ハードランディング(第16話)


中東 アル・ラジフ空軍基地上空 201Y/3/18 13:08  FS-04 09-1164号機"サンダー"


 国境付近の哨戒飛行を終えた2機のFS-04が基地へと帰ってゆく。
 ランカスター少尉は今日も何事も無く終えられそうなことに安心して固い背もたれに背中を預ける。計器は愛機を構成する全ての要素が問題がないことを示している。
 狂鳥は先ほどと同じ距離を保ったままこちらの斜め前方のやや下方を飛行している。
「基地まで10マイル」
「了解」
 静かにコールすると基地の発する誘導電波を捉えたのか、コンピュータが気を効かせてディスプレイ上の地図表示を拡大する。
 前方に見える岩山を超えれば冷たい飲み物と味付けの濃い食事の待つねぐらが見えてくるはずだ。
――今日は何を食べようか。
 昼食のメニューを考えながらも視線は常に視界7、計器3の割合で周囲に気を配る。
「ハンターよりラジフタワー、間もなくそちらの管制圏に入る。着陸誘導を」
「了解ハンター、ランウェイ07へ。進入コースは……」
 

 狂鳥が基地へ通信を入れた瞬間、空が光った。
「What's the hell was that!」
 岩山越しの閃光がランカスター少尉の視界を純白に染め、旧語で悪態をつきながらスロットルから左手を離して顔を覆う。
 衝撃波が機体を揺さぶり、警告音と共に異常を知らせる表示がディスプレイに溢れる。反射的に操縦桿を引いて機首を起こす。様々な部位の異常を訴える警告音の大合唱に失速警告のアラート音が加わり、聴覚までもがノイズに塗りつぶされる。
――くそ、何なんだよいったい。
 左手を戻し眼とスロットルを開く。視界がまだぼやけている。
「サンダー! 応答しなさい、ランク!」
 狂鳥の声が聞こえる。数度瞬きをすると視界も徐々に戻ってきた。日除けのバイザーを下ろしていたおかげで閃光のショックが軽減されたようだ。
「サンダーよりハンター、そちらの損害は?」
「飛行に支障なし。いくつかのセンサーが不調、誘導電波受信不能
 ランカスター少尉は異常を示す表示を確認しながら機体を水平に戻す。どうやら先ほどの閃光と衝撃波でやられたのか幾つかの系統が損傷を示す黄色に表示されている。
「ラジフタワー、今の爆発は何? そちらの状況は?」
 落ち着きを取り戻した狂鳥が管制塔に通信を入れる。しかしレシーバーからはかすかなノイズが流れるだけで応答はない。
「サンダー、こちらでは誘導電波が受信できない。そっちはどう?」
「こっちも駄目だ。アンテナがやられたのかも……おい、なんだよあれ」
 岩山の頂から黒い煙が上がる。いや、煙というよりも黒い雲塊といったほうがいいだろう。ドーム状のそれが膨張しながら上昇していく。
 異変に気づいた狂鳥が赤外線センサーで観察を試みるがどこかの回路が損傷したのか映らない。
「サンダー、FLIRは使える?」
「こっちは問題ない。FLIRオンライン、上昇して確認する」
 ランカスター少尉の機が上昇して山を超え、雲塊の全体を捉えようとする。ライアーのメインディスプレイを赤外線画像に切り替える。低温を示す黒い背景の中に映る高温を表す白いドームは球状になり、その下から雲柱になっている。そしてその根本には何も無い。
 コンピューターは地上が恐ろしい熱を持っていることだけを伝えてくる
 機首を下げて目視で確認する。
「何なんだよ……訳分かんねぇよ」
「これって……」
 二人はその光景に言葉を失った。巨大なキノコ雲の下にぽっかりとクレーターが口をあけている。建物らしきものは無く滑走路もあらかた吹き飛び、かすかに滑走路の方位を表す『25』という数字が読み取れた。
「ハンター、状況報告を。そちらの空域のレーダーが乱れている。ラジフ基地からの応答がない」
 不意に無線から管制機の声が流れる。
「ヴァルチャー、この空域にドローンを要請。陸軍基地にも連絡を。今映像を送ります」
「映像を受信した……サンダー。データをこっちに転送してくれ。チャンネルはデルタ32」
「コピー、デルタ32」
 機体背面の通信アンテナが無数の暗号データを管制機へ送りつける。
 ほんの数時間前まで食事を取り、眠り、暮らしてきた基地は灼熱のクレーターの中に沈んでいる。
「現在当国上空で活動中の全機へ、コードゲシュライ。繰り返す、コードゲシュライ。ラジフ基地が攻撃を受けた」
 管制機の声が現実感を心に刻みつけていく。
「ヴァルチャー、燃料が残り少ない。タンカーは回せない?」
 狂鳥は管制機に要望だけを伝える。
「ネガティブ、現在全ての航空機に待機が命じられている、コンドル隊はバンダルアッバース国際空港へ向かえ」
 だがその願いは聞き入れられることはなかった。
「バンダルアッバース? 無理だヴァルチャー、燃料が持たない」
 ランカスター少尉も素早く燃料計算を行って抗議する。
「サンダー、もういい。武装を投棄。上昇して」
「了解」
 狂鳥は翼下の武装をすべて切り離して機首を上げる。
 ランカスター少尉もそれに従う。マスターアームを武装投棄モードに切り替えて主翼下に吊るした空対空ミサイルを切り離す。重量と空気抵抗を減らして効率良く飛行するためだ。
「高度2万4000で巡航」
「ウィルコ」
 操縦桿を前に倒して上昇をやめた狂鳥に翼を並べる。
「実際、燃料はどこまでもちそう?」
「あと150マイル。甘く見積もってね。降りれそうなのは……ケルマーンくらいか」
 狂鳥はメインパネルを操作して燃料残量と現在位置から手近な滑走路のある場所を探す。
「ちょっと待った、ケルマーンまでの途中には山脈がある。それよりもルート砂漠に降下したほうがいい」
 地図を広げて確認していたランカスター少尉が待ったをかける。
「近くに市街地は?」
「シャダード。現在地から南南西に190マイル」
「巡航速度でなるべく市街地まで近づく。」
「了解」


中東 ルート砂漠上空 201Y/3/18 13:32  FS-04 09-1164号機"サンダー"


 狂鳥の機がゆっくりと機首を下げ、それまで溜め込んでいた位置エネルギーを速度に変えはじめる。
「サンダー、もう燃料がもたない。降下率100で5000まで降下する」
「了解、高度5000」
巡航するのであれば空気抵抗の少ない高空のほうがいいが、もう燃料が残っていない以上残っている力学的エネルギーを有効に活用して少しでも市街地に近づくほうが得策だ。
 ランカスター少尉も操縦桿を前に倒し、機体の上下動を示す昇降計に注意を払いながら増速降下する。カナードの付け根から鋭い風切り音が鳴った。
「高度5500で引き起こす。こっちに合わせて脱出して」
 高度計の値が6000フィートを割り込んだ所で狂鳥が引き起こしの指示を出す。
「分かった」
 操縦桿を軽く引いて機体を水平に戻す。狂鳥の機は左エンジンの回転数が落ち、機首をゆっくりと左下に向ける。狂鳥の機のキャノピーがはじけ飛び、一拍遅れて座席が射出される。
「ハンター、イジェクト」
 脱出を確認したランカスター少尉も意を決して黄色と黒のストライプに塗られた緊急脱出レバーを引いた。
「サンダー、イジェクト!」
 キャノピーの枠が爆薬によって吹き飛ばされ、風圧で一瞬のうちに後ろへ吹き飛ばされる。 続いて射出座席のロケットモーターが作動し、反動が尻を突き上げて背骨を軋ませる。ふいに荷重がなくなり、一瞬の無重力状態になる。上半身を強く抱きしめるような衝撃が走り、肋骨にハーネスが食い込む。
「っぐぅ……」
ランカスター少尉は歯を食いしばりながら上を見上げてパラシュートが開いたことを確認し、先程まで自分が乗っていた世界一高価なグライダーを探す。
――まだ、飛んでるのか。
 砂色の迷彩を施されたFS-04がゆっくりと左に傾いていく。左への傾きを強くしていった機体はそのまま機首を下にして砂漠へと落ちてゆく。
 小爆発と共に黒煙が上がり、10秒ほど遅れて爆発音が聞こえた。パラシュートを操作して風に流されないよう向きを変えた。
 砂漠が近づいてくる。狂鳥はもう地上に降りている。
「よっ……っとおわっ!」
 三点接地を試みたランカスター少尉は砂に足を取られ、顔面から砂の上に倒れる。
「大丈夫?」
「なんとか、ね。ありがとう」
 狂鳥が心配そうに覗き込んで手を差し伸べる。それに掴まって立ち上がったランカスター少尉はヘルメットと酸素マスクを外して砂を払う。
 数回咳き込んだあと深呼吸して気持ちを落ち着けるとフライトスーツに装着されたサバイバルキットを取り外す。
「ランク、ここはどこ?」
「ちょっとまってね」
 狂鳥の不満げな声に答えるべくランカスター少尉がポケットからこの戦区の地図とコンパスを取り出し、GPS受信機のアンテナを伸ばして現在地を確かめる。
「良いニュースと悪いニュースがある。シャダードまではここから西に30マイル」
「30マイルぅ? ミイラになりそう。で、良いニュースは?」
「今のが良いニュースだよ、ミリィ」
 地図から顔をあげたランカスター少尉が首を横に振る。
「ランク、嘘でしょ」
「悪いニュースは、途中に何箇所か反政府軍寄りの集落がある」
 ランカスター少尉は赤い印のついた点を
「嬉しすぎて吐きそう。装備はこっちで見ておくから、墓穴をよろしく」
「わかった」
 ランカスター少尉は先ほど外したヘルメットを使って砂を掘り始める。
 狂鳥は二人分のサバイバルキットを広げて不要なものを除外していく。
「釣具……いらない。海水浄化キット……いらない。サメ避け……いらない。着色剤……いらない。発光剤……これは必要かな?」
 サバイバルキットの中に入っていた装備のうち三分の一ほどを仕分けし終えた狂鳥はパラシュートでそれらを包む。
「はい、これ全部埋葬ね」
「りょーかい」
 パラシュートに包まれた不用品を受け取ったランカスター少尉がそれを砂の中に埋め、掘り返すのに使ったヘルメットも一緒に放り込む。追跡に備えてサバイバル訓練の際に不要なものやパラシュートは出来る限り隠しておくよう教わった。
「ミリィ、ヘルメット」
「ん、ありがとう」
『ミリィ・J・リーデル』と書かれたヘルメットも穴の中に入れられる。
 最後にランカスター少尉が使ったパラシュートを穴の中に蹴り入れ、足で砂をかける。
「よし、埋葬は完了」
「ヴァルチャー、こちらコンドル1、現在地はルート砂漠、北緯30度29分3.09秒。東経58度11分1.20秒地点。救助を要請します」
救難無線を取り出した狂鳥が管制機に現在地を伝える。
「了解した。救難機は出撃不可、救難信号を発信したまま自力でシャダードへ向かい、陸軍の駐留部隊と合流せよ。陸軍の現地駐留部隊の周波数は追って連絡する」
「わかりました……行こう、ランク」
 狂鳥は無線を仕舞い、歩き出した。



 陽が落ちる頃、二人のパイロットは大きな岩の側で休むことにした。雲のない空が先ほどまでホットプレートのように熱かった地面の熱を奪ってゆく。
 狂鳥はサバイバルキットの中から高カロリー食を取り出してビニールの匂いが染み付いたそれを口に含む。
「糞まずい」
「まぁ、味じゃなくて命をつなぐものだからね」
 隣に腰をおろしたランクも封を切って一口かじり、あまりの味に思わず苦笑する。まずくはない。だが、舌の上で唾液を吸い込み僅かな甘みを残しながら溶けていく携行食にはこの手の食料として重大な何かが欠けている。
「確かに美味しくないねコレ」
「相変わらず人の話聞かないのね、あんた」
 それには答えず、水で口に残ったビニールの臭いがする小麦と砂糖と植物油脂の塊を流し込んだランカスター少尉は岩に頭を預ける。
「救助、来ると思う?」
「さぁ? 見えないだけでどこもやられてるのかも」
 髪を掻きながらランクがあっけからんと答える。
「それにして救いようのない味。生きて帰ったら作った奴を病院送りにしてやるんだから」
「こんなもん食って死ぬくらいなら生き延びてやるって奮い立たせるためだったりして」
 ランクの方は案外この味が気に入ったのか残りの部分を再びかじり始める。普段から紅茶と共にクッキーやビスケットといった乾き物を食べているからだろう。
「ほんと、ロイヤルの連中のジョークは理解出来ない。脳の血管に紅茶が詰まってるんじゃないの?」
「僕の血の四分の一は皇国人だけどね」
 かつて七つの海を支配した島国の出身者は本国から様々な意味を込めてロイヤルと呼ばれる。王国の歪な政治体制と歴史的背景の生んだひずみの一つだ。
 だが当のロイヤルたちはそんなことを気にするどころかジョークや茶飲み話のネタにする始末で、本国の人々をあっけにとらせている。
「……寒い」
 狂鳥は短く不満を漏らす。ランクはサバイバルキットからアルミコーティングの施された防寒毛布を取り出して狂鳥の肩にかける。
「砂漠のど真ん中であんたと添い寝、か」
「悪いね、気の利いた台詞の一つも言えなくて」
「ううん、それも悪くはないかなって」
 狂鳥は首を振って飲み終えた水の容器を潰して腰のポケットに仕舞うと砂の上に寝転がる。わずかに残った砂の暖かさが背中に伝わってくる。
「シャダードまで、あと何キロ?」
「今日歩いたのが5マイル、あと25マイルくらいかな?」
 ランクも防寒毛布にくるまって空を見上げる。西の空に傾き始めた下弦の月が砂漠を銀色に輝かせる。
 ランクは瞼を閉じて昼間見た光景を思い出す。キャノピー越しに感じる熱気も、燃えるクレーターと化した基地も鮮明に思い出せる。
――とうとう、始まっちゃったんだな。



この日、3月18日は後に世界各国の歴史教科書や年表に載る日付となった。