フラッグキャリア(第5話)

機体の組み立てを行うスペースから少し歩いたところには、土手から見えた機体が並んでいた。
「あれは、ゼロ戦?」
緑色のプロペラ機には大きく日の丸が描かれている。
土井さんが以前話していた、昔の飛行機をLUPで再現したタイプだろうか。
「いや、ありゃ偽物だ。ゼロはあっち」
土井さんは薄いクリーム色の機体を指した。こちらは『偽物』よりも胴体が太い。
「なんか、視界悪そうですね」
ゼロ戦は操縦席の窓に枠がたくさんあって見晴らしが悪そうだった。
「視界を良くする方法もあるけど、やるとロマンがないって怒られる」
「ロマン……キャノピーを取り替えるとかですか?」
ぱっと俺の頭に浮かんだのはそれくらいだった。
「いや、もっと笑える方法」
土井さんは首を横に振りながら苦笑した。
「うーん、ペリスコープとか?」
大山がまた何か専門用語を口に出す。入部してからこいつと土井さんはたまに専門用語だけで会話している。永田先輩いわく『大山くんが入ってうちの部の土井さんが二人に増えた』らしい。
「まぁ、あとで聞いてみな」
「んで隣がヴュルガー」
ゼロ戦の隣にはいかにも戦闘機といった感じのごついデザインのプロペラ機が鎮座していた。全体が灰色に塗られていて、がっしりしたシルエットと相まっていかにも強そうだ。
「なんというか、頭でっかちですね」
「格闘戦はイマイチだが一撃離脱と火力は凄い」
ヴュルガーの翼からはにゅっと大口径のペイントマーカーの砲身が飛び出している。
「すげぇ坂戸! ドラゴンスレイヤーまでいる」
ドラゴンスレイヤー?」
大山の指差す先には大柄なLUPがあった。翼の端から端まで10メートル以上はあるだろうか。胴体には大きく日の丸が描かれ、濃淡の緑色に塗り分けられた不気味な迷彩と相まって異様な存在感を放っている。
「みろ、A級だからできたツインモーター! マーカーは純正のPMG151/20にPMK-37の超重武装!」
「お、おう……」
「プルートモーターで最高水平速度は488キロ!」
「す、すげぇな」
数字を並べられてもいまいちピンとこないが、大山があんなに興奮しているということは多分凄いのだろう。
「お……この塗装は」
土井さんも興味が出たのか大山と一緒になってドラゴンスレイヤーと呼ばれたLUPを観察する。
「大山、こいつは南太平洋のカギス群島で……」
「あれ?」
駐機スペースから離れたところには大きなテントが張られ、その側には一機だけピンク色のLUPが駐機されていた。外国人らしき屈強なおじさんたちが周りに取り付いて整備している。交流戦には海外からも参加する人いるのだろうか。
「女の子……?」
黒いハートの描かれた尾翼の向こう、スタッフ腕章をつけたおじさんの横に黒髪の少女が立っているように見えた。
「おーいそこ、動かすから下がって! 巻き込まれるぞ!」
モーターの回り始める高音が響き始め、ドラゴンスレイヤーの周りで作業していたおじさんたちが見物人を追い払う。
「坂戸、戻ろうぜ」
「あれ、いない……」
もう一度テントを見ても、誰も居なかった。
「何ぼっとしてんだ、危ねえって」
「あ、うん……」


「おー、皆お待たせー」
「あ、永田先ぱ……うわ、どうしたんですか、それ」
「いやー寝坊して朝ごはん食べれなかったからお腹すいちゃってさ」
ビニールシートの敷かれた観客席に戻ってきた永田先輩は右手にフランクフルトとたこ焼き、右手に焼きそばを持っていた。
「そんなのどこで買ってきたんですか?」
「あっち」
永田先輩がフランクフルトで指した先には屋台が立ち並んだ一角があり、親子連れで賑わっていた。
「大会って聞いたんでもっとピリピリしたものかと思ってました」
「祭りみたいなもんだからな。ゴールデンウィークど真ん中だし」
そういう土井さんは乾パンをかじっている。
「土井さんは今日も乾パン? 飽きないの?」
「大丈夫、金平糖とオレンジスプレッドにソーセージ缶もある。バランスは取れてる」
土井さんは黙々と甲板と缶詰を食べている。
「俺もなにか買ってこようかな」
家を出る時に持ってきたスポーツドリンクはもう全部飲んでしまったから少し喉が渇いた。
「ジュースとかあんず飴もあったよ」
早くもたこ焼きの二個目を串にさした永田先輩が教えてくれた。
「あ、じゃあ坂戸、俺コーラがいい」
「んじゃあとで払えよ」
「へいへい」



「結構混んでるな」
売店エリアはさっきより人が増えたのか、予想より混んでいた。
ジュースを売っている屋台の前には競技の始まる前に飲み物を買おうとする人が数人、不揃いな列を作っていた。
「っと、すみません」
隣のフランクフルトの列から出てきた女の子と肩がぶつかった。
「あれ、あんた……健一?」
「へ?」
女の子に名前を呼ばれ、目が合った。ネコ科を思わせる鋭い目がじっとこちらに向けられる。
「げぇっ、さくら!?」
その目には見覚えがあった。――大泉さくら。子供の頃近所に住んでいてよく遊んだ。小学校の時に父親の仕事で名古屋に行ってしまったが、まさかこんなところで会うことになるとは思わなかった。
「何であんたがここにいんのよ!」
開口一番、さくらは俺にフランクフルトを向ける。
「そりゃこっちのセリフだよ!」
「さくら姉、そいつ彼氏?」
さくらの後ろから出てきた十歳くらいの男の子が俺にいぶかしむような目を向けてきた。
「その子、だれ?」
「従兄弟。そんなことよりなんであんたがここにいるのよ」
「なんでって、試合の見学……」
「あれの?」
さくらはちょうど頭上を飛んでいったLUPを指さす。
「あれの」
俺は頷いた。
「お兄ちゃんパイロットなの?」
「いや、俺はまだ見習い」
首を横に振ると、男の子はがっくりと肩を落とした。
『これより、第二試合を始めます。選手の皆さんは発航準備を進めてください』
音割れ気味のアナウンスが会場に流れ、駐機場のほうが騒がしくなる。
「じゃ、じゃあな!」
逃げるようにさくらに背を向け、俺は観覧席へと戻った。


第二試合に出場する機体の離陸が始まり、滑走路から幾つものモーターの音が響いてくる。
先発の機体が離陸し、後続機がそれに続いて離陸していく。
「こんなたくさん集まるなんてすごいですね」
「色々大変なのよ。二戦目の律教は早稲谷から借りた機体と合わせてようやく4機だし、東光は学連からゼロセブン借りてるし、おまけにその東光と組む九段は主力の850がニコイチ再生機だし」
「な、なんか大変ですね」
「大学のおさがりでも850飛ばせるうちは恵まれてる方だよ」
最後のたこ焼きを串で突き刺しながら永田先輩は続ける。
「でも、ビンボーなんですね」
「そういうこと言わない」
永田先輩は肘で俺の脇腹を小突く。
「すいません」
「おう、バイザー借りてきたぞ。かけてみ」
観覧席土井さんは俺と大山にサングラスのようなものを渡す。つるの部分がやや太く膨らんでいるし、レンズは透明で少し黄みがかっている。
「左側に電源ボタンがある。入れて空を見てみろ」
「これかな」
電源マークのついたボタンを押すと、LEDが緑色に光った。
言われたとおりにバイザーを掛けると『SAITAMA CITY AIRSTRIP 20XX/5/5』と表示された後、『Spectator Mode』に表示が変わった。
「スペク、スペ……?」
「スペクテイター、観戦モードってことだ」
『こちらさいたま合同ピスト、ブルーチームは機体をチェックして下さい』
少しノイズののった声が聞こえる。
『ブルー1、異常なし』
『ブルー2、ノートラブル』
十条さんの声が聞こえた。
『ブルー3、全て正常』
『ブルー4、異常ありません』
『ではカウントを開始します。Tマイナスフィフティーン』
『永田を援護だ』
バイザーのつるからは大学チームの無線が鮮明に聞こえてくる。
「今はうちのチームの音声だけ聞こえるようにしてある」
カウントダウンが始まり、翼端の赤いゼロセブンの横に「BLUE NU-07 ECHO」と表示された。
十条さんのゼロセブンは試合開始と同時に高度を下げ始める。
「開幕から飛ばすなぁ」
「坂戸、横っちょのボタン押してみな」
土井さんに言われるがままゴーグルの横のボタンを押すと「SPD288 ALT2010」と表示される。
「うわ、ゲームみたいですね!」
「中で走ってる計算はもっと複雑だけどな」
苦笑しながら土井さんもゴーグル型のバイザーを装着して上を見上げる。
「お、紗季先輩開幕から攻めるなー」
土井さんから借りた双眼鏡で空を見上げていた永田先輩もバイザーをかける。
「あっちに赤いフラッグがあるだろ」
土井さんの指差した先にはいかにもCGといった感じの赤い旗がはためいている。
「ありますね」
「十条さんはあれを取り行く」
十条さんを迎え撃とうとした敵チームの850がもう一機のゼロセブンに妨害される。
『十条、そのまま突っ走れ』
さっき永田先輩をカナスケと呼んでいた上野さんの声だ。
『分かった』
十条さんの赤いゼロセブンは進路を変えることなく直進を続ける。
「もうすぐフラッグをとるぞ……今だっ!」
フラッグと十条さんのゼロセブンが重なった瞬間、ゼロセブンは鋭く急上昇し、宙返りの頂点で機体を水平に戻す。
「でた、インメルマンターン!」
「ブルーチーム、フラッグをキープ」
おぉ、と周囲の観客から歓声が上がる。
フラッグを奪われたことに気づいたのか、「RED TYPE-1 FALCO」と表示されたプロペラ機が十条さんのゼロセブンに迫る。
「あの機体、十条さんを狙ってる!」
「大丈夫、あの距離じゃ当たらん」
土井さんの言うとおり、プロペラ機が撃つペイント弾はゼロセブンのはるか下を通り過ぎる。
「ほれみろ、ガス欠だ」
やっきになっていたプロペラ機からペイント弾が出なくなり、十条さんのゼロセブンが急旋回でプロペラ機に向かい合う。
マゼンタ色のペイント弾の群れがプロペラ機に襲いかかり、ぽっと白煙を吹く。
「レッド3撃墜」
『抜かれた、ヴュルガーが本陣に行ったぞ。追いつけない!』
「レッドチーム、フラッグをキープ」
「あっ、アレは」
さっき地上で展示されていた頭でっかちな機体に青い旗のマークが重なっている。
慌ててブルーチームの陣地に目を向けると十条さんと同じようにフラッグを奪ったヴュルガーが斜め旋回で自陣へ向かっていく。
旗を奪われたことに気づいたブルーチームの小型機がヴュルガーを追いかける。
小型機に気付いたヴュルガーは急上昇で振り切ろうとする。
「ヤバイな」
土井さんがつぶやいた次の瞬間、ヴュルガーはくるりと下を向き、いまだ上昇途中の小型機にペイント弾を浴びせかけた。
『ブルー1撃墜』
ぽっと白煙を吹きながら小型機が離脱していく。
「あいつに縦の機動戦を仕掛けるとああなる」
「今、すごい速さで下を向きましたよね」
まるでハンマーを放り投げた時のように、ヴュルガーはストンと下に向きを変えた。
「アレはそういう機体だ。縦にくるくる回る」
『残り5分』
残り時間を知らせるアナウンスが会場に響く。
「あれ、十条さん自陣に帰らない?」
十条さんはフラッグを持っている。このまま戻ればこちらのスコアになるはずなのに、十条さんの操縦するゼロセブンは敵機のいない空域でずっと旋回を繰り返している。
「十条さん、一気に抜けるつもりだね」
永田先輩はやきそばから器用に紅しょうがだけをよけながら教えてくれた。
「え、加速して抜けるならリヒートを使えばいいんじゃ?」
「バカね、紗季先輩が燃料残してるわけないでしょ、行きで殆ど使ってるんだから」
「十条さんって、意外とスピード狂?」
「今気づいたの?」
不意に、十条さんのゼロセブンが旋回をやめ、急降下に入った。
迎え撃つヴュルガーも機首を上げ、ゼロセブンと向かい合う。
ゼロセブンは少し右下へ機首を振り、次の瞬間ぐるりとロールしてみせた。
「凄い、雲を引いた!」
永田先輩の言うとおり、十条さんのゼロセブンは右の翼から鋭く白い雲を引いていた。
二回、三回……ゼロセブンはロールしながらヴュルガーへ突っ込んでいく。対するヴュルガーも何度かペイント弾を発射するが、オレンジ色のペイント弾は何もない空間をすり抜けるだけだった。
ついにゼロセブンとヴュルガーはすれ違い、お互いの方へ向かって宙返りを始める。まずい、このままさっきと同じように縦の動きに乗せられたら危ない。
「十条さん!」
「大丈夫」
永田先輩は落ち着いた声で俺を諭した。
ゼロセブンの背中に食らいつこうとさっきと同じようにガクンと一気に機首の向きを変えるヴュルガー、しかしその先にゼロセブンは居なかった。
「ほらね、かわした」
永田さんの言うとおり、十条さんはふわりと機体を傾けて見事にヴュルガーの一撃をかわした。
「でも、まだ後ろにつかれてます」
ヴュルガーは素早く機体を立て直してゼロセブンを追う。
「坂戸くん、もしかして十条さんが後ろを取られたと思ってる?」
「え?」
もしかして、十条さんはわざと後ろを取らせたのだろうか。
「あれはな、カマをかけたんだ。ヴュルガーと縦の空戦やったんじゃ加速の鈍いゼロセブンは不利だ。でも――」
土井さんが答えを言い終わる前に、十条さんのゼロセブンの動きが変わってきた。
斜め宙返りでお互いの後ろにつこうとしていた二機の動きが水平旋回に近づいていく。
「水平旋回に引きずり込めば翼の大きいゼロセブンが圧倒的に有利!」
永田先輩が言い終わると、ゼロセブンはそれまで以上に鋭く旋回して今度は両方の翼の端から白く雲を引いた。
「後ろをとった!」
ゼロセブンの目と鼻の先には無防備なヴュルガーがいる。ペイント弾がゼロセブンの機首の下から撃ちだされ、マゼンタ色の染みがヴュルガーの角ばった主翼に広がった。
『レッド1、撃墜』
実況からやや遅れてバイザーの右下に『BLUE1(NU-07) Kill RED1(Wurger)』と表示された。
『ブルーチーム、フラッグを奪還した』
隣で見上げていた大学生たちから歓声が上がる。
「だから言っただろ、フラッグ戦にはすべてが詰まってるって」
土井さんが俺の肩を叩いて親指を立てる。
『勝者、ブルーチーム!』
「うおおおおおおおおお!」
十条さんの機体がスコアを入れると後ろでさっきからバシャバシャと写真を撮りまくっていた集団から歓声が上がった。
「ビクトリーロールだ!」
この間と同じように、スコアを決めた十条さんはぐるりと優雅に機体を一回転させる。
「さすが所沢の魔女!」
歓声に混じってそんな言葉が聞こえた。なんだ、所沢の魔女って。


「流石です、紗季先輩! カッコ良かったですよ!」
試合を終えて機体から降りてきた十条さんに永田先輩が飛びついた。
「うーん、最後にぐるぐる無駄に回ったのががかっこ悪かったな」
汗で額に張り付いた前髪をかき上げながら十条さんはさっそく最後の空戦を振り返っていた。
「お疲れ様です」
「カッコ良かったぞ!」
十条さんの周りにはあっという間に両方のチームの部員が集まる。
「十条さんっ! 撃墜していただきありがとうございます!」
そんなことを言い出す相手チームのメンバーまでいる始末だ。


最後の試合が終わると、朝とは逆に撤収作業が始まった。
今日で撤収するチームは慌ただしく機体の周りに集まって解体作業を始めている。
「今日はお疲れ様。機体は明日も使うからカバーだけ掛けたら終わりね」
「お疲れ様でした、紗季先輩」
うちのチームは機体が傷まないように防水用のカバーを被せるだけなので撤収作業はあっという間に終わった。
「じゃ、また火曜に」
「おつかれさま」
「すまん大山、俺はちょっと機体の記録見てくからから一人で帰ってくれ」
十条さんたち大学生チームと別れると、土井さんも俺達から離れていった。
「じゃあ、俺こっちのバスだから」
「じゃーなー」
大山も乗るバスの系統が違うのでしばらく歩いたところで手を降って土手の階段を登っていった。
「坂戸はどうするの?」
バス停のある駐車場の方へ歩きながら、永田先輩が質問してきた。
「えーと、大宮駅までバスです」
「ふぅん……」
永田先輩は少し考えこんでから自転車の前に屈みこんだ。
「あの、先輩?」
俺の言葉には答えず、永田先輩は手早く自転車の車輪を止めているらしきネジを緩めていく。
「ちょっと、待ってて……いよしっ!」
「わわわ、何やってるんですか!?」
「何って、分解」
俺の見ている前で自転車があっという間に解体されていく。
「これでよし」
永田先輩は分解した自転車を袋に仕舞うと、満足げにうなずく。
「ん? どうかした?」
あざやかな手つきに見とれていると、永田先輩がこちらに気付いた。
「あ、や、なんでもないです」
「……? まぁいいけど。さ、帰ろっか」
「はい」
夕日に照らされた髪を黄金色に輝かせた永田先輩は、ちょっと可愛かった。