持ってる」
「十条さんって、もしかしてめっちゃ凄い人?」
「実際すごいぞ。大学の部は関東大会準優勝だ」
大山の疑問に土井さんは即答した。
「去年の大会はもう少しでフラッグ取れたんだけど相手がぶつかりそうなくらい近づいてきちゃってね……結局失格になっちゃった」
十条さんは懐かしむように機体の周りを一周する。
「永田ちゃん、機内の装備を説明して」
翼の後ろ側の一部を触り、何かを確かめると十条さんは永田先輩にそう指示した。
「はーい、じゃあ坂戸くんからでいいや。乗ってみて。操縦系統と計器を説明するから」
「後席ですか?」
この間の体験飛行の時と同じように永田先輩の後ろに座るのだろうか。
「前席に座っていいよ。そっちのほうが説明しやすいし」
「はい……よっと」
操縦席のすぐ横にこの間と同じようにビールケースが置かれていたので乗り込むのは簡単だった。
「これが操縦桿、上下と左右の傾きをコントロールするやつ。動かしてみて」
操縦席に座るると、永田さんは俺の足の間からにょきっと生えている棒を指差した。
操縦桿を握って動かそうとするが、思っていたよりも重い。力を込めて右に倒すとガン、と硬い音が格納庫の中に響いた。
「こら! そんなに乱暴に動かすな!」
永田先輩の怒鳴り声が格納庫の中に響いた。
「いや、今動かしてみてって……」
「坂戸くん」
十条さんがつかつかと操縦席に近寄ってくると、俺の肩に右手を乗せる。
「操縦桿は"優しく"扱ってね」
きっと睨みつけ、十条さんは女の人とは思えないほど強い力で俺の肩を握った。
「は、はいっ!」
「わかればいいの、二度とやらないでね」
震え上がる俺に釘を刺すと、十条さんは操縦席から離れていった。
「だ、大丈夫か?」
大山が心配そうに声をかけてきた。
「あ、あぁ」
「ごめん、最初に注意しなかった私のせい。気を取り直して操縦系統を説明するね」
永田先輩はバツの悪そうな顔をしていたが、十条さんが頷くともう一度説明を始めてくれた。
「はい、お願いします」
「これが操縦桿。十条さんの言った通り扱うときは優しくね。動かしてみて」
まずは左右に、次に前後に動かしてみる。さっきは力のかけ方が悪かったようでずっと少ない力でスイスイと動いた。
「次は横、見ながら動かしてみて」
永田先輩の言う通り、顔を横に向ける。
「左右に操縦桿を振ってみて」
「動いた!」
右側の翼の一部が操縦桿の動きに合わせてパタパタと上下に動いた。
「詳しい話はおいおいするけど、操縦桿の左右の動きはあそこに伝わるの。次は後ろを振り返って尾翼のところを見てて。操縦桿は私が動かすから」
操縦席から身を乗り出して後ろを向く。永田先輩が操縦桿を握って動かすと、今度は尾翼の一部分が上下に動いた。
「おぉ、前後はここが動くんですね!」
「じゃあ足元のペダルは何に使うか当ててみて」
足元を見ると、穴が開いたペダルを。
「えーっと……アクセルですか?」
「んー、不正解。足元のペダルはラダーって言って左右に機首を向けるときに使うの。加減速はこっちのスロットルレバーでやるんだけど、その説明は今度モーター回すときかな」
永田先輩は操縦席の左側にあるレバーを指で示した。
「次はアナログ計器ね。これが速度計で、こっちは高度計。このビー玉みたいなのが入ってるのが横滑り計」
つや消しの黒色の計器板にはバイクのタコメーターのような計器が2つ並び、その横に黒いビー玉の入った歪んだチューブがとりつけられている。
「この液晶画面は?」
電源が入っていないのか、液晶画面は暗いままだ。
「それの説明は今度、電源いれた時にね」
「操縦系統の説明とアナログ計器の説明はここまで。次、大山くん」
俺が機体から降りると入れ替わりで大山が操縦席に座った。


「今日はこれで終わり。金曜日にテストするから、二人ともそれまでに覚えておいてね」
「テスト、ですか……」
大山への説明が終わると、十条さんは俺と大山に手作り感満載のホチキス留めの小冊子を渡した。
表紙には『空戦競技部機体マニュアル』と行書体で書かれている。
裏表紙をみてみると、LUPの三面図が描かれていた。作ったのは土井さんだろうか。
パラパラとページをめくると、しっかりした文章の合間にクマのようなキャラクターが描かれ、吹き出しの中に丸っこい文字で『リヒートは大量のエタノールを使うよ!』などと補足的な文章が書かれている。
「これ……イヌ?」
首をかしげる大山。
「クマじゃね?」
「イヌでしょ!」
俺も動物である事はわかったが、何の動物かはわからない。
「このマニュアルって土井さんが書いたんですか?」
「あぁ、本文は俺が書いた。何かわからないことがあったら聞いてくれ」
本文よりも、この謎の生き物のほうが気になった。
「このクマみたいなのって十条さんが描いたんですか?」
「いや、永田だ」
即答する土井さん。
「ん、呼んだ?」
十条さんと何かを相談していた永田先輩が自分の名前に反応してこっちへやってきた。
「永田先輩、この動物ってクマ……ですよね?」
問題のページを開き、クマのような動物を指さして永田先輩に確認する。
「ネコだよ」
永田先輩は何を言っているんだこいつはとでも言いたげな表情を俺に向ける。
「え、でもこれどう見てもクマ……」
「ネコだから」
語気が荒くなり、永田先輩の目つきが険しくなった。ゴソゴソとポケットを探り、永田先輩は大きく振りかぶった。
「ネコったらネコなの!」
「ひいっ!?」
オレンジ色の何かが鋭い風切り音を立てて俺の頬のすぐそばを掠めた。背後で何かが破裂するような音がした。
「テスト……」
「は、はい?」
肩を震わせ、うつむきながら永田先輩がつぶやく。
「テストに何の動物に見えるか出すから!」
「え、ちょ、永田先輩!?」
永田先輩は吐き捨てるように叫んでどこかへ走り去ってしまった。
「あーあ、怒らせちゃったか」
「ありゃしばらく不機嫌ですね」
十条さんも土井さんも永田先輩を引き止めなかった。
「坂戸くん、ああ見えてあの子すごく繊細だから、今度会ったらちゃんと謝ってあげてね。返事は?」
「はい……」
かくして、俺は十条さんに本日二回目のお説教を食らう羽目になった。