強行突破(第29話)

共和国 クビンカ基地 201Y/5/9 11:00 司令室 


ミハイルは作戦計画書の最後の一行を読み終えると指揮官に返した。
「ギリオティーナ、断頭台か」
「そう、悪い王には身を引いてもらう時期だ」
『ギリオティーナ作戦』と書かれた表紙のページには、極秘であることを示すスタンプが押されている。
「君にはいつも通り、レイピア隊の指揮をとってもらいたい。しかし、万が一の場合には代替手段を実行してもらう」
そう言うと指揮官は金庫から封筒を取り出し、封筒の封が破られていないことを確認すると、ミハイルにもそれを確かめさせた。
ミハイルが頷くと指揮官は封を切り、中に収められていた資料を渡した。
「これは……核爆弾?」
ミハイルははっとした表情で資料から顔を上げた。図面での形こそ通常爆弾に似ているが、不自然に細長い。
「レッドハンマーと彼らの呼ぶ核爆弾に誘導装置と滑空翼を取り付けたものだ。出力はある程度弄れるが最大にする」
「これを、どうしろと?」
ミハイルは訝しげな顔を指揮官に向けた。
「ウリヤノフスクとソビエツキーソユーズ……もしその両艦が撃沈された場合、君はこれをロンドン上空で起爆しろ」
「大佐、それは……」
開戦のきっかけになったあの一発以外、どちらの国も核兵器だけは使わずにいた。
大佐はミハイルの肩に右手を載せ、その手に力を込めた。
「君にしか、できないことだ」
ミハイルは静かに頷いた。


国防総省 201Y/5/10 20:01


全員が着席すると国防大臣はゆっくりと口を開いた。
「皆、集められた理由はわかっているな」
集められた将官の全員が頷き、あるいは悔しげに会議テーブルを睨みつけた。
「先ほど共和国は全世界にロンドン攻撃を宣言した」
改めてその事実を突きつけられ、皆の表情が暗くなった。
「相場は15%下落、海外資本は死に物狂いで引き上げを図っている。交通網は逃げようとする市民で大混乱。日の沈まない帝国の末路がこれだよ」
防大臣は大きく息を吐いて会議室の隅にいる部下に目を向けた。
「クルト、スクリーンを出してくれ。海軍大臣、説明を」
壮年の士官は頷いて手元のスイッチを操作すると微かなモーター音とともにスクリーンが天井から降りてきた。
海軍大臣は水を一口飲んでからコンピュータとリンクしたコントローラーを握った。
「現在各種情報を整理し、敵艦隊の動向を分析しています」
衛星画像がスクリーンに映し出され、北極海に面した共和国最大の軍港が拡大表示された。
「まず敵艦隊の主力艦についてです。空母"ウリヤノフスク"および巡洋戦艦"ソビエツキー・ソユーズ"の二隻を軸とし、これを四隻以上のミサイル巡洋艦、および十数隻の駆逐艦が護衛すると考えられます」
空母と巡洋戦艦は今共和国海軍に残された通常戦力のうち最大の切り札だ。
「また、最近のレーダー分析から、複数の基地から発進した表面効果翼機が艦隊の援護に当たるものと予想されます」
画面が切り替わり、空軍の戦闘機が捉えた表面効果翼機の写真に変わる。
「艦隊への洋上阻止にあたり、やはり最大の障壁は開戦前から確認されているアウロラ防空システムです。あれを何とかしないことには誘導兵器による攻撃は不可能です」
最後に映し出されたおぞましい光の壁の映像にざわめきが広がる。
アウロラか……」
「やはりあの光の壁をなんとかしなければ……」
空海軍の将官たちが顔を見合わせる一方、置いてきぼりを食らった陸軍の将官たちは不機嫌そうに頭のなかでその名前を繰り返した。
アウロラについてですが……」
それまで黙っていた兵器開発部の技術将校が腰を上げ、全員の鋭い視線が彼に突き刺さった。
オセアニアの実験センターで興味深いデータが得られました」
技術将校は何枚かの概念図と写真のレイアウトされた文書をその場にいる全員に配った。
バルト海海戦の前哨戦として行われたルドルフ基地への空襲において共和国はアウロラを離陸妨害のために滑走路に対して使用しました」
「それくらいは我々も知っている」
「現場のパイロットの機転により、投棄した燃料をアウロラに対して使用し、引火させることによりアウロラの無力化に成功したとのことです」
「兵器研究センターによる計算解析と実験により、ある程度の爆風や熱により無力化可能であることが判明しました」
「君の言う"ある程度"とはどのくらいなのかね?」
海軍の制服を着た将軍が質問した。
「我が軍の保有する弾頭の中ではサーモバリックが最も有効な威力を示しました。空中発射巡航ミサイルに搭載可能で、FS-04戦闘機から発射可能です」
「その弾頭は何発用意できる?」
今度は空軍の将軍の一人が質問した。
「フルカン爆撃機用のものがロジーマス基地に20発保管されています」
ジーマスはフルカン爆撃機の残った数少ない基地のうちのひとつだ。
「よし、これでアウロラは突破できる。問題は誰が先陣を切るかだ」
「ぴったりのパイロットを一人知っている」
空軍司令が挙手した。いかなる対空砲火も恐れないパイロットと握手した感覚は、まだ彼の右手に残っていた。


王国 ロジーマス航空基地 201Y/5/16 04:00 作戦室


「ふぁぁ……」
大あくびをするランクを小突き、狂鳥は隣に座る魔女に目を向けた。
「今度は一緒に飛べるかな?」
「さぁ?」
魔女は小さく首を傾げた。壇上に指揮官が登ると、皆の表情が引き締まった。
「知ってのとおり、敵の北方艦隊が今まさに王都に向かってきている。司令部は洋上阻止作戦『セイレーン作戦』を立案した。これより詳細を伝達する」
正面のスクリーンに二隻の大型艦の写真が映された。そのうちの一隻には魔女も見覚えがあった。
――巡洋戦艦
魔女は隣に座る鷲に気づかれないよう拳を握りしめた。
「敵艦隊は、空母ウリヤノフスク及び巡洋戦艦ソビエツキー・ソユーズを中心に二層の輪形陣を展開、外周にはエクラノプラン複数が確認されています」
「敵艦隊正面からはレゾリューションを旗艦とする第三艦隊が陽動攻撃にあたり、敵艦隊の注意を引きつけます」
ライチェ中佐は一旦呼吸を落ち着け、凛とした声で伝えた。
「作戦を伝達します。外周攻撃隊は電子戦機と協同して防空システム"アウロラ"を排除、内周攻撃隊の突入ルートを切り開いてください。外周攻撃隊はコンドル・ルクス・セイバー隊が担当。ヴァンキッシャーECRおよびニムロッドが電子支援を行います」
「内周攻撃隊はアウロラの穴から敵艦隊に突入、ウリヤノフスク及びソビエツキー・ソユーズを攻撃します」
「言うまでもありませんが、あなた達が最後に残された希望です。この作戦の失敗はロンドン市民800万の死を意味します。我々は各員がその義務を尽くすことを期待しています」
「それと――私物の整理をしておいてください」
ライチェ中佐は言いづらそうに付け加えてゆっくりと壇上から降りると狂鳥のもとに近づいてきた。
リーデル中尉、あなたに辞令が来ています」
「え、わたしに?」
狂鳥はライチェ中佐を怪訝そうな表情で見上げた。
「えぇ、あなたは今から大尉です。外周攻撃隊の指揮はあなたにとってもらいます」
「ちょっと待ってください中佐、私は……」
狂鳥はパイプ椅子から立ち上がる。
「あなたはいつも通りに操縦席に座って、任務を遂行するだけです。これは空軍司令直々の司令です」
「空軍司令が?」
狂鳥の表情が怪訝そうなものに変わった。半年近く前に勲章の授与で一度顔を合わせたきりだというのに、空軍司令は彼女を指名した。その理由がわからない。
「アフガンでの戦果やワルシャワミンスクでの戦績を考慮して問題ないと判断しました」
「……わかりました」
狂鳥はまだ納得いかない様子で、上品とはいえない座り方でパイプ椅子に腰を下ろした。
「大抜擢ね」
不機嫌そうに腕組みをした狂鳥に魔女が声をかけた。
「ただの露払いじゃない。本命はアヤメたちでしょ」
「あのアウロラにはひどい目に合わされた。頼むぞ」
鷲も期待に満ちた目を狂鳥とランクに向けた。
「まぁ、撃つのはミリィの仕事ですけどね」
「でも、ミリィが安心して前の敵に集中できるのはあなたのおかげじゃない?」
魔女がランクのフォローに入る。
「安心して後ろを任せられるってのはいいことだぞ」
鷲もそれに頷いた。


格納庫では外周攻撃隊のライアーに巡航ミサイルが取り付けられ、最後の点検を受けていた。
整理すべき私物自体が少ないせいで、時間が中途半端に余ってしまった狂鳥はぶらぶらと格納庫を歩いていた。
見知った機体と操縦者に気づいた彼女は電子戦機の前で話し込む二人に声を掛けた。
ワルシャワ攻略戦の時に電子戦で突入する狂鳥たちを援護したヴァンキッシャー"レイヴン"の搭乗者だ。
「おぉ、リーデル中尉じゃないか」
「あら中尉、お久しぶりね、ワルシャワ以来?」
「あれ、後席って……女だったっけ?」
狂鳥は操縦者と電子戦オペレーターの顔を交互に見て首を傾げる。以前に話したときは電子戦オペレーターは男だったはずだ。
「あぁ、これ?」
電子戦オペレーターはにこやかに微笑んだ。
「うん、こいつは変わってるんだ」
パイロットは苦笑する。
「そういう……趣味?」
"彼"の言わんとする事を理解した狂鳥は少し言いよどんだ。
「そういう事。最後になるかもしれないし、死ぬときは美しい自分でいたいの」
「そっか……」
狂鳥も納得したのか頷く。
「でもすごい、お化粧でこんなに変わるなんて」
記憶の中の彼の顔と今眼の前に立っている"彼女"の顔を比べ、狂鳥は感嘆の息をもらした。
「あなたも磨けばもっと綺麗になれる。今度テクニックを教えてあげる」
「ほんと?」
電子戦オペレーターはぽんぽんと狂鳥の頭をなで、格納庫の入り口を指さした。
「ほら、あなたの王子様が待ってる」
狂鳥の視線の先で、優しげな目をした青年士官が相棒の姿を探していた。


機体点検を済ませて搭乗指示を待つ魔女の肩を鷲が叩いた。
ハヅキ中尉、ちょっといいか」
「……どうしました?」
「恐らくこれが最後の出撃だ。だから……」
「ダメです、隊長」
魔女は鷲の言葉を遮った。
「な、まだ何も言ってないぞ?」
「言ったら、きっと私達のどっちかが死んじゃいます。ほら、映画とかでよくあるじゃないですか」
「ジンクスを信じるだなんてらしくないな」
「でも、隊長だって私のお守り持ってるじゃないですか」
鷲はまだなにか言いたそうだったが、いつもどおりの魔女の反応に安心して苦笑いを浮かべた。
「……分かった分かった。作戦が終わったらにするよ」
――やれやれ、素直じゃないな。
「楽しみにしてます」
「――っと、隊長。一つだけお願いがあります」
機体の方へ歩き出そうとする鷲を、魔女が呼び止めた
「お? なんだ?」
鷲が振り返ると、魔女は右手を不思議な形に握っていた。
「ゆびきり、してもらえますか? 帰ったらさっきの続きを言ってくれるって」
「ユビキリ? なんかのまじないか?」
聞いたことのない名前に鷲は首を傾げる。
「そんなところです。こうやってもらえます?」
魔女は小指を曲げる
「こうか?」
鷲は言われるがままに、魔女と同じように手を握る。魔女はもどかしそうに鷲の握った手の形を整えて小指を曲げさせる。
「で、小指をこうして……」
「指きりげんまん、嘘ついたら針千本呑ます。指切った」
小指を絡め、二人は契りを交わした。
「帰ったら聞かせてくださいね」
「あぁ、分かった。約束だ」


二人は格納庫の外壁に背を預けて白み始めた東の空を見ていた。
「ね、ラルフ。遺書って書いた?」
「いや? 一応私物だけは整理しといたけど」
「そう……」
彼に死ぬつもりがないのか、いつもの楽観的な考えによるものなのか狂鳥には分からなかった。
「元気ないね。操縦代わろうか?」
「いい」
狂鳥はゆっくりと首を横に振った。
「ね、ミリィ」
「ん? んぅっ……」
突然抱きしめられ、反応する前に狂鳥は唇を奪われた。
「この間の仕返し」
ランクはしたり顔で微笑みかけた。
「……もう一回……んっ」
答えは言葉ではなく行動で示された。
「ありがとう。これで勝てそうな気がしてきた」
唇が離れ、狂鳥はランクに強く抱きついた。二つの影が重なり、一つになる。
東の空がゆっくりと明るくなってゆく。
――時間だ。
『外周攻撃隊、離陸準備!』
スピーカーから流れる号令が合図になり、影は二つに別れた。
「行こう」
「うん」
――二人なら、きっと。


ジーマス基地の滑走路から次々に戦装束を纏った鳥達が飛び立っていく。
巡航ミサイルを吊るし、デジタル迷彩に塗られたライアー、ダークグリーンとブルーグレーの迷彩に塗り分けられ、電子戦装備を全身に取り付けたヴァンキッシャー、そして巡航ミサイルを吊るし、デジタル迷彩に塗られたライアー。
「コンドル、離陸」
狂鳥の機体に描かれた雷とショットガンのマークが低い陽光を鋭く反射し、後続の魔女は目を細めた。
最後に滑走路に入ったのは大柄な対艦ミサイル四発を装備した青い北洋迷彩のライアーだ。
「行くぞ」
「ええ」
魔女は静かに答え、スロットルを最大まで押し込んだ


「まさに空中艦隊だな」
給油機に群がり、眼下に広がる雲海に灰色のしみを落とす戦闘機を見て鷲はそう揶揄した。
「ここは21世紀ですよ、隊長」
鷲の言わんとすることを汲み取った魔女はその時代錯誤な言葉に釘をさした。
「エコー2、空中給油を許可」
魔女はゆっくりとフルカン給油機から垂れ下がった給油ドローグに機体を寄せる。
すっとプローグがドローグに差し込まれ、ジェット燃料が水鳥の身体を満たしていく。
「ヴィクター37よりエコー2、燃料補給完了」
「ディスコネクト」
魔女は給油プローブを引き込み、編隊に戻る。
一足先に空中給油を終えた狂鳥たちの外周攻撃隊はもう胡麻粒ほどの距離まで離れていた。


北海 王国艦隊の北東50マイル 201Y/5/16 05:32 NFX-26 270号機


高空の冷たい空気を黒い翼が切り裂く。レイピアの第2小隊は王国艦隊への先制攻撃を担当していた。
「こちら263、第二小隊は行動に移れ」
若き戦隊指揮官の命令を確認し、270と呼ばれたレイピアのパイロットは兵装を対艦攻撃モードに切り替えた。
「了解。270より各機、攻撃を開始しろ」
レイピアの胴体に設けられたウェポンベイの扉が開き、大型対艦ミサイルが放り出される。
随伴のMQ-99からも少々小振りで低速ながら炸薬の多い対艦ミサイルが切り離される。
ミサイルはロケットモーターから炎を吐きながら王国艦隊に向かって突き進む。


王国艦隊の旗艦『レゾリューション』のCICに警告音が鳴り響いた。
「ミサイル反応! 接近中!」
「どこからだ!?」
「検知不能、恐らくステルス機です」
「空母を守れ! 奴らは必ず空母を狙いに来る」
ランチャーから防空用ミサイルが発射され、接近してくるミサイルを防ぐ。一発、二発と空中に火球が生まれるが、落とせた数は発射されたうちの半数にも満たない。
各艦の近接防空システムが一斉に起動し、砲弾と砲煙を吹き上げる。127ミリ、76ミリ、30ミリ、20ミリ。多種多様な砲弾が空を裂き、曳光弾が鮮やかなオレンジ色の尾を曳きながらミサイルに降りかかる。
駆逐艦ザクセン被弾、炎上!」
艦隊の最外周で奮闘していた駆逐艦の後部甲板から炎が上がった。
「マズい、一発抜けたぞ!」
ミサイルの一発が防空網をすり抜け、水飛沫を巻き上げながら空母に迫る。
「ミサイル接近、着弾まで20秒!」
ミサイルはキングエドワード?の右舷から真っ直ぐに海面すれすれを突進してくる。
キングエドワード?の舷側に設置された近接防空システムが短距離ミサイルと砲弾を浴びせかけるが、当たらない。
「なぜ止まった!?」
唐突にキングエドワード?に搭載された近接防空システムが動きを止めた。回転を止めた銃口から硝煙が立ち上る。
「誤射防止機構です、味方艦が射線を塞いでいます!」
「あれは……"イレジスティブル"です!」
巡洋艦イレジスティブルは最大戦速で空母とミサイルの間に船体を割りこませた。その艦影を障害物と認識し、進路を変えようと僅かに動いたミサイルの制御翼をイレジスティブルの30ミリ砲が撃ち抜き、ミサイルの進路がぶれる。
斜め上方に迂回しようとしたミサイルは錐揉みをしながらイレジスティブルの舷側に深々と突き刺さった。
「イレジスティブル被弾!」
イレジスティブルの側面に火球が生まれ、爆風で隔壁が吹き飛ぶ。破孔から大量の海水が流れ込み、イレジスティブルはゆっくりと傾斜しながら速度を落とす。
「イレジスティブルより各艦、我の損害に構わず艦隊防空を優先せよ」
更にもう一発、対艦ミサイルが防空システムという盾を失ったイレジスティブルに突き刺さり、艦体がさらに傾斜していく。
「イレジスティブルは沈没する。繰り返す、イレジスティブルは沈没する!」
イレジスティブルの甲板から乗員が飛び降り、救命ボートが切り離される。
マストが倒れ、海軍旗や信号旗、そして北極星の描かれた国旗が暗い海面へと没していく。
「こちら」
「提督、本国の基地から攻撃隊が飛び立ったとのことです」
「時間通りだな。戦闘機を発進させろ」
命令を受けたキングエドワード?から空対空戦闘用の装備に身を固めた海鳥が次々に飛び立つ。
「頼むぞ……」
"キング・エディ"の艦長はメインスクリーンに映し出された発艦の様子を固唾を飲んで見守った。


ミハイルの操縦するレイピアは共和国艦隊と王国艦隊の中間地点に滞空し、静かに戦場を見下ろしていた。
「外周防空の99がすべて撃墜されました。敵編隊は艦隊右側面から接近してきます」
最後に残っていた無人機の信号が途絶え、共和国艦隊の右舷から航空機の機影が消える。
「艦隊左側面の機体を回せ、アウロラの発射を要請」
「了解」
シェスタコフ中尉は頷き、再びレーダーに目を向ける。
「敵空母からも敵機が発進した模様です」
「263より第三小隊へ、艦隊前方に移動して」
艦隊後方の防御を担当する二機を呼び出し、移動を指示する。
「先に海軍航空隊が接触します」
レーダー上でウリヤノフスクを発進した海軍航空隊のマークと王国海軍の空母から飛び立った敵機のマークが重なり、もつれ合う。


「味方機より報告、右舷の警戒線を突破されました! 敵攻撃機接近、機数約20! 」
共和国艦隊旗艦、『ソビエツキー・ソユーズ』の通信手がミハイルから入った報告を繰り返す。
「敵は航空機のみだ、艦体右舷にアウロラを展開しろ。三層展開、間隔は5マイル」
「了解、全艦へ伝達。右舷にアウロラを展開、間隔は5マイル!」
各艦に命令が伝達され、ソビエツキー・ソユーズの垂直発射管から大柄なミサイルが次々に飛び出していく。
「こちらタシュケントアウロラ発射」
随伴する巡洋艦のランチャーからもアウロラが撃ちだされ、何条もの白い弧を空に描く。
「オチャーコフ、アウロラ発射」
共和国艦隊の発射可能な艦の殆どからミサイルが発射され、西の空へと向かってゆく。


北海 共和国艦隊の西150マイル 201Y/5/16 05:45 FS-04 11-0826号機"コンドル"


「空中管制機ゴライアスより攻撃部隊、敵機全滅を確認。敵艦隊まで150マイル」
「攻撃部隊、幸運を祈る。スラッシュ隊、帰投する」
本命の攻撃部隊を守るために空域から"邪魔者"を排除したミラン軽戦闘機が翼を振りながら上空をすれ違っていく。
ここからの護衛ははるばる本国から飛んできた、狂鳥いわく『たぶん強い』オイレ制空戦闘機が引き継ぐことになっている。
「あと20分で敵艦隊に接触
距離と速度から敵艦隊までの時間を計算したランクは前席の狂鳥に計算結果を伝える。
アウロラ、来ると思う?」
「来るだろうね。彼らもこっちが来ることを知ってるはずだし……来た、レーダー反応、前方に複数」
連続的な電子音が鳴り、脅威の出現を操縦桿を握る狂鳥に伝えた。
「全機散開、進路はこのまま維持」
後続のライアーが編隊ごとに距離を開ける。
「レーダー反応、空中で消失……これは」
「おいでなすった!」
編隊の前方にオレンジ色に輝く柱が現れた。柱は次々に現れて隙間を埋め、やがて炎の壁となった。
「なんじゃこりゃあ!」
初めて見たパイロットはその恐ろしいまでに幻想的な光景に舌を巻いた。
「きれい……」
狂鳥もキラキラとまばゆい光を放つ炎の壁に一瞬目を奪われる。
ーーでも、邪魔はさせない。
「コンドル、エンゲージ!」
しかしすぐにいつもの調子に戻り、ボタンを弾いて火器管制システムを対地攻撃モードに切り替えた。
「セイバー、エンゲージ」
「ルクス、エンゲージ」
他の編隊の準備が整ったことを確認し、狂鳥は正面に意識を集中させる。
「レーザーオン!」
後席の掛け声とともにヘッドアップディスプレイを彷徨っていたミサイルカーソルが炎の壁の一点で動きを止める。狂鳥は間髪いれずに兵装発射ボタンにかけた指親をぐっと押し込んだ。
「コンドル、ロンチ!」
「セイバー各機、発射!」
「ルクス隊、発射!」
外周攻撃隊のFS-04からミサイルが次々に切り離され、狂鳥の機から照射されるレーザーの反射光に導かれるまま、炎の壁の一点に食らいつく。内蔵されていた固形材料が一瞬で気化し、瞬間的に数千度の火球と化す。
その空間にあったあらゆるものが一瞬で蒸発し、爆風によってアウロラのディスペンサーそのものも回転翼をもがれ、バランスを失ったコマのように回転しながら落ちてゆく。
「炎が炎を食った……!?」
「すげぇ!」
「こちら司令部、衛星画像によりアウロラの崩壊を確認」
「よし、アウロラに穴ができた!」
型を抜くように、炎の壁にぽっかりと穴が開いた。
「あんなところを抜けるのか!?」
「無茶だ、エンジンが停まっちまう!」
「あぁ、もう五月蝿い……」
狂鳥は奥歯を噛み締め、スロットルを最大まで押し込んだ。
「ついてこない奴は置いてく!」
機首を炎に穿たれた穴に向け、灰色の水鳥は加速していく。
「ほ、本当に突っ込んだぞ……」
「か、各機……続け」
後続のライアーもあるものは神に祈りながら、またあるものは十字架を握りしめながら炎の壁をくぐり抜けた。


アウロラ、第一層を突破されました!」
「突破だと!? ウリヤノフスクに甲板上の機体を全部上げさせろ!」
アウロラを上を飛び越えてくる敵機を落とそうと対空ミサイルを準備していた共和国艦隊はアウロラが崩壊したという知らせに浮き足立った。
「第二層、区画12と13が崩壊、突破されます!」
「第三層の内側に戦闘機を回せ、抜かれるぞ」
「第4飛行隊が向かっています」


「ぐうぅ、あと、一層……」
狂鳥はまだ熱気の残る空域をすり抜ける。乱れたままの気流が機体を揺さぶった。
透明の風防越しに残ったアウロラが放つ熱気が伝わってきた。
アウロラ最終層、正面! 距離6000!」
ランクが再びレーザーを炎の壁に照射する。
「コンドル、リリース!」
「ルクス2、リリース」
「セイバー3、ロンチ!」
右翼に残った最後のミサイルが切り離され、猛然と加速しながら炎の壁に突き刺さる。大きく広がった火球が一瞬のうちにあらゆる物質を飲み込んでゆく。
「やった……!」
アウロラ最終層崩壊!」
赤外線画像で温度をモニタリングしていたランクが飛行可能な温度に下がったことを確認した。
「作戦本部、こちらコンドル。アウロラ防空網の突破に成功!」
「おぉぉ!」
無線越しに作戦本部のどよめきが聞こえた。編隊は間隔を詰め、一つの群れとなって炎の壁を潜り抜ける。
「おぉ、クソ!」
「ブレイク、ブレイク!」
炎の切れ間を抜けた王国軍機を、共和国海軍航空隊が待ち受けていた。ジュラーヴリクのストレーキに装備された30ミリ機関砲が吼える。アウロラの発する電磁波と熱の影響で中距離ミサイルも短距離ミサイルも誘導が効かず、彼らの翼に装備されたミサイルは高価なバラスト同然だった。
外周攻撃隊はそれぞれの編隊に別れて共和国海軍機に喰らいつく。
「おうおう、派手にやってんなぁ」
海鳥と取っ組み合いの喧嘩を始めた水鳥の群れから少々遅れて電子妨害装備を満載したヴァンキッシャーが炎の壁の隙間から姿を現した。電子戦オペレーターは前方に味方機がいないことを確認すると、見えない武器を構えた。
「レイヴン、HPMを使え。バラージでやれ」
管制機の許可が出る前に、ヴァンキッシャーは準備を終えていた。
「お許しが出たぞ、ぶちかませ!」
「オッケイ! HPM照射開始!」
二つ返事で最大出力にセットされた電子の槍が共和国艦隊のレーダーを凪いだ。


瞬間的にほぼすべての艦のレーダー素子に異常な反応が検出され、上空にいた共和国軍機もレーダーや操縦系統に不調をきたした。
「何が起こった!?」
「わかりません、モニタリング不能。レーダーが無数の機影を確認」
巡洋艦オチャーコフも例外ではなく、メインスクリーンに無数の機影が現れた。
「ノイズ処理を最大に上げろ!」
「間に合いません! システムがオーバーフローしています!」
火器管制を担当する士官が必死にキーを叩く。しかしトラフィックが集中し、火器管制システムにコマンドは届かない。彼の努力をあざ笑うようにメインスクリーンが暗転し、オチャーコフの戦闘情報センターは赤い明かりだけになった。
「何事だ!」
「火器管制システムがダウンしました! 再起動しています」
「急げ! 早くしないと敵機が来るぞ!」


無数のノイズ源や侵入してきた敵機の対応に追われる共和国海軍航空隊を、別の猛禽が見下ろしていた。
「こちらリッター隊、援護を開始する。FOX3!」
翼に北極星のマークを描かれたFI-05オイレ制空戦闘機のウェポンベイが開き、ミーティア対空ミサイルが次々に飛び出した。
発射されたミサイルは音の数倍の速さまで一気に加速し、赤い星を翼につけた海鳥を撃ち抜いていく。
「制空及び外周攻撃隊へ。内周攻撃隊到着まであと3分」
管制機が本命の攻撃隊の到着時間を告げる。
「お掃除の時間だ。各機、体当たりしてでも内周攻撃隊を守れ。各機、格闘戦に備えろ」
FI-05の可変ストレーキが開き、機体の空力特性を高速巡航から高機動に適したものへと変える。
「オイレをナメるなぁ!」
オイレの尾部に装備された三つの推力偏向パドルが最大まで開き、赤紫の排気炎を輝かせながら敵編隊へと斬りこんでいく。


炎の壁に穿たれた穴から、次々に内周攻撃隊が飛び出してくる。後席に座るランクはさっとその機数を数える。
「後続機は全機無事に突破」
作戦会議のときの割り振り数どおりの機体が東へと向かっていく。
「こちらコンドル。内周攻撃隊はアウロラを突破」
内周攻撃隊の中には左翼に魔女を描かれたライアーも混じっていた。彼らの戦いはこれから始まるのだ。
「ミサイル警告!」
赤外線誘導ミサイルの接近を知らせる高いトーンの警告音が鳴る。
「チィッ、どこから!?」
「上だ!」
狂鳥はフレアを撒きながら機体を右に滑らせる。すぐ横をミサイルが通り過ぎ、囮の熱源に突っ込んでいった。
前進翼……!?」
狂鳥の背後を狙う青い戦闘機は、主翼が前に向かってせり出していた。その奇怪な外見は今まで見てきたどんな機体よりも邪悪な気配を彼女に感じさせた。
「ベルクトだ!」
後席のランクが叫んだ。
「ランク、そいつから目を離さないで!」
狂鳥は操縦桿をきつく握り、スロットルを最大まで押し込んで右急旋回で振り切ろうとする。
すっと頭から血の気が引いていき、Gスーツが下肢を痛いほどに締めあげる。
「敵機、6時方向」
敵機はライアーよりも旋回性能に優れているのだろう、引き離されるどころかこちらの旋回円のさらに内側に入り込み、機関砲を射かけてきた。
「右!」
ランクの声からどう操舵すべきかを汲み取った狂鳥は右足でラダーを踏み込み、機体を一気に沈み込ませた。敵機は急減速しながら右に逸れる彼女の
「離脱しよう、旋回性能はあっちのほうが上だ」
「だめ、高度がない!」
狂鳥が機体を左に傾けて旋回上昇に移ろうとした時、後ろを見張っていたランクはこちらに機首を向けた敵機の主翼から白いものが切り離されるのを見た。
「カウンタメジャー!」
ランクはフレア放出ボタンを押し、囮の熱源をばら撒く。
「だめ、振り切れない!」
最後の盾、アクティブ防御システムがミサイルを検知し、散弾を撃ち返す。これを突破されれば申し訳程度の厚みの複合材と軽量合金しか操縦席に座るものたちを守るものはない。
無数の金属球はミサイルを捉えきれず、ライアーの下に潜り込んだミサイルが近接信管を作動させた。
「あぐぅっ!」
衝撃で機体が大きく揺れ、ミサイルの破片が狂鳥の右股を貫いてキャノピーが赤く染まった。
警報音がエンジンの異常を知らせ、右エンジンから黒煙が上がる。
「ミリィ!」
「あし……がぁ……はぁ……ぐぅ……」
機体は推力を失い、がくりと機首を下げた。
敵機はすぐに離脱し、他の機体に狙いを変えた。なにしろ獲物はいくらでもいるのだ。
「こちらコンドル、被弾した。離脱する」
ランクは短く報告し、状況を分析した。
――脱出は、無理だ。この状態で着水したら長くは持たない。
後席の脱出レバーを引けば、前席もそれに連動して射出される。
彼女が軽傷なら、脱出して海上で応急手当をすれば救助が来るまで持ちこたえられる。
もし彼女の傷が応急手当ではどうにもならないほど深いとしたら、救助が来る前に彼女は命を落とすだろう。
「ミリィ、操縦系統をこっちへ」
「うぅ……」
狂鳥は苦しそうな呻き声を漏らす。
「高度が下がってる、早く!」
狂鳥は左手で右脚の傷を押さえながら震える右手で操縦権限を後席に譲った。
墜落警告が危険を知らせる。ランクが操縦桿を引き寄せると機体は高度100フィートで降下を止めた。
機体を安定させたランクは素早く舵を操作し、操縦系統に問題ない事を確認する。
――よし、操縦系統は生きてる。
「あ、うぅ……ごめん、ごめんね……」
狂鳥は消え入りそうな声でうわ言のように繰り返す。
「君だけは、必ず生きて還す」
ランクは操縦桿を握り直し、広がる炎の壁に顔を向けた。
片方のエンジンを失った水鳥は、ゆっくりと旋回して炎の壁の切れ間へ向かっていった。