鷲とマホウツカイ(第5話)


北海 ルドルフ飛行場 201X年/11/13 12:41


轟音と共に、3機のFS-04がルドルフ飛行場の上空を飛び抜けていく。武装は自衛用の短距離AAMと増槽、尾翼に鷲のマークをつけた一番機パイロットが口を開いた。
アドラーよりルドルフタワー、210からアプローチ中、着陸許可を要請」
「ルドルフタワーよりアドラー、ランウェイクリアー、ウインド40、4ノット。視程14マイル」
管制官はマイクを開き、レーダーと肉眼で進入してくる機体を確認する。くすんだ空色に塗られた軽量合金と複合材の猛禽がフラップをいっぱいに下げて灰色の路面に舞い降りる。
彼らはこれから始まる狩りのためには隣の基地からここまでやってきたのだ。
「…来たか」
整備長は聴きなれたジェットエンジンが複数重なって聞こえることに気づくと格納庫の外に目を向ける。
「俺、あの人達苦手なんですけど」
若い整備兵がため息混じりにごちる。あの人達、とは魔女の所属する飛行隊の本隊のパイロットたちのことを指している。腕はともかく、プライドが高い上に細かいところまで注文をつけてくるので整備からは嫌われている。
「好きになれるわけないじゃない。あんなの」
魔女はインカムに添えていた右手をスティックに戻すと指先が真っ白になるほどにそれを握りしめた。それを乱暴に前後に動かすとカナード水平尾翼が滑らかに動き、格納庫の淀んだ空気を掻き回した。


ブリーフィングルームに集められた6人のパイロットは椅子に腰掛け、それぞれがクリップボードなり自分の膝なりを下敷きに、メモの準備をしている。魔女は眉間に皺を寄せて真っ白なスクリーンを睨みつけている。黒猫は大欠伸をしながらメモ用紙の端に落書きを描き、烏はそれを見て呆れている。
基地司令が参謀を連れて入室すると部屋の照明が落とされ、全員が明るく照らし出されたスクリーンに注目する。
「諸君、顔を合わせるのは久しいだろうが、仲良くやってくれ」
基地司令が大袈裟に咳払いをして口上を述べると参謀が作戦説明を引き継ぐ。
「今回の獲物は大物だ。メインゲストは敵の大型巡洋艦、艦名はロマノフ、その他に巡洋艦2隻、駆逐艦6隻が確認されている」
薄暗いブリーフィングルームの正面に置かれたスクリーンの画像が切り替わり、共和国で最も火力のある戦闘艦を写す。
灰色の艦体に中世の古城のような巨大な構造物と、監視塔のような巨大なマストが鎮座している。左右に張り出した防空システムはさながら獅子の前足といったところ。チョコレート色の甲板にはタイルのようにミサイルの垂直発射機が並んでいる。
「今回は海軍のUボート部隊と連携して海空一体の襲撃となる、なお今回の作戦にあたっては諸君ら224飛行隊以外にも312飛行隊、273飛行隊が攻撃に参加する」
スライドが再び切り替わり、同じFS-04を装備する他の部隊を映し出す。参謀は淡々と作戦説明を続ける。
「―以上だ、質問は?」
すっと鷲が手を挙げる。
「大尉、話したまえ」
「敵の防空網突破にあたり、低空で侵入する必要があります。ですが果たしてこの基地の分遣隊は本隊に追従できましょうか? 怖気付いて高度を上げ、見つかってしまうようでは困るのですが」
「それは私のことでしょうか?」
魔女は湧き上がる感情をこらえつつ冷静に立ち上がる。水上機ゼーヴィントは今回の作戦には哨戒機の護衛という形でしか関わらないのでこの基地のに配属されている隊員のうち直接対艦攻撃に加わるのは魔女しかいない。
「自覚があるだけマシ、か」
鷲は魔女を一瞥すると司令に向き直る。
「……その怒りは敵艦隊にでもぶつけたまえ」
基地司令は大きくため息をついてがっくりと肩を落とした。
「以上だ。今日はこれで解散だ」



だん、と拳がカウンターに叩きつけられる。
「荒れてるねぇ」
マスターはいつになく強い酒を呷る魔女を見やりながらグラスを磨く。すっかり冷め切った山鳥の肉を逆手に握ったフォークで突き刺す魔女の目は完全にすわっている。
「何も聞かないのね」
そう言うと肉を頬張り、無心に咀嚼する。香草の香りが舌の上で踊るがそれすらも邪魔だとばかりに魔女は一気に飲み込む。
「どうせ軍事機密なんだろう?」
魔女はため息をついてカウンターに突っ伏する。ほろ酔いで上気した頬にニス塗りの木の感触の冷たさが心地良い。
「マスター、一発までなら誤射なんでしょ?」
からからと左手に持ったグラスの中のウイスキーと氷をかき混ぜながら魔女が呻く。水とアルコールの境界が曖昧にぼやけ、揺らぎながら混じり合った。
「おいおい、良くて営倉、下手すりゃあの世行きだよ、お嬢さん」
魔女は素早く身を起こして否定する。
「お嬢さんじゃないってば、もう!」
そのままグラスを傾け、麦の香りを溶かし込んだ琥珀色の液体を流しこむ。焼けるような感覚を置き土産に食道を急降下してゆく。
「ほら、無理して強い酒を飲むから」
耐え切れず咳き込んだ魔女の背中を優しくさすりながらマスターは水を注いだグラスを差し出す。魔女はそれをひったくり、喉を鳴らしながら飲み干す。
「アレと重なってたらぶん殴ってたわよ」
自らの限界を感じたのか、財布からカードを出してカウンターの上に放り投げた。
「はい毎度」
マスターはそれ以上何も言わずカードを読み取って魔女に返す。翼の生えた北極星の描かれたIDカードの中で軍服をきっちりと着た魔女がこちらを見据えていた。



北海 ルドルフ飛行場近海 201X年/11/15 9:38 FS-04 09-2027号機 "アドラー"



「全機、編隊を維持したまま緩降下、高度100フィートで編隊を組み直す」
機首から伸びるストレーキから突き出したカナードの付け根から鋭い風切音を鳴らしながら4機のFS-04が降下してゆく。
最後尾の魔女は他機との間隔を保ったままそれに追従する。先日の禍根はまだ消えるそぶりを見せず、これ以上舐められないために慎重にスロットルを操作し、ダイヤモンド編隊の最後尾を維持したまま増速する。
高度250フィートで機首上げを始め、機体を徐々に水平に戻す。
「散開!」
隊長機の指示と同時に魔女はスティックを軽く右に傾けながら手前に引き、ラダーを踏んで横滑りを押さえながら編隊の右へ出る。手を伸ばせば届きそうな距離を波頭が駆け抜けてゆく。
200メートルほど離れたところで先ほどとは逆に操舵して機体の進行方向を元に戻す。
先頭を行く隊長機は水色に塗られた訓練弾を4発翼下に吊るし、まっすぐに北東目指して飛ぶ。鷲は時折後方を振り返り、編隊が同じ高度であることを確認する。
「エンテ、遅れてるぞ。しっかりついてこい」
遅れをとりはじめた3番機に激を飛ばし、二番機との距離を確認し、最後に右端の最後尾の魔女の粗探しをするが、魔女は先ほどと変わらない位置に占位している。
当の魔女は正面から焦点をずらし、各機との間隔を測ってレーダー上と目視でも変化がないことを確認する。もともと低空を飛ぶことへの抵抗は薄かったうえ、フロートを抱えたゼーヴィントと編隊を組んで行動することもあるのでむしろ同一機種で編隊を組んでの飛行は簡単なくらいだった。
プライドの高い隊長は何とか魔女を屈服させようと様々なマニューバを試みるが、魔女はフォーメーションを崩さず、むしろ本隊の列機よりも正確に隊長機の機動をトレースしてくる。
―本当に、いけ好かない女だ。
隊長は唇を噛み締めながらレーダー画面に視線を向け、手元のボタンで対艦モードを起動して前方遥か彼方にある目標を選択する。
水平線の先には敵艦に見立てたフリゲートがいる。敵艦隊の到着前に安全な制海権下での訓練を行っている。
演習は模擬弾と電波で行われる。誤ってもフリゲートに被害が及ぶことはない。それはパイロット達だけではなく、大役を担った艦のクルーたちも同じだ。
今回のメニューは低空侵攻と敵の対空ミサイルによる迎撃への対処。
一機でも海面のレーダー反射の影から飛び出せばたちまち長距離ミサイルによって木っ端微塵にされてしまう、だからといって高度を下げすぎれば凍てつく北の海に沈んでしまう。
空と海の境界線を駆け続けることがパイロットたちには求められる。


「北方よりアンノウン、距離230、機数4、ライアー、敵。」
「まもなく迎撃圏内」
CICでは刻々と変化する戦況が表示され、レーダー画面が中央のディスプレイに表示されている。
「対空戦闘用意」


「各機、まもなく目標が射程圏内。」
断続的だった電子音が高まり、ついに一続きの一定のトーンになる。
アドラー、ブルーザー」
隊長機は発射ボタンを軽く押しこみ
「エンテ、ブルーザー!」
ファルケ、ブルーザー」
「ヘクセ、ブルーザー」
4機のFS-04から放たれた都合16本の電子の弓がレーダーに表示され、標的目がけて疾走する。
入れ替わりに耳障りな警報音と共に全機のディスプレイにレーダー警告が表示される。敵艦のレーダーに見立てられた照準波が編隊を照らし出す。
「ブレイク!」
開かれた指のように機体の間隔が広がり、それぞれが電子防御モードを起動する。魔女もレーダーを対艦攻撃から電子妨害モードに切り替える。
電子の目はその役割を電子の盾へと変える。
非実在対空ミサイルをフリゲートが発射し、散らばった編隊目がけて画面上を進む。
―まだ、まだだ。
ミサイル警告音が頭の中で反響する。魔女は操縦桿をいつでも倒せるよう備え、回避のタイミングを待つ。
早すぎればミサイルも針路を変えてしまうし、遅すぎれば高性能炸薬の爆風と金属片の熱烈なタックルを受けることになってしまう。
―3,2……今だ
機体を45度右に倒し、チャフを放出しながら機首を上げる。ストレーキの付け根から水滴のヴェールをたなびかせながら右上方へのブレイク。
ほかの3機もそれぞれバレルロールや垂直旋回でミサイルの軸線と機体の軸を直角に立て、ミサイルの針路から逃れる。
「ヘクセ、回避成功」
警報音が鳴り止み、魔女は胸を撫で下ろしながら報告する。ゆっくりと機体を水平に戻し、隊長機の真後ろに遷移する。警告音は鳴り止み、レーダー上からもミサイルの影は消えている。
アドラー、回避機動成功」
隊長機も左に傾いていた機体を水平に戻し、高度を上げる。
フリゲート艦ゼーオッターより各機へ。ヘクセとアドラー以外は撃墜判定」
オペーレーターの読み上げた報告に2番機と3番機のパイロットは大きくため息をついて肩を落とす。
「グレッチャーより各機、帰投せよ」
魔女は軽くラダーを踏んで隊長機の後ろから3番機の右斜め後ろへ機体を滑らせる。4機の水鳥は1番機を先頭にV字編隊を組み直す。
「二人とも、これが実戦じゃなくて良かったな。あとで回避のタイミングをもう一度確認しておけ……それとヘクセ、腕を上げたな。アドラー、アウト」
魔女は目を見開いて隊長機を追う。冷たい空気の中を青紫とグレーに塗られた鷲がふんわりと飛んでいた。


「ヘクセ、インサイト
管制官はマイクのプッシュトークから指を離し、フラップを下ろして、横風に合わせ機軸をずらしながら進入してくる魔女を目で追う。先に降りた3機はすでにエプロンに移動しており、一番端に駐機している機体はキャノピーを開放し、パイロットが整備兵と何か相談している。
「今日の着陸はいつもより穏やかだな」
「やっぱりそう思うか」
接地した主脚から白い煙を吐きながら機首を下ろす魔女の乗機を双眼鏡で覗きながらもう一人が答える。
カナード翼が大きく下がり、機体を地面に押し付けながら減速させてゆく。
「盗み聞きはいい趣味とは言えんな?、借りるぞ」
背後からかけられた声に振り返り、すっと敬礼をする。管制塔に上がってきた司令は頷きつつ敬礼を返す。
「魔女と鷲が仲直りしたらしいな」
双眼鏡を受け取り、誘導路を進む魔女の機体を見ながら司令がつぶやく。
「主に嫌ってたのは本隊の方らしいですけどね」
士官学校を次席で卒業して、北のはずれに点在する基地に派遣されたのでは仕方あるまい。これで少しは生還率も上がるか?」