クリアードフォーテイクオフ(第4話)

俺と大山が空戦競技部に入部して三週間が経ち、今日はミーティングのために部員全員と十条さんが部室に集められた。
わざとらしく咳払いしてから永田先輩は部室に集まった全員を見渡した。
「今日の議題は埼玉交流戦についてです。はい、これ一人一枚」
永田先輩は『埼玉交流戦 参加要項』と書かれたパンフレットを他の部員に配り始めた。
「埼玉……どこでやるんですか?」
さいたま市営飛行場」
十条さんがなんのひねりもない地名を答えた。
「埼玉にそんなのがあったんですか?」
「そう、大宮にね」
十条さんが言ったとおり、パンフレットの裏にある住所を見てみると飛行場の所在地は埼玉県大宮市となっている。
「確か、十年くらい前に成増の飛行場を潰すってんで公園と田んぼをならして作ったんですよね」
大山がさらに説明を加えてくれた。
「そう、それ。新入生二人は試合とか大会見たことないと思うし、それに機体の組みバラシに人が必要だから、ね」
「え、機体って分解して持って行くんですか?」
てっきりそのまま飛んで行くものかと思っていたが、違ったらしい。
「LUPは飛行場の間を無許可では飛べないから、コンテナに詰めてトラックで運ぶの」
「そうだったんですか」
「これ、ライセンス試験で出るよ」
永田先輩が付け加えてくれた。
「集合は現地で、受付の近くに8時集合ね」
「了解でーす」
「じゃあ、今日の連絡事項は以上。今日は大学が空母使ってるのでフライトもなし。解散!」
「私は次授業あるからこれで。永田ちゃんあとはよろしく」
「はい、紗季先輩もお気をつけて」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
十条さんは腰を上げ、椅子を戻して部屋を後にする。永田先輩が立ち上がって十条さんを見送った。
「うーん……」
「どうした坂戸」
軽く会場へ向かうルートを検索してみたが、まずバスで板橋の駅まで行ってそこから大宮に向かい、さらに大宮駅からバスに乗らないといけないらしい。
「やっぱ三回乗り換えないとダメっぽい」
うちから使える路線は3つあるが、私鉄は長い坂を登らないと駅に辿りつけないし、地下鉄は変な方向に伸びているので大宮方面に行くには乗り換えなければいけない。
「お前んちビミョーに変なところにあるもんな」
「それいっつも言ってるんだけどな。ポチが羨ましいよ」
対する大山はもいちょっと交通の便のいいところに住んでいる。
「土井さんはどうやって行くんですか?」
荷物をまとめている土井さんに大山が話しかけた。
「親父の車に乗っけてもらうかな。機材も載せるから一人しか乗れないが」
「俺も乗っけてってもらっていいですか?」
「あぁ、伝えとく」
「あざーっす!」
大山は大げさに土井さんに頭を下げた。
「あ、いいなぁ」
「わりぃな、坂戸」


そして迎えた当日、俺は眠い目をこすりながらバス停に立っていた。連休中夜更かしをしすぎたせいか、まだ頭がぼうっとしている。
「ふぁわ、ねみ……」
6時台のバスで移動しないと集合時間には間に合わない。
ポケットから出した携帯で時間を見ると、バスの到着まではまだ15分近くあった。連休のど真ん中ということもあって今朝は車も少ない。
ふいに、甲高いエンジン音が聞こえた。音のする方を振り向くと、白いバイクが遮るもののない道路を駆けていた。
最近よく聞く音といえばLUPの金属的なモーター音ばかりだったから、逆にバイクの爆音が新鮮だった。
「すげぇ……」
気づくと俺は、赤信号で停まったバイクに思わず見惚れていた。
鋭角的な白いカウリングに覆われた、黒光りするエンジンとそこから伸びる排気パイプはジェット戦闘機を思わせる。跨っているライダーも白いヘルメットに黒いジャケットと、サイボーグ兵士のようないかつい装備に身を包んでいる。
こちらの視線に気づいたのか、ライダーは俺の方に顔を向けた。玉虫色のバイザーのせいで表情をうかがうことはできない。
ライダーはエンジンを止めてバイクを路肩に寄せるとつかつかと俺の方に近づいてきた。
慌てて視線をそらす俺の方へ、ライダーはバイザーにギラギラと朝日を反射させながら無言で距離を詰めてくる。
「え、あ、すみません、かっこいいバイクだなって……」
じっと見ていたのが気に入らなかったのだろうか。
「坂戸くん?」
「十条さん、なんで!?」
ライダーがバイザーを開けると、中から見慣れた顔があらわれた。
「なんでって、バイパス通るから。坂戸くんは?」
「えぇと、バス待ちです」
「ふぅん……乗ってく?」
十条さんは少し考えこんでからバイクを指さした。
「いいんですか?」
十条さんは自分のヘルメットを外すと俺にそれを被らせる。
「はい、かぶって」
「あ、はい」
ヘルメットの中は汗と、少し甘い化粧品の匂いが残っていた。
「でも十条さんは……?」
まさかノーヘルでこのごついバイクに跨るつもりなんだろうか。
「ホントはいけないんだけどね」
おっかない言葉を呟きながら十条さんはバイクの後部座席に括りつけていたバッグを外し、中をごそごそと探る。
オリーブグリーンのヘルメットを取り出すした十条さんはそれを被った。
「あの、どこに捕まれば」
「ハイ、これ握って」
いつの間にか腰に幅広のベルトを装着した十条さんはベルトから生えているグリップを握ってみせた。
「で、これをわたしの背中と坂戸くんのお腹の間に挟んで」
ヘルメットがなくなってだいぶ縮んだ荷物を俺に渡すと十条さんはバイクに跨ってキーを差し込む。
「こうですか?」
「いいよ、ちゃんと掴まってね」
俺がしがみついたのを確認し、十条さんはキーを回してレバーを蹴り、エンジンを始動した。
硬いシートがブルブルと震え始める。
十条さんは何度かスロットルを開き、エンジン音をおんおんと響かせる。
「操縦系、エンジン、前方、後方……準備よし。行くよっ!」
「ひゃあ」
エンジン音が高鳴り、俺はぐっと背中を引っ張られるような感覚に襲われた。振り落とされないようにグリップをきつく握りしめる。
十条さんの肩越しに前を見ると、進路上の信号は全て青だった。
「飛ばすよ!」
さらにエンジン音が大きくなり、シートから伝わる振動が強くなる。
「高速乗るんですか?」
「バイパス通るだけ」
十条さんの運転するバイクは高速道路の高架をくぐり、LUPに乗っている時と同じように車体を傾けながら右折した。
上を見上げると『新大宮バイパス』と書かれた看板が流れるように頭上を飛び越えていった。
「どう、坂戸くん。私の『ニンジャ』は?」
高速道路に並んで走る橋に差し掛かったところで、十条さんは少しスロットルを緩めて質問してきた。
「飛んでるみたいですね!」
「良い返事。じゃ、飛んでみよっか?」
エンジン音にかき消されないよう大声で答えると、十条さんは満足気に頷いた。
「えっ? うわわわわわ!?」
十条さんがスロットルを開くとエンジンの音がさらに力強くなり、目の前から道路が消えた。
正確には、十条さんと俺の乗ったバイクが前輪を宙に浮かせて走っている。
「動かないで」
慌ててグリップを握り直そうとする後席の俺を諭すと、十条さんはゆっくりと持ちあがった車体を水平に戻した。
「お、おぉぉ……」
「どう?」
前輪を道路につけると、十条さんがチラリとこちらを振り向いて質問してきた。
「めっちゃ、怖かったです」
「ふふっ」
不敵に笑った十条さんの表情は玉虫色のバイザーに阻まれて見ることができなかった。



十条さんと何度か信号待ちの合間におしゃべりをしていると、いつの間にかバイクは幹線道路を外れて田んぼの中を走っていた。
「こんなところに飛行場があるんですか?」
「あるよ」
土手の頂上までバイクが駆け上がると、予想していた以上の景色が広がっていた。
「すごい、あんなにLUPがいる!」
河川敷の中ほどを切り開いた飛行場には、十機以上の色とりどりに塗装されたLUPが翼を並べていた。
「今日は交流戦だからいないけど、関東大会のときはテレビ局も来るよ」
「そうなんですか」
見下ろすと、大型トラックや自家用車が駐車場に何台も止まっていた。十条さんは駐車場の手前の自転車置き場でバイクを止めた。
「はい到着。ここがさいたま市営飛行場」
「あ、足が……」
ずっと足に力を入れていたせいで地面に足をついた時よろめきそうになった。
「もっと力抜いておけばよかったのに」
俺がヘルメットを返すと、受け取った十条さんは苦笑しながらそれをバッグに仕舞う。
ちょうどその時、十条さんの携帯が鳴った。十条さんはポケットから携帯を引っぱり出すと電話に出た。
「もしもし、土井さん? 今何処? あれ、もうついてたの?」
どうやら電話の相手は土井さんらしい。十条さんは肩で電話を押さえながら手でここで待つよう俺に伝える。
「今そっちに行くから……うん、わかった。永田ちゃんにはメッセージ送っといて」
「土井さん、なにか言ってました?」
「さっき大山くんと着いて、今トイレに行っててすぐこっちに来るって」
「トイレ?」
「あっちのトイレだと思うけど……あ、来た」
公衆トイレを指さした十条さんの視線の先にこっちへ歩いてくる大山と土井さんの姿があった。
「お、おごご、おはよう」
大山は左手で尻をさすりながら右手を振ってきた。
「ポチ、どうした?」
「ケ、ケツがいってぇ……」
「車出すはずの親父が二日酔いでぶっ潰れててな。とりあえずカブで来た」
土井さんの視線の先にはスクーターがあり、その荷物スペースには取ってつけたように座布団がゴム紐で括りつけられていた。
どうやら大山はあの座布団に乗ってここまで運ばれてきたらしい。
「十条さんは自分のバイクか」
「そ」
愛車の横で荷物を整理する十条さんを一瞥して土井さんが言った。
「お前結局何で来たんだ?」
「あぁ、十条さんのバイクに乗せてもらったんだけどめっちゃ気持ち……」
「な、なにいいい!?」
俺が答えを言い終わる前に大山の表情が変わった。
「な、なんだよ、脅かすなよ」
「お前、十条さんにしがみついたのか!? 胸は触ったのか!? モミモミしたのか!?」
手で柔らかい物を揉むジェスチャーをしながら大山が迫ってくる。
「触んねぇよ! アホか!」
鼻息あらく睨みつけてくる大山を軽く突き飛ばす。
「まぁ、アレは中にプレート入ってるけどな」
ぼそっと土井さんがツッコミを入れる。
「もー、せっかく面白くなってきたのにタケちゃんはすぐネタバレしちゃうんだから」
「ぎょわっ!? いや十条さん、なんでもないっす!」
ようやく十条さんの視線に気づいた大山が慌てて気をつけの姿勢をとる。
「大丈夫、坂戸くんは乗ってるとき気持ちよさそうだったしね?」
「坂戸、てめぇやっぱ許さん!」
大山はさっきよりも険しい表情で俺の首を締めてくる。
「あばばばば、ちげーよ誤解だって」
「ひゃー、お待たせっ!」
俺と大山がもみ合っていると、目の前にキュッと子気味の良い音を立ててターコイズブルーの自転車が止まった。
「何やってんのアンタ達、ホモ?」
自転車から降りた永田先輩は、俺と大山を見るなりそう言った。
「ホモじゃねぇし!」
さすがにホモ扱いは嫌なのか、大山は俺の首から手を離した。
「おはよ、永田ちゃん。やっぱり自転車で来たんだ」
ごつい格好の十条さんとは対照的に、永田先輩はぴったりと身体に密着する薄手のサイクルジャージを着ていた。
「うちからだとコイツのほうが早いですから……これでよし、と」
ぽんぽんとシートを叩いた永田先輩は手近なガードレールにワイヤー錠で自転車を縛り付けた。
「全員集まったし、機体組みを手伝いに行こうか」



駐車場の奥には大型トラックが何台も止まっていて、その奥では何機ものLUPが組み立てられているところだった。
「いよーぅ、十条。こっちだ!」
十条さんに気付いたのか、とてもガタイのいいお兄さんが日焼けした腕を大きく振りながらこっちへ走ってくる。
「お、カナスケは今日も御機嫌斜めか」
「うっ……」
ガタイのいいお兄さんに気づいた永田先輩は、さっと十条さんの背後に隠れる。
「ダメよ上野君、あんまりいじめたら後ろから撃たれるから」
「カナスケ?」
十条さんと永田先輩のどちらを指しているのだろうか。
「かなで、だからカナスケらしい」
土井さんが小声で教えてくれた。
「相変わらず嫌われてんなぁ。そっちは新入生?」
上野さんは
「あ、はいっ! 坂戸健一です。こっちはポチ……じゃなくて大山」
「どうも、大山です。よろしくお願いします」
大山も頭を下げる。
「こっちは大学空戦競技部の上野さん。君たちの大先輩」
「よろしくな」
俺と大山の肩をポンと叩くと上野さんは十条さんに顔を向けた。
「十条、こいつら機体組んだことある?」
「ないよ」
十条さんは長い髪を揺らして首を横に振った。
「んじゃ新入生諸君、機体をぶっ壊さにように十条とカナスケの言うことをよく聞くこと」
「よーし、んじゃ開けるぞ。高校生は下がってろ」
上野さんがコンテナの扉を開けると、中にはバラバラになったゼロセブンが収まっていた。
磨き上げられた白い機体が朝の日差しを受けてキラキラと輝いている。
「こんなふうに運ぶんですか」
「そうだよ。といっても左右の翼と胴体と尾翼の四つしか部品無いけどね」
永田先輩が教えてくれた。
「ゼロセブンはかわいい方だ。翼銃なんかがついてたら手間が増える」
「よ、よくじゅう?」
また聞いたことのない単語が土井さんの口から出てきた。
「翼にペイントマーカーつけてるってことだ。翼に銃で翼銃」
「あぁ、なるほど」
俺と大山はふむふむと土井さんの説明に頷く。
「850もゼロセブンも、ペイントマーカーは機首にしかついてませんよね」
「ゼロセブンにも翼銃は付けられるけど重いわ旋回性は落ちるわでつければいいってもんじゃないんだ」
「たしかに、そう言われてみれば」
この間運んだゼロセブンのマガジンだけでも結構な重量があったから、ペイントマーカー本体も合わせれば結構な重さになりそうだ。
「あと、そこのトリガーハッピーが調子に乗ってバカスカぶっ放して弾代がひどいことになる」
「……ちゃんと稼いでるよ、弾代くらい」
隣の永田先輩はふてくされた表情を浮かべながら土井さんから視線を逸らした。
引きずるような音とともにゼロセブンの白い胴体がコンテナから引き出され、太陽の光を浴びてキラキラと輝いた。
「おーいそこの……坂戸、十条と一緒に尾翼運んでくれ」
上野先輩に指名されたのは俺だ。
「は、はいっ」
「こっち」
手招きする十条さんに続いてコンテナの中に入る。
コンテナの中は薄暗く、ほこりっぽい臭いがした。
「気をつけてね、とっても繊細だから。そこ支えて」
指示されたところを両手で支えると、十条さんは手早く固定金具を外して俺が支えているのと反対側に手を添えた。
「よし、ゆっくり下ろして抱えるよ。せーのっ」
ゼロセブンの尾翼は意外と軽かった。部室で講義してくれた十条さん曰く、プラスチックよりも軽いハニカムペーパーを使っているらしい。
「よいしょっと」
前縁に手をかけて十条さんと二人で尾翼を抱える。
「やっぱり男の子は力あるね。水平に戻すよ。前と後ろを肘で抑える感じ。そうそう、そのまま」
尾翼を落とさないように上下の両側を包むように持ちってゼロセブンの後ろから近づく。
「はい」
十条さんの合図でゆっくりと台形の尾翼を水平に戻す。
「こっちだ、ゆっくり、ゆっくり……坂戸、もうちょい上に上げろ、いや、行き過ぎだ。OKそのまま降ろせ」
「あの金具に尾翼の先端のフックを付けるの」
言われてみると、U字型の金具がゼロセブンの垂直尾翼の付け根にあるのが分かった。最後は上野さんが尾翼の先端を掴んで固定金具にゆっくりと尾翼を差し込んでくれた。
「尾翼ロックピンつけたぞ!」
「ロックピン確認! 離していいぞ」
大学生のひとりが尾翼にL字型の金具を差し込み、上野さんが指差し確認する。
「アレつけないと飛んでる時に尾翼が吹っ飛ぶんだ」
「へぇ……」
機体から離れた俺に上野さんがおっかないことを吹き込んだ。
飛んでいる時に尾翼が取れるとどうなるのかは想像しないでおくことにした。
「野田ぁ、右翼出していいよな?」
「オッケーっす」
「よしカナスケ、右翼出すから手伝え」
もう一機のゼロセブンを並行して組み立てていた大学生に確認を取ると、上野さんはコンテナからペイント弾用のマガジンを抱えて出てきた永田先輩に声をかけた。
「うっ……わたしですか?」
上野さんに指名された永田先輩のポニーテールがびくっと震える。
「返事は?」
「は、はいっ!」
大声で呼ばれ、永田先輩は飛び上がった。
「大山くんと坂戸くんは左翼を手伝ってくれる?」
「はい!」
「わかりました」
興味深そうにゼロセブンの胴体を見学していた大山にも十条さんから声がかかった。



ゼロセブン二機の組み立てが終わると、再び全員に集合がかかった。
「いやぁ、高校生の皆もお疲れさん。俺らは第二試合だから応援よろしく、十条も出るぞ」
俺たちにねぎらいの言葉をかけた上野さんは隣に立つ十条さんの肩をぽんと叩いた。
「一年生も朝早くからご苦労様。あっちに地上展示の機体があるから見てくるといいよ。土井さん、色々教えてあげて」
「うっす」
土井さんは十条さんの指示に頷く。
「わたしはちょっとご飯買ってくるから、土井さん、一年生よっろしくぅー!」
俺達のグループから離れ、永田先輩は滑走路とは逆方向へと走りだした。
「あ、永田のやつ逃げやがった……ま、いいか。ヒコーキ見に行こう」


(後編へ続く)