北海の魔女(第1話)

共和国へ北回りの航路で向かう輸送船の乗組員の間にはこんな噂がある。


―北の海には「魔女」が出る―


その噂が真実かどうかを知る者は少ない。
海峡封鎖が宣言されてからその海域に近づく民間船はいない。
もし1海里でも踏み込めば警告なしに容赦のない無慈悲な攻撃を受けると知っているからだ。
それでも共和国へ最短で至るにはそこを抜けるしかない。大陸を迂回する南回りのルートは非常に遠回りな上に、列島の皇国がゴールの手前で待ち構えている。
撃沈こそされないが、共和国へ向かう船は大型タンカーから漁船まで臨検され、一つでも禁輸品があれば有無をいわさず厳しい処罰が待っている。
リスクを負ってでも通過しなければならない魔の回廊だった。



N群島沖 フリゲート216号艦"ゴリゾント"  201X年/11/13  07:32



白い霧に包まれながらたった3隻の船団は波濤を散らし目的地へとひた走る。2隻の高速輸送船は怯えた子供のように護衛のフリゲート艦にぴったりとついてくる。
いくら沿岸のレーダーには補足されないとはいえ、海峡は定期的に王国軍の哨戒機が飛び回っている。もし発見されていたら、それとも、もう発見されているのかもしれない。 
輸送船の船員たちの見えない敵への怯えはどうやらフリゲート艦の水兵たちにも伝染したらしく、艦の外が見える位置にいる水兵は暇さえあれば水平線に目を凝らしている。



「そろそろ交代の時間だな、異常は?」
ブリッジに上がってきた艦長に足音に気づくと、その場にいた全員が敬礼をする。
艦長は軽く頷いて敬礼を返す。
副長上がりの初老の海の戦士はタバコを取り出すと、家族から贈られたライターでそっと火を灯す。
「ありません」
今のところ敵に発見された様子はない。紫煙を吐き出すと、鋭い目付きで眼前の海原を睨みつける。
「レーダーに機影! 南からです」
CICからの慌ただしい報告でブリッジにいる全員が耳を疑った。
共和国にはここまで飛んでこれる航続距離を持った戦術航空機はない。
となれば、自ずから答えは導ける。
「IFF応答なし、王国軍の攻撃機と思われます!」
相手が味方でないことがわかった瞬間、若い水兵のうち何人かは体を震わせた。
艦長はブリッジ全体に響き渡るように、そして自分を鼓舞するためにあらん限りに命令を下した。
「総員、第一種戦闘配置! 対空戦闘用意!」



"彼女"はヘッドアップディスプレイと風防越しに飛び慣れた冷たい海を見下ろす。水温という無機質な定規で測れば、1時間漬かっているだけで生死に関わるような凍てつく海も、彼女にとっては遊び慣れた庭も同然だ。
「ヘクセ、情報通り敵は3隻。防空フリゲートと高速輸送船だ」
「了解。あちらも気付いたようだ」
操縦桿を少し傾けるだけで翼を打ちつけてしまう超低空を彼女は獲物を目がけて駆ける。
大きく広がったストレーキからはひっきりなしに動いて姿勢を維持するカナード翼を生やし、厚みのある付け根には4本の炸薬と電子機器、そして固体ロケットでできた槍を吊るして、細身の双垂直尾翼の先には後ろを見張る目玉のようにレーダー警戒装置が収まっている。濃淡のグレーと青紫で幾何学的に彩られた対艦攻撃機。それが彼女の翼だ。
ヘクセ、と呼ばれた女性は操縦桿を握りなおして呼吸を整えた。
正面のディスプレイには3つの船影が鮮明に映し出されている。
マスターアーム、オン。左手の人差し指を操作し、対艦ミサイルを選択する。
姿見えぬ敵は慌てているらしく、捕捉のため高度を上げてしばらくしてから3隻はジグザグの航路を描き始めた。
「ヘクセ、FOX3」
軽い振動と共に4本の矢が機体から切り離され、モーターが火を噴く。軽くなった機体がふわりと浮き上がるが、すぐさまカナードが反応して高度を維持する。
4本の思考する矢はシーカーに捉えた艦影からそれぞれの役割分担と突入部位を思案する。もう人間の手助けは要らない。内蔵された脅威選定プログラムに従い、2発がフリゲートへ、残りがそれぞれ輸送船へと向かう。
彼女はスロットルを緩め、矢の進路を肉眼とディスプレイで確認する。



CICは蜂の巣をつついたよう騒ぎになっていた。なんの前触れもなく顕れたたった一機の攻撃機はこちらを目がけてまっすぐに突っ込んでくる。 レーダー探知範囲のかなり内側で気付いたのはおそらく超低空を飛んで波のレーダー反射に隠れていたからだろう。
「だめです、この艦の搭載兵器では間に合いません!」
ぐぬぬ、ならばミサイルの迎撃を優先しろ」
敵機のいる方向をレーダーが走査するが、内海の警備用に建造されたこの艦に装備されている短射程ミサイルでは届かない。暗闇の中で銃を持った相手に石を投げるようなものだ。 唯一の違いは、30mm対空機関砲が上部構造体の周囲に並べられていることだ。
一方的に撃たれるにしても、盾で防ぐことはできる。
「ミサイル接近! 近い! 距離40キロ!」
近接防空システムが起動し、それぞれが補足した目標を追跡する。カプセル状のガトリング砲が一斉に南を向き、ずれを細かに修正する様子はどことなくユーモラスでさえあった。
有効射程圏内にミサイルを捉えると、重苦しい発射音と共に30mm砲弾が砲口から撒き散らされる。
対するミサイルの側は緩やかなS字カーブを描き、フリゲート艦の手前で急速に高度を上げ、艦の最も致命的な部位へと突撃する。曳光弾は船体を削る直前までミサイルを追い、後部の燃焼室を吹き飛ばすが、ミサイルの進路は変わらない。
弾頭に据え付けられた270kgの炸薬が炸裂し、ブリッジを中にいる乗組員もろとも吹き飛ばす。軽量合金製の上部構造体は前半分が破けた風船のようになり、血と肉の焼ける匂いが海風に混じり合う。
北側で最後のあがきとばかりに面舵を切った輸送船は悲惨だった。弾体は甲板のハッチを突き破り、燃料室で最後の仕上げを行った。
巨大な火球が広がり、周囲に肉片と金属片の大雨を降らせる。



皇国製13式対艦誘導弾の最大の特徴は、使い捨てのミサイルに始めてステルス設計を取り入れたことである。
発射を悟られず、接近もギリギリまで気づかれない。
数分後、ディスプレイ上のミサイルの輝点と敵艦のシンボルが重なった。
北側のシンボルは明滅を繰り返し、やがて消失する。東側の艦も同様に明滅を繰り返すが、こちらは逆三角形の枠が外側に表示されている。目標の脅威度が低い印だ。
「ヘクセよりBB、輸送船一隻を撃沈、護衛艦は大破。もう一隻はいつでもトドメを刺せる」
「ヘクセ、敵護衛艦からの反撃がないようであれば攻撃を継続せよ」
「了解した。接近する」
スロットルを前に倒し、機体を緩やかに加速させる。押しつぶされた空気が水面を叩き、水柱を上げる。
前方に黒煙が見える。―この様子だと輸送船の方は轟沈かしら。
そんなことを考えながら彼女は惨劇の現場へ急行する。護衛艦からのレーダー照射の様子はない。レーダー上のシンボルも徐々に弱くなっていく。
彼女がフリゲートを確認したときには、もうそれは戦闘艦というよりも、水上に浮かぶ焼け跡といったほうがいい物になっていた。
徐々に水面下に沈んでいく残骸の上空を大きく旋回すると、運良く生き残った方の輸送船へ進路を変える。左舷から出火しているようだが、まだ速度は落ちていない。
一度大きく左へ迂回してから敵艦の船腹を正面に捉えると、彼女は軽く深呼吸をしてから操縦桿のトリガーを引いた。ストレーキの付け根に収められた航空機関砲が咆哮し、20mm砲弾が船体を貫き、不運な船員を新鮮な挽肉へと変貌させる。
機関室を狙った一斉射でエンジンは完全に破壊され、燃料タンクに開いた穴から帰化した燃料が漏れて引火する。爆発の衝撃は船体を支えていた竜骨をへし折るのに十分すぎる威力があった。金属のひしゃげる耳障りな音と共に、輸送船が二つに折れて沈んでゆく。



なんとか脱出に成功した船員たちが救命ボートによじ登る。
当の敵機はくすんだ空色に塗られた腹を見せながら上空を通過していく。主翼の裏側には誇らしげに北極星のインシグニアが描かれている。戦果を確認していく敵機に生き残った全員が畏怖と憎しみの混ざった視線を向ける。
敵機は機体を左に大きく倒すと、鋭くヴェイパーを曳きながら救命ボートの周りを轟音を引き連れて旋回する。一瞬、ヴェイパーの途切れたと左主翼の付け根に見えたものに気付いた船員たちは目を疑った。

グレーと青紫のスプリッター迷彩の中で、とんがり帽子をかぶった魔女が笑っていた。妖しい笑みは水滴の壁に再び隠れ、バンクを戻した敵機は高度を上げ、コントレールを伴って南へと帰っていく。

「あれが、北海の魔女……」
思い出したように吹き始めた冷たい風が救命ボートを揺らした。




まぁ、つくろうと思ってたバックストーリーはこんな感じ。
なんで船団が3隻なのとか一機だけなのとかツッコんではいけない。