ウィッチハント(第23話)

王国 ルドルフ空軍基地上空  201Y/3/22 14:13 FS-04 11-0109号機 "ヘクセ"


「ヘクセよりルドルフタワー、間もなくそちらの管制圏に入る。状況報告を」
「ルドルフタワー?」
 基地からの応答はなく、無線からは微かなノイズ音だけが流れている。
「グレッチャー、ルドルフ基地からの応答がない。そちらからの通信状態は?」
「グレッチャー?」
 この空域を管轄するレーダーサイトを呼び出すが、こちらも応答はない。
 魔女はレーダーの捜索モードを切り替え、指向性を強めて前方の空域を再度索敵する。巨大なノイズが基地のあるはずの場所をすっぽりと覆っている。
 ノイズのまわりには数機の機影が映っている。動きからして戦闘機クラスの機体だが、数が多すぎる。今あの基地にいるのはゼーヴィント二機だけのはずだ。
――まさか。
 魔女は増槽の投棄スイッチに指をかける。
ハヅキ中尉! めちゃくちゃマズイ状況だ。とんでもない数の敵機だ! ジークがやられた」
「カッツェ?」
 久しく聞いていなかった黒猫の声。いつもの軽い口調ではない、焦りの入り交じった声音。そしていつも彼と飛んでいた烏はすでに落とされている。
「……くそ、被弾した……敵はジュラーヴリク4、グラーチュ2、無人機が……」
「カッツェ! カール! 応答しなさい!」
 魔女は残り僅かとなった増槽を切り離し、スロットルを乱暴に最大位置まで叩き込む。フルスロットル、一瞬しぼんだ排気ノズルが再び最大まで開き、アフターバーナーに点火する。
 それまで視界を覆っていた雲が途切れ、ルドルフ基地のあるフィヨルドが姿を現す。
 半分屋根の吹き飛んだ格納庫、炎の海に沈む滑走路、煙突のように煙を噴き上げる管制塔。
 一週間前までいた我が家は今、炎に包まれて焼け落ちようとしている。
――許さない。
 操縦桿を握る右手に力がこもり、心臓が痛いほどに早く鼓動を打つ。
「ヘクセ、エンゲージ」
 マスターアームを切り替え、レーダー上に味方がいないことを確認すると魔女はこれまで一度も使ったことのないモードにミサイルをセットした。
「マッドドッグ、ロンチ」
 主翼の下に並んだ6発の中距離ミサイルがそれぞれ手近なレーダー反応めがけて一直線に駆ける。


「エコー3、ダウン……」
 ひっくり返ったオープントップ車両の影に隠れて双眼鏡を空に向けていた管制官が悔しげに呟いた。黒色のゼーヴィントは炎に包まれながら落ちてゆき、空中で爆発四散する。
「対空戦車も、SAMも全てやられました」
「市民の避難は?」
 煤だらけになった薄い髪を掻きながら司令がため息をついた。
「すでにシェルターへの避難は完了しています」
 それまでのエンジン音とは異質な高音がフィヨルドに響き、司令のそばにいる全員が音の源を探し求める。灰色の大柄な輸送機がゆっくりと基地上空を旋回している。
「輸送機か……空挺部隊に抵抗できる戦力はない。敵が降下を始めたら投降するよう全員に伝えろ」
 四発のジェット輸送機が基地外周を旋回しながら貨物室のドアを開く。貨物室では空挺降下の装備に身を包んだ兵士50人と火力支援を担当する歩兵戦闘車が降下開始の合図を待っている。
「まもなく降下だ! 安全が確認され次第降下準備に入れ」
 最後の装備点検を済ませた分隊長が準備のできたことをハンドサインで伝える。
「目標は基地施設及びパイロット1名の確保だ。通信施設を制圧したら兵舎及び格納庫の捜索に当たれ」
「了解!」
「降下開始まで120秒!」
 最初の兵士が降下のため手すりを握り直した時、警告音とともに機体が大きく傾いた。
『ミサイル接近! 回避す……』
 轟音とともに胴体中央に大穴が空き、兵士が次々に空中へ放り出される。
「制空権は確保したんじゃなかったのか!」
 絶叫と風の音、甲高いエンジンの唸りが鼓膜を叩く。落ちゆく機体から放り出された分隊長が最後に見たのは、青紫の迷彩の中で不敵な笑みを浮かべる魔女の描かれた戦闘機だった。
「何があった!?」
 続けざまに輸送機が三機撃墜され、空から降下を見届けようとしていた共和国軍も、地上から諦めに満ちた目で空を見上げていた王国軍も狼狽える。
「司令! あそこを!」
 指差す先にはくすんだ水色の腹を見せながら急旋回する戦闘機が一機。
「あれは……まさかハヅキ中尉か?」
「あの迷彩、間違いありません!」
 左翼に描かれたとんがり帽子に気付いた兵士や整備兵たちから歓声が上がった。
「俺達の魔女さまが帰ってきたぞ!」
「生きてる無線機をもってこい!」


「はぁ……はぁ……」
 魔女は荒く息をつきながら大きく旋回し、浮き足立った攻撃機に狙いを定める。断続的な電子音が高くなり、ミサイルが目標を捉えたことを伝えてくる。
――邪魔。
 身体は熱く、心臓は早鐘のように血潮を全身に送り出すが、心は氷の中に沈んでいくようだった。感情が剥がれ落ち、敵機を排除することだけに意識を集中する。かちり、操縦桿のスイッチに電気信号が流れて赤外線誘導ミサイルが切り離され、敵機めがけて突き進む。
 爆ぜる敵機を横目で確認し、視界の端に写った無人機に照準を合わせる。
 灰色のイカはこちらに気付いたのか、誘うようにしっぽを見せて増速する。
――うるさい。
 短いバースト射撃で機首の制御部を吹き飛ばす。脳を失った無人機はバランスを崩し、駐機場の端に墜落して黒煙を噴き上げる。
 敵レーダーに補足されたことを知らせる警告音に後方を振り返り、後ろについた敵機を確認するとスロットルと操縦桿を最大まで引く。
 機首が天を向き、機体の速度が一気になくなる急激な制動に身体と機体が軋む。魔女はフレアを放出し、敵機の放ったミサイルを逸らす。ラダーペダルを乱暴に踏み、機首を無理やり左へ向ける。
 そのまま機体をぐるりと回転させ、脇を掠めるように追い越していったジュラーヴリクの真後ろにつく。そのシルエットを覆う迷彩の模様さえも魔女の不快感と憎しみを増幅させる。
「誰か、後ろのやつを……ぐわぁっ!」
 主翼の赤い星を徹甲弾が撃ち抜き、燃料タンクを榴弾が砕く。また一つ、オレンジ色の花が空に咲く。
 魔女は機械的に敵機を落としていく。そこには慈悲も迷いもない。ただ、自分以外の機が空を飛んでいるだけで心を穢された気分になる。
 攻撃機の真後ろにつき、トリガーには指をかけずに追い回す。
「振り切れない!」
 魔女が敵機の操縦席の音を聞き分けるほどの聴覚を持っていれば、そう叫ぶパイロットの声が聞こえただろう。左右に機体を振って必死に魔女を振り払おうとするが、獲物を狙う猛禽と化したライアーから逃げられるほどグラーチュは俊敏ではない。
 魔女はゆるやかに速度を上げて敵機の横に並び、周りを大きくバレルロールする。
「ひいっ!」
 逃げ道など、あるわけない。翼に描かれた魔女は邪悪な笑みを浮かべている。
――お前は、ここで死ぬんだよ。
 そう言いたそうに。
 恐怖に操縦を奪われ、がむしゃらに操縦桿を前に倒して急降下で逃げようとする。
「う、うわあああああああああああ!」
 視界いっぱいにオレンジ色の光が溢れ、機体を優しく包み込む。
 エンジンが酸素の薄れた空気と黄燐を吸って咳き込み、キャノピーが熱で白く染まる。
 彼にとっては幸せなことだったのかもしれない。地面が迫ってくることも、トラックに轢かれたカエルのような末路を辿ることを想像しなくて済んだのだから。


 レイピアの後席でレーダー画面を監視していたシェスタコフ中尉が息を呑んだ。残った味方を示す反応はわずかに無人機が三機に、ジュラーヴリクとグラーチュが一機ずつ。無人機は彼女が下がらせた。こちらの操縦で仕掛けたとしても敵わないなら、せめて情報だけでも持ち帰る。とっさに浮かんだ冷徹な発想だった。
空挺部隊……全滅です。他の隊も被害甚大です」
 レーダーの反射パターンから、その機体がFS-04であることがわかる。ルドルフにいるFS-04といえばあの女しかいない。
「たった一機で、あれだけの数を落とすとはな。流石に二度同じ手は通用しない、か……」
 それまで黙っていたミハイルが悔しげに呟いた。以前にも三倍の数を相手に勝利した実績もある女が相手だ。
「少佐、中距離ミサイルおよび短距離ミサイルそれぞれ二発ずつが使用可能ですが、いかがしますか?」
 シェスタコフ中尉が兵装を確認し、ミハイルの座る前席のメインディスプレイに表示する。
「その必要はありません、少佐」
「ヴォルコフか」
 ヴォルコフの機がわずかに速度を上げ、ミハイルの機を追い越す。
「ヴェージマ(魔女)は俺にやらせてください」
「いいだろう。交戦を許可する。全機下がれ」
 基地周辺を怯えながら飛んでいた攻撃隊がさっと散らばるのがレーダー画面に映った。
「死のダンスだ、魔女め」
 ヴォルコフは操縦桿を前に倒し、重力の助けを得て一気に加速する。漆黒の翼が鈍く太陽の光を反射し、刃のように薄い翼端が薄雲を切り裂いてゆく。


 それまで遠巻きに様子をうかがっていたジュラーヴリクやグラーチュが引きかえし始める。
「ルドルフタワーよりヘクセ、敵機が後退を始めた」
 本命の空挺部隊がやられた今、彼らにここに留まる理由はない。居残って戦おうとする戦意のあるものから魔女は処罰した。彼らは既に命をもって償いをしている。
――よかった……
 魔女は深く息を吐くと目を閉じる。
「……っ!」
 わずかに訪れた静寂を破って警告が鳴る。
 魔女はチャフを撒きながら操縦桿を右に倒して機体を裏返し、逆宙返りで回避する。空に薄いアルミ箔の欠片が西に傾き始めた太陽の光を鮮やかに反射する。
 黒い影が魔女の機体のすぐそばを通り過ぎていった。
「何だあの機体は?」
「識別表にありません!」
 誰一人として見たことのない機体がそこにいた。漆黒のボディ、複雑に切り欠かれた大面積のデルタ翼はコウモリのそれを連想させる。
 その翼には共和国の所属であることを示す赤い星が描かれ、魔女の機体の後ろに付いている
「ヘクセ! 後方につかれてる!」
「しまった……」
 地上からの声に魔女はフレアの放出ボタンに指をかけ、ヘッドアップディスプレイに表示された残数表示に目を向ける。
――やられる……!
 無情にもゼロと赤文字で表示されたフレアの残数に魔女は奥歯を噛み締める。


 赤外線センサーが魔女の機の熱反応を捉えたことを示す高いトーンに切り替わる。
 ヴォルコフは静かに笑い、発射ボタンに指をかけた。
「ダスヴィダーニヤ、ヴェージマ(さようなら、魔女)」
 魔女の機体を衝撃が揺さぶった。
「……え?」
「なに……?」
 ヴォルコフの放ったミサイルは黒煙だけを残して空中で消えた。
 魔女は後ろを振り返って機体の状態を目視で確認する。翼も、エンジンも全て在るべき場所で為すべきことを為している。
 ライアーの垂直尾翼に取り付けられたアクティブ防御システムは、静かに出番を待っていた。指向性散弾を詰めたランチャーは直撃コースにのって接近してくるミサイルに対してほぼ完璧に"仕事"をこなした。ヴォルコフの放ったミサイルは無数の破片に撃ち抜かれ、魔女を引き裂く前に防がれたのだ。
――どうして?
 疑問を振り払い、魔女はすかさず操縦桿を倒す。ライアーの翼が鋭く雲を曳く。
「逃がすか!」
 魔女を逃すまいとヴォルコフはスロットルを倒す。主翼を挟んで上下に配置されたエアインテークが最適な燃焼効果を得るために可変する。漆黒のレーダー吸収塗料に塗られた翼に描かれた赤い星がアウロラの死の光を浴びて輝いた。
 

――心配して来てみればこれか。
 黒煙を噴き上げ、死のカーテンに覆われた基地を一瞥した鷲はスロットルを固く握る。
アドラーよりルドルフタワー。そちらへ向けて飛行中。どうなっている」
ヘンシェル大尉! 現在当基地は敵の空襲下にあります。エコー3と4がやられました。ハヅキ中尉が敵の増援と応戦中です。識別表にない機体です」
アドラー、エンゲージ」
 鷲は魔女を追い回す黒い機体を睨みつけ、スロットルを開く。エンジンの唸りが高くなり、勇気づけるように背中を押した。
「ヘクセ、聞こえるか」
「隊長!」
 氷の中でもがいていた魔女の心がすっと水面へ引き上げられる。あの黒い機体の性能は確実にライアーを凌駕している。だが1対2ならば勝ち目はある。
「そいつはこっちに気づいてない。西エンドに誘い込め」
「了解!」
 魔女は疑うことなく鷲の指示に従い、炎の壁にそって全速力で逃げる。アウロラを背に飛んでいれば赤外線もレーダーも巨大なノイズに呑まれて狙いを定めることはできない。
「小賢しい真似を……」
 ヴォルコフは苛立たしげに魔女を追う。敵を追尾できるのは二つの目だけだ。レーダーも赤外線センサーもアウロラのせいで役に立たない
 青い機体はこちらを小馬鹿にしたように左右に機体を振り、こちらの機銃の照準から逃れる。炎の壁が途切れ、機体に装備されたあらゆるセンサーが青紫の水鳥に狙いを定める。
 だがヴォルコフはもう一機の猛禽がこの空域にいる事に気づいていなかった。
「いけっ!」
 鷲は発射ボタンに乗せた親指を押し込む。二発の中距離ミサイルが炎の壁から現れた黒い影目掛けて突進する。
 レイピアはいかなる機体よりもレーダーに映りにくく設計されている。だが目視で捉えられるような距離ではさすがに完全に映らないとはいえない。
 黒い鳥を白い矢が射抜く。
 警報が聴覚をうめつくし、赤い警告表示がバイザーに投影される。右エンジンの消火装置が作動し、白煙を吹きながら鼓動を止める。ヴォルコフは機体を立て直し、水平に戻す。
「ヴォルコフ、脱出しろ」
「ダメだ少佐、脱出装置が……」
 ヴォルコフは何度も脱出装置のレバーを引くが、反応はない。
『情報保護プロトコルを実行します』
「なに……?」
 冷たい女性の合成音声と共にメインディスプレイに大きくカウントダウンが表示される。残り15秒。
『情報保護完了、消去シーケンスに移行します』
――なんだ、こいつは何を行っているんだ?
 これまでに受けたレイピアの説明ではこんな機能については全く触れられなかった。
――そしてカウントはゼロになる。
 ヴォルコフの意識はそこで途切れ、機体と肉体は破片となって空に散らばった。
「ヴォルコフ大尉の反応、消失しました……」
 シェスタコフ中尉の声が震えている。彼女のメインディスプレイには黄色く、
『265号機、消去完了』
と表示されている。
「本部よりサフォーノク大尉。作戦は失敗だ。帰投せよ」
「……了解」
 ミハイルは感情を押し殺し、操縦桿を握り直した。
 本当は今すぐあの二機を落としたい。だが、それが許されない行為であることもわかっている。
「魔女め……」
 ミハイルはそう呟くと機体を左旋回させ、祖国への進路を取る。


 北極星のマークをつけた二機からは、黒い機体が操縦不能になり、誘爆で爆散したように見えた。金属片が夕日を浴びて紅い破片になって基地のはずれに降り注いでゆく。
「空域クリア。守りきったな……」
「まだ終わってません」
 そう言うと魔女は滑走路上で火の粉を撒き散らす忌々しい回転物に目を向けた。
アウロラか……あれがある限りルドルフには降りられないぞ」
「隊長、燃料はあとどれくらいありますか?」
 魔女の言葉に鷲は燃料計に目を向ける。
「8000だ、そっちは」
「2000ポンドです」
 もって後10分少々で、魔女の機体はグライダーになる。自重20トン近いライアーで滑空など不可能だ。
 一番近い基地でもここから40分はかかる。
「隊長、燃料を投棄しながら滑走路に沿って飛んでください」
「どういうことだ? ……そうか!」
 魔女の言わんとする事を察した鷲ははっと気づく。魔女がここに降りるためにはこの方法を取るしかない。だが、失敗すれば鷲も燃料切れで落ちる羽目になる。
――やってやろうじゃないか。
 理性は警告を発していたが、鷲には成功する自身があった。あの機体を落したのだ。それくらいのご褒美はあってもいいじゃないか。
 滑走路に機体の軸を合わせ、できる限り速度を落とす。フラップ20度、失速警告が速度低下を伝えてくるがそんなことは気にしない。
アドラー、燃料投棄開始」
 鷲が駆る機体の翼端からジェット燃料が散らされる。翼端の生み出す渦流が微細な雫になった燃料をかき回す。やがて渦は重力に引かれてゆっくりと落ち、発火点の二倍以上の温度の黄燐を撒き散らすアウロラに振りかかる。
 ルドルフ基地をこの日何回目かの衝撃が揺さぶった。
 炎のカーテンが爆炎に呑みこまれまれ、衝撃でアウロラの回転翼が吹き飛ぶ。バランスを失ったアウロラが錐揉みをしながら堕ち、地面に突き刺さる。もがくように回っていた回転翼の動きが息絶えたように止まる。


「あ、アウロラが……」
「炎に……食われた!?」
 地上から見ても、それは異様な光景だった。先ほどまで空を覆っていたオレンジ色の炎の壁は消え失せ、燃え尽きて空虚になった空間に大量の空気が流れ込み、強風となって焼け残った芝生を揺らし、灰を舞い上げる。
「そうか、燃料に引火させて全部いっぺんに焼き尽くしたのか!」
「ヘクセよりルドルフ、燃料残量わずか。目視にて着陸します」
 基地のまわりをぐるりと一周し、アウロラを排除したことを確認した魔女は一旦基地に背を向けて距離を取り、再び基地に向き直るとフラップと脚を下ろす。
 燃料ををほとんど使いきった魔女の機体はゆっくりと滑走路に向けて降りる。
「ぐうっ!」
 まだ乱れたままの気流が魔女の機体を揺さぶり、滑走路に触れかけた主脚が再び空に持ち上げられた。魔女はスロットルを更に絞り、機体を無理やり降ろす。
――止まれ……!
 スロットルを最大まで引き寄せ、ブレーキを全開にする。再び飛び上がって着陸をやり直す燃料はもうない。
「ごめんっ!」
 魔女は操縦席の脇に設置されたアレスティングフック開放レバーを倒す。ライアーのテールコーンに収められた非常制動用のフックが飛び出し、滑走路と擦れて火花を散らしながら機体に残った速度を奪う。
 滑走路端の着陸禁止帯に入ってようやく魔女の機体は停止した。最後のひとあがきを終えたアレスティングフックが折れ、それまでフックのおかげで路面に触れていなかった前脚が路面に叩きつけられ、ダンパーが軋みをあげた。
「ありがとう」
 すべての燃料と弾薬を使い果たした愛機のエンジンを切った魔女は力なく微笑んで計器盤を撫でた。
 キャノピーを開放して立ち上がり、基地全体を見渡すと鷲の機体が降りて来るのが目に入ってきた。くすんだ色の腹を見せながら太い脚を下ろして向かってくる姿はまさに猛禽を思わせる。
 鷲の機体は20トンに迫る重さを感じさせないなめらかな着地をし、滑走路上でなめらかに減速してゆく。


 傷だらけの機体を無事だった格納庫に運び終えると魔女は鷲に呼び出された。
 当然だろう。命令は絶対、よくて飛行停止だろう。
ハヅキ中尉。俺の言いたいことはわかるな?」
 鷲に詰め寄られ、魔女は何も言わずに顔をそらす。
「すいません、でした……」
 鷲は口をつぐんだまま、身体を縮こませる魔女に右腕をあげる。
「よく守ったな。ハヅキ中尉」 
魔女の頭に右手を乗せるとわしゃわしゃと撫でた。
「……え?」
 拳の三発は覚悟していた魔女はゆっくりと目を開き、自分の置かれている状況を認識して頬を赤らめる。
「命令違反は俺もだ。仲良く営巣入りだな」
 鷲はため息をついて開け放たれたまま空を見上げる。ようやく到着した北方からの増援部隊が基地の上空を旋回している。デルタ翼が特徴のミラン軽戦闘機だ。翼に描かれた北極星が夕日を浴びて誇らしげに輝いている。
「おせぇんだよ、全く」


王国 ルドルフ空軍基地  201Y/3/23 09:02  駐機場


 翌朝、死者の確認が終わった。30人ほどは認識票で身元が確認できたが、残りは死体が原型をとどめていなかったり、そもそも死体すら残っていなかったものも何名か混じっていた。
「……以上47名の尊い犠牲により、この基地は襲撃を凌ぐことができた」
「全員敬礼!」
 司令の合図にライフルを構えた守備隊員が銃口を空に向け、合図に合わせてトリガーを引く。
 鷲は気を付けの姿勢のままきっと鉛色の空を睨みつけている。
 額に包帯を巻いたままの黒猫は苦々しい視線を駐機場に並んだ棺に向ける。隣に立つ烏も挫いた左足の痛みを堪えながらはためく国旗に敬礼した。
 47の棺には、紺地に北極星の描かれた旗が被せられている。
 魔女と鷲の犯した命令違反についてはは始末書だけで済むと言われた。ルドルフの基地機能は一応保たれ、被害も最小限に抑えた。それにこんな状況でパイロットを営巣に入れておく余裕など王国空軍のどこにもない。


「こちら飛行艇マムート14、着水する」
「ルドルフ指揮所よりマムート14、着水を許可。ピアB-3に接舷せよ」
 管制支援用のモーボが今は臨時の指揮所になっている。本国からは午前中にも医療班と工兵隊が到着すると連絡が来ているから、恐らくはその先遣隊だろう。
 しかし予想に反して接岸した飛行艇から降りてきたのは作業服に身を包んだ技官たちだった。
「話が違うぞ、医療班じゃないのか?」
 埠頭で飛行艇の到着を待っていた怪我人から抗議の声が上がる。技官たちはその声を無視してルドルフ基地へ向かう。


 司令室に通されるなり、技官は単刀直入に聞いた。作業服には技術中佐の階級章が縫いつけられている。
「例の識別表にない機体を落としたというパイロットはいるか?」
ヘンシェル大尉とハヅキ中尉か」
 司令は眉間を揉みながら答える。
「話を訊きたいので呼んでいただきたい」
「……わかった」
 司令は受話器を取り上げると鷲と魔女を呼び出す。
「224飛行隊、ヘンシェル大尉とハヅキ中尉です」
 数分ほどして、鷲と魔女が現れた。既に軍服からオリーブ色の作業服に着替えている。
「君達か、謎の機体を撃墜したというのは」
「はい」
「墜落地点はわかるか?」
「敵機は空中で爆発しました。基地の北側のはずれです」
 鷲は淡々と技官の質問に答える。
「案内してもらいたい」
 当然といった表情で技官は言い放つ。
「おい」
「なんでしょう?」
 鷲が技官に声をかける。低く、静かな声だ。
「今死に掛けてるやつだっている。そんなにデータが大事か?」
「医療チームは2時間後には到着予定です。それに――」
「それは我々の仕事ではありません」
 きっぱりとそう言った。
「この野郎!」
 鷲が掴みかかかろうとした時、乾いた音が響き渡った。
ハヅキ中尉……?」
「失礼します」
 魔女は技官をの頬をはたいた右手をきつく握りしめ、踵を返して司令室をあとにする、その頬をつっと光の筋が伝った。
 司令も鷲も、当の技官もあっけにとられたまましばらく呆然と立ち尽くしていた。


 黒い機体の破片は基地北側の広範囲に散乱していた。
「バラバラだな」
 トラックから降りて地面に突き刺さる破片やフレームの残骸を一瞥した鷲が呟く。
「誘爆にしては、破片が細かすぎる気がします」
 手近な破片を拾い上げた若い技官が怪訝そうな目でそれを観察する。複合材であることはすぐに分かった。
「恐らく、これは共和国のものではありません」
 先ほど魔女に頬を打たれ、真っ赤な手形を右頬に残したままの技官が足元の破片を拾い上げ、ナイフで表側とおぼしき部分を削る。
「レーダー吸収塗料の皮膜が高度に結合しています。この処理ができるのは皇国と"あの会社"くらいのものでしょう」 
「またネオユニか」
――やつらは、この戦争でいくら絞りとる気なんだ?
 鷲の足元で焼け焦げたパイロットスーツの切れ端が風に吹かれてふわりと舞い上がった。