良いニュースと悪いニュース(第7話)

北海 ルドルフ飛行場 201X年/11/21 11:23


「さて、今週末には君たちには首都へ飛んでもらう」
会議室に集められた2人のパイロットは二重窓越しにエプロンで待機している飛行艇を一瞥する。カラフルに塗り分けられた救難機ではなく輸送用の地味な塗装に身を包んでいる。
脱出した2番機のパイロットは医療設備のある港湾都市へ運ばれていった。三番機はホームベースに帰還した。
潜水艦部隊は敵の護衛艦に損傷を負わせたものの、反撃を受けて後退。巡洋戦艦は意気揚々と母国のドックへ向けて航行中だ。
「そして、良いニュースと悪いニュースがある」
司令は二人に向き直る。
「悪い方から」
諦めの混ざった声で鷲が答える。
ヘンシェル大尉、君は査問委員会に呼び出されている」
「理由は……聞くまでもないですね」
鷲は大きく肩を落とす。
「そしてハヅキ中尉、おめでとう。君の叙勲が決まったよ」
「はい?」
魔女も鷲もお互いに顔を見合せている。
「通算撃沈数21.5隻。上層部は君のこの戦果を評価している。今週末の航空ショーで授与式が行われるそうだ」
司令は机の上に置かれた書類を魔女に渡す。表題には叙勲式の案内と印字されている。
「勲章なんかより、お風呂のほうがありがたいのに」
鷲よりも深い溜息をついて魔女は頭を抱える。
「あの石頭軍団の巣窟で缶詰の俺よかマシだろうよ」
「あぁそうだヘンシェル大尉、移動用の機体は手配できないので君もライアーで移動してもらう」
「ロンドンまでお前の膝の上か」
鷲は視線を魔女に向け、その太ももへと下ろす。
「……隊長、今のセクハラですよ」
魔女は凍てつくような視線で鷲を睨みつける。
「ゲフン、中尉の予備機がある。通常塗装に直してエンブレムを入れなおせばいいだろう」
司令は大きく咳払いをすると煙草を胸ポケットから取り出して火をつける。鷲はもう一度司令に敬礼をすると足早に司令室を立ち去っていった。
魔女は司令から受け取った書類にひと通り目を通し終わるってから小さくお辞儀をして部屋を出た。


「ちょっと埃っぽくないか?」
操縦席に乗り込むなり鷲はコンソールの上にうっすらと積もった埃を指でなぞる。
「こいつは点検の時以外はずっと引きこもりですからねぇ」
ノーズギアの点検をしていた整備兵がリストから顔を上げる。機体の周囲には足場や作業台が置かれ、塗料の溶剤の匂いが埃っぽい空気と混ざり合っている。
鷲はコクピットの装備をひと通り確認し終わるとおもむろに立ち上がり、左主翼を振り返る。もう少し高いところから見下ろせればとんがり帽子をかぶって不敵な笑いを浮かべる魔女が描かれているのが見えるだろう。
ふと見上げると当の魔女本人が渡り廊下の手すりに寄りかかりながら作業の様子をぼんやりと見下ろしていた。
鷲は渡り廊下へ続く階段を登る。かんかんと響く乾いた金属音に魔女が振り向いた。
「ボサッとするなんてお前らしくもない」
魔女は何も言わずにポケットから書類を取り出して鷲に渡す。
「なになに、受勲式の後にパーティーだと。うらやましすぎて殺意が湧いてきたぜ」
ざっと本文を眺めた鷲が手紙を折りたたんで魔女に返す。
「私がそういうの苦手な事を知ってて言ってます?」
魔女は心底うんざりした表情で書類を縦に折る。
「ま、楽しんでこい」
鷲は魔女の手のひらの中で形を変えていく手紙を目で追う。単純な長方形から五角形へと変わり、もう一度開いて端の部分を立てる。
「オリガミってやつか? それ」
完成した五角形の物体をいぶかしげに見ながら鷲が首を傾げる。皇国の文化はあまり知らないが少なくとも本で見たオリガミはもう少し凝った形をしていた。
「そんなところ」
魔女は五角形の下に飛び出した細い部分をつまみ、そっとを空中に押し出す。
小さな翼が空気を掴み、緩やかな滑空を始める。
「なんだ、紙飛行機か。俺の知ってる奴とはだいぶ違うな。もっと尖ってるもんかと思ったが」
緩やかな右旋回をしながら高度を落としていく紙飛行機を二人の視線が追う。
「翼面荷重が低いほうが有利だもの」
魔女が静かにつぶやく。
「ま、身も心も軽いほうが飛ぶのは楽だわな」


北海 ルドルフ飛行場 201X年/11/21 09:12 FS-04 11-0109号機 "ヘクセ"


「ヘクセ、クリアードフォーテイクオフ」
管制塔からの許可を確認すると魔女はスロットルを最大まで開いて一気に機体を加速させる。雪の中に埋もれ、シートを被せられたかつての鷲の翼がすぐ横を通りすぎる。
滑走路端には自走対空砲と移動式対空ミサイル発射機が鎮座し、捜索用レーダーをくるくると回しながら静かに小雪の舞う空を睨みつけている。魔女と鷲がいなくなればここを守る航空戦力は水上機だけになるからだ。
魔女は操縦桿を引き、機体が地面から離れたことを確認するとフラップとギアを畳む。
アドラー、クリアードフォーテイクオフ」
機体の作り出す乱流で雪が渦を巻き、しばらく虚空を彷徨った後再び重力に引かれてひらひらと舞い落ちる。
アフターバーナーの力強い轟音をとどろかせて真新しい北洋迷彩に塗られた鷲の機体が魔女に続く。
二機のFS-04は西の空へと消えていくまで地上に残ったクルーは作業帽を振り続けた。
「また寂しくなるな」
「魔女さまがいねーとどうにもヤル気でないんだよなぁ」
低く響くエンジン音が聞こえなくなると整備兵たちが口々に不平を漏らす。
「お前らぁ!仕事しろ!」
整備長の野太い声に全員が飛び上がり、そそくさと持ち場に戻っていった。